また偉大なるスターが一人、この世を去りました。
デヴィッド・ボウイ、享年69歳。
つい一時間ちょっと前に知った訃報。
俺がデータ整理やら色々と作業をし始めた頃に公開された情報だった様で、Twitter上ではその二時間ほど前から拡散されていた様子。
誕生日である1月8日、ほんの二日前に 『★(Black Star)』 という新譜を発表したばかりだった様で、そんな事も知らなかった。
いつもの様に音を消して垂れ流しにしているTVの情報番組のテロップを見て知った訃報。
余りに驚きすぎて大声張り上げちゃいましたよ・・・しかも3、4回も。
ガン告知を受け、この1年半ほど闘病していたらしいと知ったので、安直に 「もっと長生きして欲しかった」 なんて言えないけれども、出来得れば病気なんてせず、ヨボヨボのジジィになっても創作活動を続けて欲しい人でした。
この一年半、ただ寝たきりで死期を待つばかりの病人じゃなかった事は、新譜が出ている事からも明らかで、どれだけ辛く苦しい思いを乗り越えて遺作を完成させたのか、想像すると胸が詰まる思いです。
最後の最後まで絶対的な存在である事を証明して去って行ったボウイは、やはり永遠の星なんでしょう。
昨年末、敬愛する水木しげる氏の訃報にも大きくショックを受けたけれども、ボウイの死は俺にとってそれ以上の衝撃だった様です。
まぁ、水木さんはスタンスが特殊な人だったっていうのもあるし、そもそも死という 『負の象徴』 をポジティブに取り扱って生業としてた人だから、単純に悲しいという方向に気持ちを向ける事の方が間違いに思えた人が大多数だったよね。
どこか、新たな門出をお祝いする様に、水木さんへの愛を示す人が多かったし、俺自身もそういう思いだった。
「ずっと行ってみたかった場所に旅に出られるんだから、これは喜ばしい事じゃないですか。」
水木さんはきっと当たり前の様にそう言って、「ただ行っちゃうと戻って来られないだけです」 と皮肉なジョークを付け加えた後で豪快に笑うんだろうなと、そう思えて仕方無い。
だから悲しさは半減した気がしますね、水木さんの人柄を知ってるが故。
ボウイは、水木さんとは違うタイプのヒーローで、往年の彼が演じた 『火星から来た男、ジギー・スターダスト』 さながら、私生活がさほど見えないというか、絶対的なスターならではの生活感の無さがカリスマ性を更に引き立たせていた感がある。
むしろ、プライベートも破天荒なんだろうなと思わせるオーラがあって、きっと我々には想像も出来ない事ばかりの生活に違いないとさえ思わせてくれてた。
老若男女問わず、日本人でもボウイの事を知らない人は少ないだろうけど、じゃあどれだけ知ってるのかと言えば、よっぽど洋楽好きだったりしない限り、細かい事までは知らないんだろうね。
実を言うと、俺も詳しいと言えるほど詳しくはなくて、それでもフツーの日本人よりはちょっとだけ詳しい程度には知ってます。
ボウイはデビュー当時にサッパリ売れなくて、改名したりバンド変更をしつつ、二年ほどしてようやくデヴィッド・ボウイとして活動安定。
それでも不遇の時代はまだ数年続き、1969年になってようやくヒット曲に恵まれる。
『スペイス・オディティ [Space Oddity]』 と名付けられたこの曲は、NASAのアポロ計画に世界中の注目が集まっているタイミングで発表され、相乗効果的に大ヒットした。
歌詞は、宇宙飛行士である 『トム少佐』 を主人公とし、今まさにロケットに乗って宇宙へ飛び出したトム少佐の心情と、そんなトム少佐に起きてしまった宇宙での異変を歌っているミステリアスなもの。
前年に公開されたキューブリック監督のヒット映画 『2001年宇宙の旅』 をモチーフに作られたこの作品は、実際にアポロ11号が月面着陸に成功すると、称賛と宇宙開拓への期待を込めてテーマ曲の様に各所で使用されたが、歌詞の内容的にはさほどおめでたいものではなく、むしろ機械故障や宇宙空間の不安をイメージさせる不気味なものだ。
それが理由なのか、その後の度重なる有人宇宙飛行においても、この曲を実際の宇宙飛行士が口にする事はなかったが、2013年になってカナダ人の宇宙飛行士、クリス・ハドフィールドが国際宇宙ステーション内で初めて歌を披露した。
その様子は一年間の期間限定でYouTubeにアップされ、ボウイ本人もそれを観た感動をTwitter上に投稿した。
Ground Control to Major Tom
Your Circuit's Dead, There's Something Wrong
Can you hear me, Major Tom?
Can you hear me, Major Tom?
Can you hear me, Major Tom?
Can you・・・
歌詞の冒頭、管制塔とのやり取りが歌われる中、この部分で異変が起きる。
ちなみに、グランド・コントロールは管制塔、メジャー・トムはトム少佐を意味。
この部分だけを直訳すると・・・
管制塔よりトム少佐へ。
回線が死んだ様だ。 何かおかしいぞ。
聞こえますか、トム少佐?
聞こえますか、トム少佐?
聞こえますか、トム少佐?
聞こえ・・・
となる。
直訳でも意味は通じるけど、もう少し日本語の口語的に解釈するならこう。
管制塔よりトム少佐へ。
何か変だ・・・回線が死んじまった!
トム少佐、聞こえますか?
トム少佐?
トム少佐!?
ってなところだろう。
まぁ、意味は同じだけど雰囲気が大分違ってくるよね。
んで、そもそも英語詞なので、単語の解釈次第で意味合いが少し変わるお約束。
というより、ダブルミーニング的な、韻を踏むじゃないけど、どちらの意味にも捉えられる単語を意図的に使ってるっていうパターンだと思う。
「Your Circuit's Dead」 は、単純に訳すと 「あなたの回線が死んだ」 になるので、歌詞の状況的には管制塔との無線回路が死んだ・・・つまり故障したっていう意味になる。
但し、このサーキット [Circuit] って単語は 「回る、巡回」 っていう意味もあれば、「囲まれたエリア」 みたいな意味もある。
囲まれたエリアというのを詩的に解釈するならば、『個人の頭の中』 という捉え方をして、頭の中が死んだ・・・つまり、『あなたは異常だ』 みたいな解釈も出来る。
んで、続く 「There's Something Wrong」 についても、「何か変だ」 という翻訳に付随して 「あなたはどこかおかしい」 っていう意味にもなる。
つまり、これは直訳だと無線機器の故障を意味する言葉になってるけど、解釈を変えると 「あなたは頭がイカレてる」 という意味にも取れる。
この事からしても、「トム少佐はまともじゃない」 という暗示が込められているのは明白で、だからこそ多くの宇宙飛行士達は、この有名過ぎる宇宙飛行士の歌を口にしなかったんだろう。
要するに、実際の宇宙飛行士にとって、これは縁起でもない歌だという事。
しかも、この歌には続きとなる展開があって、それもまた世界的に有名な事だから。
トム少佐を主人公としたスペイス・オディティの大ヒットにより、ボウイは一気に人気アーチストとなり、翌年には盟友となるギタリスト、ミック・ロンソンとのタッグを組み、次々と名曲・名盤をリリースした。
そして1972年、コンセプトアルバムとなる世界的名盤、『ジギー・スターダスト [The Rise and Fall of Ziggy Stardust and the Spiders from Mars]』 をリリース。
このアルバムでボウイは火星からやって来た男 『星屑のジギー』 を名乗り、ミック・ロンソン率いる 『火星蜘蛛』 というバンドを引き連れて熱狂のツアーを行った。
ちなみに、星屑のジギーも火星蜘蛛も直訳だから妙にダサいというかアホっぽいのであって、本来は 『ジギー・スターダスト&ザ・スパイダース・フロム・マーズ』 である。
この時期、ジギーになり切る形でアーチスト活動を行ったボウイは、マスコミ対応に関してもあくまでジギーとして答えていた様で、有名な 「僕はゲイだ」 なんていう告白もそんな頃の発言の一つでしかなく、実際は極めてノーマルな性癖だった様子。(少なくともいわゆるゲイではない)
ちなみに、彼のゲイ発言に信憑性を与えたのは、ボウイの前妻にしてストーンズの名曲 『悲しみのアンジー [Angie]』 のモデルにもなったと言われるマリー・アンジェラ・バーネットが出した暴露本で、ボウイとミック・ジャガーが同じベッドで寝ていたという証言をしていたり、ボウイがクラウス・ノミやフレディ・マーキュリーといったゲイのアーチストと交流が深かった事に由来していると思われます。
まぁ、いずれにしても、時代背景を考慮すれば情報のインパクトや拡散力が今とは全く違う訳で、売れっ子でイケイケな頃のボウイが・・・しかもグラム全盛期の派手派手で中性的な、ビジュアル系の最先端を突っ走っていたボウイが 「僕はゲイだ」 なんて言えば、それはどうしたって破壊力はあるよね。
そんな訳で、ボウイはジキーとして絶頂期を極めたものの、一年半という超ロングツアーの最終日、突然の引退を宣言する。
無論、それはボウイの引退ではなく、あくまでジギーという架空のスーパーヒーローを脱却する為のもの。
一躍グラムスターに輝いたボウイだが、カバーアルバムをリリースした後にバンドも解散させ、ミック・ロンソンとの長きに渡るタッグも解消。
恐らく、単にジギーを抹殺しただけでは世間一般のイメージから 『ボウイ=グラムスター』 という認識が消せなかったからだろう。
そして、ボウイはグラムロックから一転して、ソウルミュージックに傾倒し始める。
ちなみに、俺が生まれたのはちょうどそんな頃。
やがてベルリンに移住すると、ロキシー・ミュージック時代からキワモノなオーラを音楽的にもビジュアル的にも醸し出していたブライアン・イーノとタッグを組み、後にベルリン三部作と呼ばれる事になる実験的な試みの作品群をリリース。
恐らく、この頃にボウイのアーチスト性は対外的にも対内的にも急成長したんだと思う。
言うなれば、広がりよりも深みに重点を置く事で、作り手としての意義や価値に目覚めたってところだろうか。
いずれにしても、ベルリン時代を経た直後、ボウイはまたしてもセンセーショナルな試みで世間を驚かせる事となる。
1980年、ベルリンから再びアメリカへ渡ったボウイは、当時の流行であるニューウェーブを意識したアルバム 『スケアリー・モンスターズ [Scary Monsters (And Super Creeps)]』 を発表。
このアルバムに収録された一曲、『アッシェズ・トゥ・アッシェズ [Ashes to Ashes]』 こそ、再び取り上げるべき曲であり、俺にとってモストフェイバリットなボウイの作品でもあります。
「灰は灰に」 と直訳されるこのタイトル、解る人にはすぐ解るんだけれども、キリスト教の葬儀で使われる祈りの言葉 (Earth to Earth, Ashes to Ashes, Dust to Dust) の一部。
つまり、これはレクイエムを暗示させる曲であり、楽曲の音自体も異質ならばPVも異質。
気味の悪さすら漂うこの作品は、ボウイが過去へのレクイエムとして作り上げた決別の一曲。
この曲の何がそれほどセンセーショナルだったのかは、歌詞を聴けば明らかだ。
Do you Remember a Guy That's Been
In Such an Early Song?
「覚えていますか? 昔の歌に登場したあの男を」 という歌い出しで始まるこの歌詞。
「あの男」 とは、スペイス・オディティに登場するトム少佐の事。
かつて不遇のボウイを大スターにまで伸し上げた代表曲の登場人物、トム少佐を再び登場させた事だけでもファンには驚くべき事だっただろうけど、歌詞が進むともっと驚くべき事が歌われています。
Ashes to Ashes, Funk to Funky
We know Major Tom's a Junkie
Strung out in Heaven's High
Hitting an All-time Low
灰は灰に ファンクはファンキーに
みんなトム少佐がジャンキーだと知っている
薬漬けでハイになったまではいいが
今ではずっと最悪の状態
アポロ計画の相乗効果で大ヒットし、宇宙飛行士のテーマの様にポジティブ認識されてしまったスペイス・オディティ。
しかし、その主人公であるトム少佐は、実はただのジャンキーに過ぎなかった。
そんな告白の込められたアッシェズ・トゥ・アッシェズ。
これほど衝撃的な展開を迎えた楽曲というのは世界中探してもレアだろう。
だが、そもそもトム少佐はスペイス・オディティの時点で 「頭がイカレてる」 と暗示されていた訳で、勝手にポジティブなイメージに捉えてしまったのは大衆の側である。
歌詞をまともに読み解けば、決してトム少佐が英雄に描かれていないのは明らかで、ボウイの意図を全く汲まなかったメディアや大衆こそが悪だと言えるだろう。
だからこそボウイは、過去の象徴とも呼べるべきトム少佐の栄光に、自ら銃弾を撃ち込んだという訳だ。
ちなみに、「ファンクはファンキーに」 の部分を適切に翻訳するのは難しくて、色々な訳があちこちでされている。
独自見解で言うなら、Funkは音楽ジャンルである 『ファンク』 の語源を意図したものであり、怯えや逃げを意味するもの。
Funkyは現代訳だと 「イケてる」 とか 「素敵な」 って意味でポジティブな使われ方をしてるけど、そもそもは 「悪臭のする」 っていうネガティブな意味だった様なので、FunkもFunkyも語源的な解釈で置き換えると、「逃避すれば悪臭が漂う」 みたいな意味になる。
これはトム少佐がジャンキーだという告白を踏まえると、『逃避=麻薬』 という図式からしても非常に辻褄が合うし、『悪臭が漂う=後遺症が残る』 という解釈にも筋が通る。
又、これまたダブルミーニング的な捉え方をするならば、「怯えて逃げるほど称賛される」 という皮肉の様にも読み取れる。
まぁ、いずれにしても、トム少佐をただのジャンキーにしてしまう事でボウイの目論みは達成し、『破壊』 というロックのセオリーに新たな楔が打ち込まれた。
My Mother Said, to Get Things Done
You'd Better Not Mess with Major Tom
母は言う やり遂げなさいと
決してトム少佐に干渉してはいけないと
歌は最後に、このフレーズをリフレインしながらフェードアウトします。
かつて宇宙で孤立し、青い地球の美しさに見とれていたはずのトム少佐は、こうして人々から忌み嫌われるドラッグの廃人にまで叩き落とされました・・・創造主であるボウイ本人の手によって。
それはまるで、キリスト教における最後の審判。
ボウイは過去と決別する為、まさに最後の審判を実行し、自ら創造した 『ボウイワールド』 に破滅をもたらした訳です。
しかし、それでもボウイ自身の中にある過去が消せるはずもなく、彼の葛藤はその後も続きます。


話は少しズレますが、俺が初めて買ったボウイのアルバムは 『Changes Bowie』 という18曲入りのベスト盤でした。
ベスト盤の名の通り、スペイス・オディティ以降のシングルを中心としたヒット曲が網羅されているアルバム。
1990年発売なので、俺は中3・・・まさに音楽(=ギター)にハマり始めた頃ですな。
まだPCなんてマニア向けの高級品で、MP3どころかMDすら発売されていなかった時期だけに、中学生にとってわりと高価なCDは、何を買うかの選択にも覚悟が要ったし、買ったら買ったでそれこそ擦り切れるほど聴いてた訳です。
邦楽ならまだTV等で耳にする機会もあるけど、洋楽は音も情報も極めて少なかった時代、それはそれはアルバム一枚買うだけでも勇気が必要で・・・って、こんなの今時の若い子にとっては誇張した笑い話にしか思えないんだろうね、きっと。
でも、ホントにそれぐらい覚悟して買ったのがボウイのベスト盤で、国外アーチストの音に興味を持ってアルバムまで買ったのは、ボウイかザ・タイムか・・・どっちが先だったんだろ。
そうそう、前述した様に当時はまだ全然情報の少ない時代だったんだけど、TVの深夜帯は洋楽紹介番組なんかがちょいちょいやってて、俺も当時はTBSで深夜にやってたMTVジャパンをほぼ欠かさず観てまして(登校拒否状態で昼夜逆転生活が基本だったので)、それで洋楽情報を得たり、当時の最新PVを観たりしてました。
ちなみに、当時まだ全然注目されてなかったB'zを知ったのも、MTVジャパンで 『君の中で踊りたい』 のPVを観たからで、その後に大ヒットしてB'zがブレイクするきっかけとなった 『BAD COMMUNICATION』 も、俺はMTVジャパンでPVを観てる最中に購入を決め、その週末にはCDを買いに行ってました。
俺は登校拒否してるにも関わらず、結構な数のクラスメイト達とほぼ毎日会って駄弁ってたもんで、近場の連中にB'zのプロモーションをしまくってたのは懐かしい記憶。
あの頃、「な? B'z売れただろ?」 って鼻高々で自分のセンスの良さを自慢してた気がするけど、誰も俺のセンスを評価はしてくれなかったなぁ。
もっとも、俺以上に音楽に興味を向けてる奴って周りにほとんど居なかったし、当時の中学生の音楽センスはめちゃめちゃ低かったから無理もないんだけどね。
なんだかんだ、良い子ちゃんばっかりのクラスだったし。
閑話休題。
トム少佐と共に過去を葬ったボウイは、80年代をそれまでのカルト的でマニアックな路線から一気に転換させ、ポップなポピュラーミュージックの路線を突き進む。
多くのボウイファンはこれを受けて落胆し、「ボウイは終わった」 というムードに。
今思えば、それこそがボウイの狙いだったんだろうと解るけど、やっぱりボウイの魅力に取り憑かれて歴史を辿った時、80年代は余りにも大衆的過ぎて面白味が足りなく感じる。
とは言え、ポップならポップなりに変化をし続けたのがボウイという人なのだが。
90年代初頭のボウイは、88年に結成したバンド、ティン・マシーンでの活動に重点を置き、再び過去と決別すべく、ソロ名義でのラストツアーと銘打ったワールドツアーを敢行。
91年にはバンド名義での2ndアルバムもリリースするものの、バンド内の事情によって活動は頓挫する。
結局、バンドが再始動しないまま、ソロ活動に復帰する事になったボウイは、かつての盟友、ミック・ロンソンをゲストに迎えた新譜をリリースするが、アルバム発売直後にロンソンは他界する。
そして1995年、ベルリン三部作を共に作り上げたブライアン・イーノをプロデューサーに迎え入れ、新たなコンセプトアルバムを発表。
架空の猟奇殺人事件をモチーフに、『アウトサイド [1.OUTSIDE]』 と名付けられたアルバムには、再びあの男の存在が見え隠れしている。
(Hallo) Spaceboy
You're Sleepy Now
Your Silhouette is so Stationary
やぁ、スペースボーイ
とても眠たそうだね
君の影は身動き一つしない
こんな風に始まるのは、シングルカットもされたアルバム収録曲、『ハロー・スペースボーイ [Hallo Spaceboy] だが、アルバム収録版では具体的な名前こそ出てはいないものの、この曲の歌詞はトム少佐を登場させたかつての2曲と繋がりがあるそうだ。
まぁ、歌詞自体が全体的に抽象的で、比較的短いフレーズのリフレインで構成されているので、具体的に何を意味するのか、どこにトム少佐が隠れているのかは明確にされていない。
要するに、これもまた単純を装った複雑な歌詞な訳だが、洞察力と理解力、想像力を働かせれば確かに見えてくるものはある。
まず着目すべきは、そもそもアルバムコンセプトが猟奇殺人事件だという事だろう。
解り辛くなるので結論から言ってしまうと、ボウイがトム少佐を抹殺したのも殺人事件の一つだという解釈(恐らく半ばユーモアとして)をすれば、この楽曲もまた殺人をモチーフにしたものだと言えなくはない。
もっとも、ボウイがしたのはトム少佐を孤高のヒーローの座から突き落としただけで、廃人にはなったとしても殺すには至っていない。
まぁ、イメージを完全に転覆させたという意味で言うなら、トム少佐は死んだも同然にされてしまった訳だが。
次に、タイトルそのものも明らかに意図を感じさせるものがある。
Spaceboyを直訳すれば 『宇宙少年』 になるが、トム少佐が少年だというイメージは普通に考えてまず無いだろう。
但し、「トムはただのジャンキーだ」 という結論が示された事を前提とすれば、彼が本当に宇宙飛行士である必要も無ければ、成人男性である必要も無い。
ドラッグに溺れ、廃人同然のジャンキーが見た幻こそ、宇宙飛行士となった自分の姿なのかも知れない。
だとすれば、トムはトムという名前ですらないのかも知れないし、まだ幼さの残るティーンエイジャーだという可能性だってある。
まぁ、あくまでそれは可能性だけの話だが。
スペイス・オディティにおいて宇宙で孤立してしまったトム少佐は、アッシェズ・トゥ・アッシェズにおいてジャンキーだと判明した。
つまり、トム少佐が宇宙飛行士である事も、宇宙へ旅立って孤立した事も、それらは全てドラッグによる幻覚だったという解釈が適切になった。
もはや、トム少佐は少佐ではなく、周囲から忌み嫌われる 『ジャンキーのトム』 でしかない。
そんなトムを再び取り上げるのであれば、それはやはり 『トム少佐』 ではないだろう。
ボウイにとって、トム少佐はスター街道を照らす存在となったが、その後は自らの変化を妨げる邪魔者でもあった。
ようやくジギーというグラムスターを作り出し、トム少佐の影は身を潜めたが、ジギーを葬ればまたトム少佐が現れるという様なジレンマを繰り返しつつ、ボウイ自身は成長と進化を続けた。
やがてボウイが辿り着いたのは、あのトム少佐やジギーを過去として消化する事の出来た場所だった。
そして、そんな場所から原点を見つめ返した時、ボウイにはトム少佐が幼い少年の姿に映ったんじゃないだろうか。
だからSpaceyouthでもSpacemenでもなく、Spaceboyと表し、まるで子供に語りかける様に過去の偶像に挨拶をしたんじゃないだろうか。
つまり、「歌詞のどこにトム少佐が居るのか」 ではなく、歌詞の全体がトム少佐そのものを意味しているという事だ。
This Chaos is Killing Me
この混沌が僕を死に追いやる
これは楽曲内で象徴的に多用されているフレーズ。
恐らくこのセリフというのは、過去のボウイ自身を表したものだろう。
望まない固定概念、パブリックイメージを払拭する為、常に変化を余儀なくされ続けたボウイにとって、まさにこのフレーズはかつての苦悩の叫びそのものだったんじゃないだろうか。
そしてもう1フレーズにも注目。
Moondust will Cover You
月のゴミはあなたを守ろうとするだろう
これもまた象徴的に繰り返されるフレーズで、日本語訳するとより抽象的になるという・・・。
まぁ、全体的に抽象的な歌詞ではあるんだけど、これもまた着眼点次第ではヒントはしっかり隠されているのかなと。
特に注目すべきは 『Moondust』 の部分。
直訳で月のゴミ、あるいは月のクズとなるんだけども、これは恐らく熱狂的なボウイ信者を暗示したもので、やはり誇大化された偶像であるジギー・スターダストとも架かっているんだと思う。
つまり、ジギーがスターダストならば、その熱狂的フォロワーはムーンダストだ・・・みたいな。
で、そんなフォロワーを指して、「彼らはきっと君の事(トム少佐)をも守ろうとするだろう」 という解釈が出来る。
最初から通した解釈をすると、ボウイ自身の中ではトム少佐やジギーは既に過去として消化された存在になったけれども、そんな過去の偶像を崇拝し続けている人々(あるいは過去のイメージを固定観念にしている人々)の中においては、いつまでも自分の過去は過去として消化される事はないんであろう・・・みたいな意味じゃないだろうか。
個人的には非常に的確な解釈が出来たと思えるんだが・・・少なくとも解釈の大半はほぼ正解だと思ってるんだが、その辺りはボウイにしか解らない部分かも知れない。
ちなみに、アルバム収録版では具体的にトム少佐を臭わす部分は無いと前述したが、リミックスバージョンには 「Ground to Major Bye Bye Tom」 というフレーズがコーラス的な演出で入っているので、この楽曲がスペイス・オディティやアッシェズ・トゥ・アッシェズの延長線上にあるのは間違いない。
アウトサイドのリリース後も、ボウイはコンスタントにアルバムをリリースし続け、2003年までその安定した活動は続けられた。
しかし、ワールドツアーの途中で動脈瘤によりダウンすると、その後は10年もの間、表立った活動を行わなかった。
引退説や重病説が囁かれる中、2013年の1月8日、ボウイの66歳の誕生日、唐突に新譜のリリースが公表された。
そしてそれから3年経った今年、奇しくも日本語読みで 「ロック」 とも読める69歳の誕生日を迎えたボウイは、新譜のリリースで再びファンを喜ばせた直後、たった二日の69歳を過ごしただけでこの世を去った。
一年半の闘病という事から逆算すると、ガンは2014年の半ば辺りには判明していたという事になる。
あるいは、10年振りの新譜をリリースした2013年の頃にも、ガンとの闘病があったのかも知れない。
ひょっとしたらそのずっと前から闘病した時期があり、克服と再発を繰り返していた可能性も決して低くはない。
まぁ、憶測で苦しんだ期間を長く捉える必要もないんだが、余りにも長すぎた沈黙と、突然の活動再開という動きから考えてしまうのは、どうしても平穏無事な生活ではなくなってしまう。
別に悲観的に捉えたい訳じゃないんだが、我々が知る期間以上にボウイが闘病していたのだとすれば、それも含めて彼を賛美したく思う。
ボウイの訃報に大声を上げた後、何度も情報確認をしてそれが事実であると認識した。
どれぐらいだろう・・・それから少しの間、ほとんど何もしなかったというか、まともに出来ていなかったと思う。
作業途中だった事も手が止まり、結局は続ける気分になれなくて切り上げた。
その後、時間的に大音量って訳にはいかなかったけど、彼を苦悩させた偶像の一つでもあるジギー・スターダストを掛けた。
ロンソンのギターに乗る若かりしボウイの声はやっぱり良い。
何故か日本人ウケが良い事で知られる 『スターマン [Starman]』 が流れ、ふと一緒になって歌い出した途端に泣けてきてしまって、最後の曲までとうとう涙が止まらなかった。
「こんな泣けるほど大ファンだっけ?」 って自分でも意外だったけど、多分どっかで 「ボウイぐらいになると永遠に死なないんじゃないか」 みたいな過剰な思い込みはあったのかも知れない。
そんなはずはないし、むしろこれからは自分にとってのヒーロー世代が次々と死んでしまう頃合で、こういったショックを何度も味わう事になるんだなと、そんな当たり前の事を再認識したら、やっぱり俺は長生きなんかしたくないとも思ったね。
去られるよりも去る側の方が幸せだしね。
っていうか、ガキの頃の予定だと、俺は長生きしてもせいぜい30代で死んでたはずなんだけどw
困った事にまだへっちゃらで生きてますよ、俺様。
心身共にくたびれまくってポンコツなわりに、変に色々ある人生を送ったせいで無駄にタフなんだよな、これきっと。
さて、昨日の夜に書き始めた記事だったんだけど、気付けば久々の長文で朝どころか昼にまでなりました。
相変わらずまとめ下手です、ハィ。
ボウイの遺作、ブラックスターは全曲が公式でネットにUPされてて、多分それはボウイから世界中のファンへのギフトなんだろうな。
そうそう、そのブラックスターについて最後に触れないといけないんだった。
PVを見れば序盤で気付く様に、これは明らかにトム少佐(=自分自身)に対する本当の意味でのレクイエム。
もはや肉体を失くして白骨化したトム少佐の亡骸は、怪しげな儀式を以って弔われてます。
これが自らの死を目前にしたボウイの答え。
この記事で長々と解説してきたボウイの過去の全てが、このPVに集約されてます。
迷いも葛藤も無く、辿り着くべき場所へと自然に辿り着けた作品だったんじゃないかと、ようやくそんな風に作品を完成させる事が出来たんじゃないかと、そんな風に思えて仕方無いPV。
どうしたって陽気な楽曲にはなってないけれども、自らのキャリアと戦い続け、変化の限りを尽くしたボウイの終着点としては、誰しもが納得する結果なんじゃないだろうか。
Oh, I'll be Free
Just Like That Bluebird
ああ、俺は自由になる
あの青い鳥の様にね
アルバムからの先行シングルにして最後のシングルとなった 『Lazarus』 より。
今きっと、ボウイは穏やかな笑みを浮かべているだろう。
Rest in peace.