ほぼほぼ呪怨な映画れびぅ | weblog -α-

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なんとな~く  思いつきで  好き勝手に  (=゚ρ゚=) ボヘー  っとやってます。


うむ・・・眠い!
という訳で、朝から頭痛でグダグダのまま一日過ごしてしまった俺です。
頭痛薬飲んだの数時間前です・・・おそ!!
もう一周回って朝になろうという頃合だというのに・・・だ。
まぁ、いつもの如くの疲れ目どいひー頭痛なので、バファリンで血の巡り良くなればOK。
・・・そうです、これは無駄話です。
ってな訳で、今回も映画レビューでごわす。
タイトルにもしましたが、ほぼ呪怨です。
別にそういうつもりでも無かったんだけどね、なんとなく清水崇作品を立て続けちゃった流れで呪怨祭りになったよね。

・・・ハィ、数十秒ほどボケ~っと呆けてしまったので、とっととUPして寝ま~す。
例によって、ネタバレ上等でございますですよーーーっと。
おやすむー。


呪怨 [ビデオ版]
呪怨 [ビデオ版]
製作国:2000年 日本
監督:清水崇
評価: 6点 (10点満点)

『リング』 と並んで近代日本ホラー映画の代名詞となった和製ホラーシリーズの一作目。
まぁ、リングと呪怨の二大巨頭は誰しもが知るところで、ホラー嫌いの人ですらタイトルぐらいは知ってたりするだろうし、ホラーアイコンとして登場する 『貞子』 やら 『伽椰子』 の名前もかなり有名になった。
90年代辺りから始まった 『Jホラームーブメント』 の中で、前述したリングと、この呪怨のシリーズは大ヒット作となり、日本独自の 『恐怖』 の感覚は欧米でも非常に注目され、ネタや演出に枯渇していた海外メディアに多大な影響を与えた事実がある。

このビデオ版の呪怨は、当然ながら呪怨シリーズの第一作目・・・なんだけども、後に劇場版が同タイトルのまま公開された事もあって、シリーズ作としては若干解り辛い並びになってしまっている。
ちなみに、ビデオ版の一、二作目に続いて劇場版の一、二作目があり、スピンオフ的な 『呪怨 白い老女』 『呪怨 黒い少女』 を挟んだ後、最新作の 『呪怨 終わりの始まり』 という並びになっている。
つまり、ビデオ版2作、劇場版2作までが一応の区切りとなり、その続編となるエピソードが最新作・・・という流れ。
まぁ、アレですね・・・もうやめとけよ的なお約束のアレです。

ってな訳で、シリーズモノなんで前置きが長くなりましたが、この呪怨シリーズはとにかくこのビデオ版が大事なんですな。
つっても、なんだかんだ今まで観る機会が無かったんだけどw
「呪怨はビデオ版が一番怖い!」 というのはホラー映画ファンの中では通説ってやつで、それを観ずして呪怨を語るなって事だった訳ですよ。
劇場版に関してはしっかり観てたんだけど、噂に聞くビデオ版を観てなかったもんで、総体的な評価ってのを今までして来ませんでした、実は。
なので、これでようやく俺も呪怨を語れる条件が整いまして・・・何年越しだよっていう。

呪怨 [ビデオ版]

物語は、小学校の教師である小林俊介が、登校拒否児童である佐伯俊雄の家を家庭訪問する事から始まる。
俊雄の母親である佐伯伽椰子は、大学時代に自分も妻の真奈美も顔見知りだった人物だと俊介は気付くが、ただの偶然か、同姓同名の別人だと思ってさほど気にせずにいた。
とある放課後、佐伯家を訪ねた俊介だが、いくらチャイムを押しても返答が無い。
留守にしては妙だと感じた俊介が裏手を覗くと、浴室の窓、格子の間からだらりと両腕を出し、覇気の無い俊雄が居た。
その様子に違和感を覚えた俊介は、勝手ながら家に上がり込み、俊雄の両親を待つ事にしたが、やがて奇妙な声を耳にする・・・。



ってな感じで、すっかり白塗りブリーフ少年wとして有名になった俊雄君も、作品冒頭では普通に生きた少年の姿で登場してます。
もっとも、物語的には既に死んでいるという設定らしいんだけども、「幽霊が寝るか?」 っていう違和感がありまくりなので、個人的には完全に死んでいるという状態とは違うと捉えました。
んで、肝心の伽椰子さんはですね、まず死体で登場します。
これはモンスター化したものじゃなく、明確に人間の死体としての登場です。
そんなこんなで、俊介はその後登場するモンスター化した伽椰子に殺されてしまう訳なんだけども、このビデオ版が怖いというのは、要するに理不尽極まりないんですよ、関係者が次々殺されてしまう事が。
そもそも、伽椰子は大学時代から俊介のストーカーで、かなりキチガイな日記を書き残してる訳です。
で、それを発見する事で、俊介はようやく伽椰子の想いや異常性を知り、ガクブルっちゃう訳。
それだけでも充分キツいのに、怨霊と化した伽椰子はもはや何でも出来ちゃうスーパーミラクルモンスターウーマンですからね、憧れの小林クンを我が物にしちゃう訳ですよ、簡単に。
世の中で一番の最悪なストーカーって、そりゃストーカー自身がこの世のもんじゃない事ですよ。
なーんでも出来ちゃうし、どこにでも現れちゃうし、ぶん殴る事すら出来ない存在だもんね、反則も良いトコですよね。

さて、そんな反則上等な伽椰子さんは関係者を次々と殺しちゃう訳で、事件後に家を借りた住人ですらも 「この家に住んだらお前も関係者じゃ!」 とばかり、次々と殺しまくり。
とにかく傍若無人、自己中、抜け目無い。
『ガチのキチガイが幽霊になると最強』 という話なんですな、このシリーズはつまり。

そんな感じで伽椰子はかなり恐ろしい存在ではあるんだけども、この作品の評価が高いのは、結局 「伽椰子怖すぎ!!」 っていう理由じゃないんだろうなと。
だって、無敵モンスターが怖いんだったら、ジェイソンだってフレディだって同じな訳ですよ。
なんでも出来る存在は確かに脅威だけども、それは言ったら 「怖くて当たり前」 でね、そこがデフォルトになってしまうと、むしろ何をやっても怖くなくなったりする訳。
例えるなら、いかにもなヤクザが人ゴミでドスをチラつかせたら確かに怖いけど、いかにもな風貌をしてる時点で、それを認識した人々は 「あ、怖そう」 って当たり前に身構える訳ですよ。
つまり、ドスをチラつかせたところで、ある意味、想定内の事と認識する訳で、怖さの程度としては想定された分だけ下がってしまう事になる。
じゃあ、それがいかにもなヤクザじゃなく、ごく普通のサラリーマン風の人だったらどうなるかというと、それは誰しもにとって想定外の出来事な訳で、身構える余裕が無い分だけ恐怖度は増す事になるんですな。
要するに、「こんな奴って怖いよね」 という解り易い存在っていうのは、「どうせ何かやるんでしょ?」 という想定が出来てしまう分だけ怖くなくなるって事。
この作品において一番怖さを感じさせる存在というのは、生前のキチガイな伽椰子と、伽椰子や俊介の妻を惨殺した伽椰子の夫・剛雄なんですな。
無論、伽椰子はモンスターと化してしまうんで存在としての怖さは半減してるけど、剛雄の狂いっぷりは尋常じゃないレベルなんで、人が人を恐れるって意味で最強に怖い。
『人間だからこその恐怖』 って事で、物凄くリアリティのある脅威は剛雄なんですね、実は。
そういう意味で言えば、モンスター伽椰子が剛雄に復讐する事に若干の救いがあったりするというね・・・救いにゃ見えないけどw

さて、作品としての出来という部分で言うと、さすがに粗が目立つというか、かなりチープ過ぎる演出が多いなと。
あと、カメラアングルにかなり違和感を覚える部分も多かった。
古典的な演出とか多用してるから、確かにそれっぽくなってはいるんだけども、その事が逆にチープさを際立たせてる部分が多いんだろうね。
言うなれば漫画みたいな画面構成が多くて・・・確かに漫画ならそれでアリだけど、映像作品としてそれはどうよ?みたいなツッコミどころはあちこちにあった。
見せ方が下手というか、演出は悪くないけど表現が宜しくない的なね、そんな感じはした。
ただ、時間軸を章立てで入れ替える事による見せ方は秀逸。
大基の事件である佐伯家の話と、その後に越して来た村上家の話が入れ替わりつつ進行するんで、現在と過去が若干解り辛くはあるんだけど、時間軸通りに展開するとあれほどのインパクトは無かったと思う。
でもやっぱり、不自然な演技やら演出は目立ちすぎで、かと思えば、過去に伽椰子の死体が隠されてた部屋での現在のシーン、村上柑菜と由紀のやり取り辺りは妙に自然だったりして、総体的なバランスの悪さが尚更際立ってたのかなと。



あと、これは和製ホラーあるあるの一つなんだけど、雰囲気を出す為に不用意に舞台の照明を落としてたりするのは物凄くマイナス点
例えば深夜の病院がやたら暗かったり、この作品だと放課後の学校の職員室が暗かったりするけど、実際の状況では絶対にあり得ないシチュエーションな訳よね。
病院なんかは深夜こそきっちり廊下を明るくしてたりするし、学校も人が居る以上は煌々と照明を点けてるのが常識。
柑菜と久代の遺体が検死された後の安置所のシーンも、右下からのピンスポしか照明が無くてめちゃめちゃ暗い。
どれも雰囲気を求めての事なのは充分解るんだけど、雰囲気出したいが為にリアリティ台無しにしちゃうのは一番ダメな事なんですよ、ホラーにおいては。
何故なら、ホラー映画は映像作品であって、お化け屋敷ではないから。
要するに、そういった演出って古典的な手法ではあるけど子供騙しな訳で、真面目に怖い作品を作ろうとしてる人のやる事じゃない
確かにそういった演出で怖がる単純な人も大勢居るだろうけど、結論から言えば手抜きみたいなもんなんですな、それって。

とまぁ、この作品は2に直結な話なんで、この続きは2の方で。


呪怨2 [ビデオ版]
呪怨2 [ビデオ版]
製作国:2000年 日本
監督:清水崇
評価: 6点 (10点満点)

ハィ、引き続き、呪怨の二作目。
前述したビデオ版一作目と直結した物語・・・というか、序盤30分ほど(全体の半分近く)が前作の使い回しです。
2から観始めた人にとっては構成として話が解る作りではあるけど、単なる尺稼ぎと言えばその通りだろうなと。
無論、それ以降は新たな展開も描かれてはいるんだけども、前作も今作も長尺じゃないんだから、まとめて一本にすべき作品なのは明らか。
まぁ、製作サイドの都合というか、大人の事情ってのも諸々あったんだろうけど、総体的には絶対1本の作品にまとめた方が評価は高くなっただろうなと。
とにかく、75分作品の前半30分が前作の使い回しってのはダメだよね。



物語は、前作の終盤で登場した不動産屋の鈴木達也と、霊感のある妹の響子が柱。
佐伯家の事件と村上家の事件があった後、件の事故物件を取り扱ったのが鈴木達也の営む不動産屋。
妙な噂が広まって買い手が付かない事故物件をなんとか売りたい達也は、霊感のある妹の響子に一度見てくれないかと持ち掛け、渋々それを引き受けた響子。
いよいよ現場の家へ着くと、響子は余りにも異様な存在を感じて恐怖する。
そんな頃、達也の一人息子である信之は、両親の離婚によって新たに越して来た家の中で恐ろしい体験をしていた。
達也と信之の移り住んで来た団地の一室は、佐伯家の事件の際、小林俊介の妻である真奈美と、その胎児が惨殺された現場だったのである。
そして、件の事故物件には新たな買い手が付き、北田という夫婦が住み始めたが・・・。

という訳で、伽椰子の怨霊が次々と関係者に襲い掛かり、連鎖的に事件が起きまくるこの続編、ある意味、気持ち良いぐらいの伽椰子パワー炸裂で、やりたい放題過ぎて最終的には笑えてきますw
まぁ、前作同様、漫画的な演出はやっぱり多いんだけど、物語として前作よりもハチャメチャになってる分、そういった演出の粗は目立たないかな。
次から次と伽椰子の影響が出るのは、追い討ちの連続で純粋に面白い。
なんというか、たかだか一匹の蚊を潰すのに、手で叩き潰すだけじゃ飽き足らず、ハンマー持ち出した挙句にロードローラーで轢き潰す的なw、そういうバカっぽさすら窺える伽椰子の存在感は見事。

前作で評価の高かった生々しい恐怖、人間の恐怖という部分で言うと、今作は残念ながらかなり少なくなって、伽椰子や俊雄のモンスター的な恐怖がメイン。
中盤、新たな住人となった北田夫婦の妻が、食卓で夫を撲殺するシーンがあったりして、恐らくそこで前作みたいな人の怖さを出そうとしたんだろうけど、それは思いっきり失敗してるよね。
確かにモンスター伽椰子じゃなく人間の行動として旦那を撲殺してるけど、そこに理由付けが全く無い以上は黒幕に伽椰子が居る訳で、操られての行動だとしたら生身であろうと怖さは出ない。
佐伯家の事件では嫉妬に狂った剛雄の言動であるとか、伽椰子のストーカー気質そのものが生々しい恐怖だった訳で、それは生きた人間の持つ恐怖な訳よね。
北田夫妻の場合はそれと全然違ってるし、そもそも、お手頃サイズのフライパンを成人女性が力一杯振り下ろしたところで、たった一撃で成人男性が死ぬはずもなくw、クリティカルヒットしたとしても数秒後に気絶するのが関の山でしょう。
直後に痙攣して死ぬなんて演出は幼稚すぎだし、もしそう見せたいんであれば、もっと特殊な力の介入を演出するだとか、無機質に連打して大量出血させるだとかしないとダメ。
長渕剛のヤクザドラマであった撲殺シーンの方がよっぽどリアルですw



伽椰子の呪いは最終的に、村上家の事件を担当した刑事達にまで影響して、それはもう理不尽でハチャメチャなんだけども、劇中に登場しない人物に関しても、かなりの数の被害者が出てる様子。
んで、何故か唯一無事に生存してるのが不動産屋の鈴木の息子・信之だけで、そこに何かしら理由があるのかと思いきや、そんなもんは全く無くw、学校で伽椰子軍団に襲われてしまうという・・・ってか、軍団ってなんだよって話なんだけどさ。
いや、ホント、このラストは完全に笑わせに掛かってるとしか思えないんだけど、何故か伽椰子がワラワラ出て来るのよね、最後になって。
「ナンボほどおるねん!w」 って声に出してツッコミましたよ、あたしゃw
いや、面白いけどさ・・・オチで面白くしてどうすんの?っていうw
そこが狙いといえば狙いだったんだろうとは思うけどね、「これ、良いのかなぁ・・・」 っていうお節介な心配はしたよね、ホラーとしてw

まぁ、そんなオチがあるだけに・・・という意味でなんだけど、信之の章の前に刑事達のエピソードがあって、やっぱり伽椰子に襲われる訳ですよ、彼らも。
しかも警察署内で襲われるって話なんだけど、そこって怖さという観点においては物語のピークな訳ですよ、その後は信之の章で笑わせに掛かってるから。
だからこそ、そこはもっと丁寧に作って欲しかったな~っていう感じがあって、非常に勿体無い気がした。
前述したけど、怖さって 『=リアリティ』 なんですよ。
ここで言うリアリティってのは、何も完璧なリアリズムを示してる訳じゃなく、「無駄な違和感を与えない」 ってのがキモな訳。
つまり、現実と非現実の対比ありきで怖さを演出する訳だから、現実の部分は出来るだけリアルに作り上げる重要性があるんですな。
この作品の場合、非現実を象徴するアイコンは伽椰子だったり俊雄といういかにもな存在。
そんな非現実が現実の流れの中に唐突に挿し込まれるからこその恐怖なんだから、ベースとなる現実の部分は丁寧に繊細に作り込む必要が絶対にある訳。
それって難しい事の様で実はそうでもなくて、要するに現実社会で日常的に見かける事、やっている事をそのまま再現するだけで良いはずなのね。
ところが、こういった映像作品なんか作る人達ってのは、どうにも派手な部分ばっかり考えて、日常の細かい部分を蔑ろにし過ぎる傾向がある訳ですよ。



警察署内のシーンで言うなら、女性警官が刑事に対して 「お客さんがお見えになってます」 って言いに来るんだけど、その客ってのは伽椰子だとすぐ気付く訳。
「この人・・・もうとっくに死んでるよ?」 と刑事が告げる背後で、当の伽椰子がもう一人の刑事の居る部屋へ入ってくんだけど、しっかりドア開くんだよね。
低予算で当時の技術的にも難しかったのは解るんだけど、なんでもござれで関係者を殺しまくってる伽椰子さんがですよ、いちいちドアなんか開けてどうするんだとね、そういった違和感を覚えちゃうんだな、どうしても。
壁ぐらい余裕で抜けられるはずだし、そもそも歩いて登場する必然性だって無いだろ、お前・・・っていう。



んで、伽椰子が入ってった部屋からもう一人の刑事が飛び出して来る訳なんだけど、その部屋を調べに行った刑事がきちんとドア閉めるのね・・・これが物凄くダメ。
そんな状況でいちいちドア閉めるとかあり得ないし、それに続いて部屋に入ってく女性警官もやっぱりドア閉める訳よ・・・ダメダメだ。
つまり、そういう細かいリアリティをしっかり押さえないとダメで、話的には別にドアは開きっぱでも全然構わないシーンだったはずなのね。
どうせ伽椰子に襲われる刑事は廊下で一人になる訳で、他の二人から見えない位置関係にあれば問題は全く無い訳ですよ。
言わば、そのドアさえ閉めなければ何の違和感も無く進んだはずなのに、ドアを閉めてしまった事で台無しになってるという事。
物凄くコアな話になっちゃうかも知れないけど、この細かい一つの行動・動作が持つ重要性に気付くかどうかが作り手のセンスなんだと思うんだよね、俺は。
決して清水崇批判では無いけど、そこに気付かなかった事、回りのスタッフも指摘しなかった事は、センスという点において総体的な日本映画人の詰めの甘さを物語ってる様な気がする。
だって、それって金銭とかCG技術とかの問題では全く無い訳だからね。

とまぁ、長く語ったけども、和製ホラーという意味では良く出来た作品だと思うし、リングシリーズほど物語に深みは無いまでも、単純に日本伝統の怖さを表現してるのは評価すべきところだと思う。
とりあえず、今後、リングシリーズみたいにただのクソバカ映画にならない事を祈ります・・・。


魔女の宅急便
魔女の宅急便
製作国:2014年 日本
監督:清水崇
評価: 4点 (10点満点)

ジブリ作品でお馴染み、角野栄子原作による児童書の実写映画化作品。
ホラー畑のメジャー監督があの魔女宅を撮る!?という事で話題性はあったけども、いざ公開されてからは全く話題に上らなかったという・・・まぁ、予想外では無かったけども。

物語自体はジブリのアニメ版を観てる人が大多数居る作品なので、実写化に際しての印象が悪くなるのは必然的だろうし、映画ファンならそういった部分をさて置いて観られる懐の深さは当たり前に必要。
無論、俺も実写化の話を知って、しかも監督が清水崇と聞いて 「んぁ!?」 となったクチだけども、作品は観てナンボだからね、あえて期待せず、「どうなる事やら・・・」 的に構えてました。
さて、いざ蓋を開けてみると、個人的には思ってたより全然マシだったというか、それなりにちゃんと作ってある印象。
もっとチープだったり、とっ散らかった話になってるのかと思いきや、わりと保守的で上手い具合に着地させてるんじゃないのかなと。

この作品のレビューに当たっての問題は、原作を読んでないって事なんですよ。
多分、ほとんどの人がそうだろうし、ジブリ版を観て 「これぞ魔女宅」 と思い込んでる人だらけだろうから、そこできちんと割り切りというか、切り替えが出来ない人はレビューしちゃダメなんだろうなと。
つまり、原作モノはあくまで原作最強な訳で、先のアニメ版がいくら上等でキャッチーだったりしても、そちらを軸にした評価を下すのは筋違いだって事ですよ。
解り易いところで言うなら、スティーヴン・キング原作の 『シャイニング』 ね。
キューブリックが監督した劇場版は、勝手な改変で原作者のキングにボロクソに言われまくったけど、映画版は映画版として非常に人気が高くて評価も高い現実がある。
それはつまり、キングの原作を尊重した上で、キューブリックの感性もそれはそれで評価に値する・・・という観る側の正直な意見・評価な訳よね。
一律に並べて良い悪い言うんじゃなく、それぞれ別のアプローチとしてどうなのかって事。
つまり、この実写版の魔女宅にしても、気持ちは解るけどジブリのと比較して評価するのは完全に筋違いって事。

で、原作を読んでないのがネックになるのは、どこまで原作に忠実なのかが解らない点。
無論、先に述べた様に原作と映像化作品は別物なんだけど、内容のリンクが解ってないと、全く素っ頓狂な指摘をしてしまう可能性が高くなってしまう懸念があるのよね。
この実写版で言うなら、歌えなくなってしまったタカミ・カラというキャラは原作に登場する人物なのかどうか・・・とかね。
要するに、映画化でオリジナル要素を加える事は必ずしも良い結果に結び付く訳じゃないんで、それが無駄な付加だったのか、それとも原作をなぞった結果の事だったのかが解らない訳ですよ、原作を知らないと。



とまぁ、そんな言い訳チックな事を踏まえつつのレビューなんですが、物語自体は概略的にほぼジブリのアニメ版と同じです。
魔女の娘が掟に従い修行の旅に出て、見知らぬ街で心身共に成長する話。
とは言え、細かくはアニメ版とかなり違う部分も多いし、登場人物のイメージも違ってたりするんだけど、ヨーロッパ風ながら無国籍だったアニメ版と違ってかなり日本を意識した舞台になってるんで、その辺りで 『根本的に別物』 という部分は解り易いのかなと。
つまり、アニメ版の実写リメイクではなく、原作の実写映像化作品だって事ですよ、あくまで。

さて、物語の序盤と終盤、空撮映像の風景にめっさ見覚えが・・・。
灯台とその先の小さな入り江・・・間違い無く去年の春に行った場所。
昨年、家族会議を兼ねた初の家族旅行で足を運んだ南房総。
その帰りにたまたま立ち寄ったのが洲埼灯台でした。



その時は何の意識もせずに近場に見える入り江を眺めてたんだけど、まさかそこがこの映画の舞台としてそのまま出て来るとはね。
まぁ、個人的に 「お?」 っとなりましたってだけの事なんだけどw



アニメ版同様、キキが住む事になるのは高台にあるパン屋の裏手。
妊婦でチャキチャキな感じながら面倒見の良いおソノさんに気に入られ、裏手の屋根裏部屋を使わせて貰う事になるんだけど、このおソノさんを尾野真千子でキャスティングしたのは見事。
アニメ版ともイメージが被るし、キャラクター的に無理が無いのも凄く良い。
キャスティングで言うなら、そもそもキキ役の小芝風花はどうなのかって話よね、きっと。
個人的に別に悪い配役だとは思わなかったし、演技自体も良かったと思うんだけど、キキのイメージとしては少し現代っ子過ぎた感はある。
なんというか、もっと童顔で幼い印象のビジュアルと、とにかく田舎者で世間知らずな感じが前面に出てる方がそれっぽかった気はする。
今時の13歳じゃなく、一昔前の13歳の印象だよね、キキって多分。
だからこそ、キキが海を見てはしゃぐシーンだとかは無邪気さを演出してるんだろうけど、いまいちその無邪気さが活きてないというか、田舎者臭さが出てないっていうね・・・都会っ子なんだよね、どうしても。



他の登場人物で言うと、やっぱりトンボのイメージが全然違うっていう。
アニメ版のトンボは無邪気すぎるほど飛行機バカだったし、それだけに純粋さとか素直さが出てしまう子だったけど、この作品でのトンボは 「趣味で飛行機作ってます」 程度の変人に描かれてる。
解り易く言うなら、アニメ版のトンボって、変人でも嫌われたりイジメられるタイプではないんだけど、この実写版のトンボってのは、むしろ嫌われたりイジメの対象にされそうなタイプ。
この印象の違いってかなり大きいと思うんだけど、原作を知らないからどっちが忠実なのかが解んないんだな、結局。
ちなみに、この作品で唯一ミスキャストだなと感じたのは、地元ラジオのDJ役(つまり声のみの出演)のLiLiCo。
別にLiLiCoが嫌いって訳でもないんだけど、構えすぎた喋りが全然ハマってなかった。
普通に現役でDJやり慣れてる様な人を何故使わなかったのか、非常に疑問。



あと、アニメ版には無いエピソードとして、クリーニング店の話とか、動物園の話、歌えなくなった歌手のタカミ・カラの話がある。
それらも原作にあるのかどうなのか解らないんだけど、タカミ・カラのエピソードは余りにも中途半端だった印象。
一応、トンボ救出エピソードが無い代わりに、クライマックスで動物園とタカミ・カラの話が同時に絡んでは来るんだけど、正直、「なんだかなぁ・・・」 という。
しかも、そこで登場する名医役が浅野忠信っていう・・・なんだか色んな映画にチョイ役で妙なキャラとして登場しすぎじゃねぇのか?浅野忠信・・・っていうw
悪い役者じゃないんだけど、なんであんな使われ方ばっかりなんだろう、あの人w
出オチ芸人みたいな立ち位置じゃんねw

まぁ、総体的には決して悪い仕上がりじゃなかったと思うんだけど、もっと大人味に作って欲しかった感はあるかな。
無論、元々が児童書だから仕方無い部分もあるんだろうけど、日本は何でも子供に見せたいと思うと子供向けにハードル下げすぎる傾向が強いからねぇ・・・それはむしろ逆効果だと思うんだけど。
ただ、まぁ、昨今のファンタジーな邦画としてはそれほど悪くないですよ、うん。
ジブリ版という高いハードルを覚悟の上で作ったという点においても、逆風の中、実写でここまで出来たら上等じゃないのかなと。
とは言え、映画という大きな括りで言ったら全然ダメだけどね。



あ、そうそう、猫キチとして一番大事なジジの事なんですが、フルCGでなかなか良く出来てました。
但し、ちょっと痩せすぎ。
猫の肉感としてはもう気持ち丸っこくしつつ、黒猫の魅力である毛艶もちゃんと描いて欲しかった。
あと、耳が小さすぎるのも減点。
耳はちょっと大きめぐらいの方が可愛いんだよ、猫は。
んで、実写版はちょっと無駄に喋りすぎ。
無駄口は叩かず、クールにボソッと的確な指摘をするのがジジの正しいあり方だと俺は思いますw
田舎者のキキの方がもっと喋らないとダメよね、むしろ。
いちいちカルチャーショック受けて一喜一憂する忙しい子なんだから、キキって。

ちなみに、この作品以前にも実写化の話はハリウッドで持ち上がってたそうですが、確実に駄作になるから実現しなくて良かったよね。
ハリウッドじゃ絶対無理だもん、この話は。
北欧とかの泥臭いヒューマンドラマ作れる国だったらね、ある程度マシな感じに仕上げてくれそうだけど。


呪怨 黒い少女
呪怨 黒い少女
製作国:2009年 日本
監督:安里麻里
評価: 2点 (10点満点)

『呪怨』 シリーズの番外編として作られた一作。
後に述べる 『呪怨 白い老女』 と同時上映で、二作とも時間軸や登場人物に関連性はあるものの、本筋の呪怨のストーリーと直結した話ではない。

物語は、看護師の裕子を軸に、入院患者の少女・横田芙季絵の一家とその周囲の人々が、次々と謎の現象に襲われる話。

え~、物語云々の前に、この作品の前半部分は若手役者の演技がド下手すぎてイライラします。
その上、演出も酷いもんだから尚更安っぽくなってて、見せ方という点においても非常に下手。
監督・脚本の安里麻里という女性、最近では 『劇場版 零 ゼロ』 を撮った事で知られてますが、勉強不足かセンスが無いのか、とにかく 『怖さ』 というものを理解してらっしゃらない。
特に日本独特の怖さの感性というのは海外のそれとは別モノで、言葉や文字では表現し辛い部分。
つまり、それをしっかり感じ取って理解してなければ、こういった作品で表現する事自体が無理なんですよ。
要するに、監督が理解していないからこそ、この作品でも全く的外れのアプローチばかりしてるんだろうなと。

後半は横田一家と横田季和子の妹で霊感のある真理子を軸にした話に展開して、演技自体は前半より自然で過度の違和感こそ無いものの、今度は内容の安っぽさや薄っぺらさが際立つ。
まぁ、総体的に駄作と言ってしまえば身も蓋もないんだが、物語として余りにもチープ過ぎる。
ふた昔ぐらい前のサスペンスドラマみたいな展開と、子供向けホラー漫画の様なムード・・・これはさすがに戴けない。
で、最終的に 「これが怖い」 という芯の部分が無いまま終わって、物語としても全然着地していない。
「何がしたいの?」 と首を捻らずにいられない訳だが、そもそもこの監督にこの作品を撮らせたという事が間違いだと言い切れるので、その責任の全てを未熟な監督に押し付けるのも違うんだろう、きっと。

余談だが、この作品の主演はあの加護亜依という事で・・・彼女の背景やらを想像したらよっぽど怖かったり
んで、横田季和子役が元AV女優の高樹マリアって事で、多少あんあん言うシーンでもあるのかと思いきや、あんあん言ってたのは加護ちゃんの方でしたw
ってか、わざわざああいうのを加護ちゃんにやらせる辺り、女の陰険さを感じさせるよね、監督の。
それと同時に男も一括りでバカにしてる感じってのがあるしさ・・・感じ悪いわ、この監督。
(=ーдー)、ペッ


呪怨 白い老女
呪怨 白い老女
製作国:2009年 日本
監督:三宅隆太
評価: 4点 (10点満点)

『呪怨』 シリーズの番外編として作られた一作。
上記の 『呪怨 黒い少女』 と同時上映で、内容自体もリンクしている。
時間軸的に、黒い少女の後の話となる。

物語は、7年前に突然失踪したタクシー運転手の娘である柏木あかねと、あかねの小学生時代の友人・未来の周辺で起きる出来事を描いたもの。

同時上映である黒い少女との一番の違いは、こちらは物語にしっかり背骨がある事。
つまり、根本の事件ありきで怪奇現象やらが起きてるという理由付けが明確なので、ただ闇雲にそれっぽく作ってる訳じゃないという点。
それから、黒い少女同様に霊的な怪異は起きるものの、ビジュアル的な怖がらせ方が主ではないという点も非常に大きい。
無論、登場する白い老女はビジュアル的なインパクトを狙ったものであろうが、それ自体の怖さは挨拶程度で、むしろ生きた人間達の壊れ行く様であったり、行為そのものの怖さが際立つ。

かつて横田真理子一家が惨殺された家へ越して来た磯部一家が物語の主軸で、中でも最終的に家族を惨殺して自殺する長男・篤を演ずるムロツヨシの怪演は、ファンならずとも一見の価値アリ・・・と言ってもかなりグロいからアレだけどw
とにかく、不気味で謎で霊的な存在の脅威ではなく、霊障を受けているとはいえ生身の人間である篤が引き起こす連続殺人こそが、劇中で一番の怖いシーン。
逆に、霊的な存在の恐怖という意味では、冒頭に登場するデリバリーケーキ店員の文哉が体験するものが一番。
7年前に磯部一家の事件があったとは知らない文哉が、玄関先で配達の受け答えをする相手こそ実は亡霊で、しかも、直接襲って来るでもなく、ただただ7年前に殺された前後の言動を延々と繰り返しているだけ・・・という不気味さ。
この演出はさすがというか、実に日本的な怖さを巧く表現してると思う。
ある意味、本筋である呪怨よりも、日本的で巧みに見せていると言って良いかも知れない。
本来、伽椰子や俊雄というモンスター的シンボルを武器にしたシリーズだけに、今作でも白い老女を同じ様に使うのがベタなところだろうが、あえてそういった使い方をしなかったところが何よりも賞賛に値すると思う。

一応は主演の南明奈の演技は大した事ない上に出演シーンも少ないんでアレだが、前述のムロツヨシの他にも、刑事の安川を演じた鈴木卓爾、磯部家の痴呆症の老婆を演じた星野晶子・・・といったシブい演者も良い仕事をしてる。
それと、とばっちり的に被害に遭ってしまうタクシー運転手を演じた宮川一朗太は、相変わらずというか、ある意味安定した 『昭和な大きめの芝居』 で妙にホッとしたw
演技としては不自然な印象がどうしてもあるけれども、なんだか個人的に嫌いじゃないですw
そもそも、キャスティングした段階であれ以上の自然さを求める事が間違ってるしねw

ついでに、黒い少女の方では元AV女優の高樹マリアが出てたけども、この作品でも元AV女優のみひろが出てるという・・・大人の事情ありそうなアレだわw
最近は志村けんに気に入られてる様子でバラエティー番組でもたまに見かけるけども、この作品では見事な殺されっぷりを披露してて、演技自体もそこらの若手役者なんかよりよっぽど上手
まぁ、キスシーンは要らなかったというか、吐いた直後にわざわざキスするという趣味の悪さにオェってなったけど・・・そりゃ監督が悪いんだなw

あと、個人的には久々に中村愛美を見てちょっと懐かしかったわw
ブルセラ事件以来、一気に姿見えなくなったしね。
演技の方も悪くなかったし、脇でもっと色々と使えば良いのにね、クソみたいな若手ばっか使うぐらいなら。

さて、総評としては、なかなかの出来なんじゃないかなと。
ただ、結果的に呪怨シリーズの番外編という括りが邪魔になってた感は否めない。
白い老女の登場シーンはさほど重要じゃなかったし、主に生きた人間の言動を脅威として扱ってる訳だから、下手に霊的な要素が入ってしまう事の方が不自然にも感じる。
別の見方をするなら、結果的に篤がおかしくなった原因として 『家』 の存在や 『謎の存在』 がある訳だから、呪怨シリーズとしては、そちらにもっとスポットを当てるべきだったとも言えるかも知れない。
脅威が 『生身の篤による凶行』 なのは確かなんだけど、その背後にあるものをクローズアップさせるべきが呪怨シリーズで、『人が怖い話』 に後付けで霊障を足した的な作り方はズルいと評価されても仕方無いのかなと。
つまり、オカルト要素を排除して、『真面目な学生がある日突然イカレて家族皆殺しにする話』 でも成立してしまう内容だっただけに、もう少しオカルトの濃度を濃くした方がホラー映画として正統派だったんじゃないかという事。
まぁ、結果的に怖いと感じたらホラーではあるんだけどもさ。

ちなみに、作品冒頭から 「呪怨ってよりも新耳袋みたいだな・・・」 と感じたのは正解だった様で、新耳袋の 『姿見』 というタイトルのエピソードは、この作品とリンクしていたそうな。
もっとも、新耳の方は2004年作品という事なんで、この作品のネタ元として捉えた方が良さそう。
んで、この作品を監督した三宅隆太という人は色々と経験値の高い方らしく、ホラーに限らず色々な作品に携り、新耳袋に関してもTVシリーズや劇場版でかなりの数を手掛けてるそうな。
そりゃあね、冒頭からやけに新耳っぽいはずだよね・・・と納得。