ブログネタ:嫌いな先生いた?いる? | weblog -α-

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嫌いな先生いた?いる? ブログネタ:嫌いな先生いた?いる? 参加中


小学生の頃の担任に一人、中学の時の担任に一人、副担任で一人居た。
その三人は、俺の人生を語る上で欠かせないであろう三人。
勿論、悪い意味で。
あ、中一の時の数学担当も嫌いだったな、そういえば。


小学生の時の担任で嫌いだったのは、Iという中年の女性教師。
特に厳しかったとかじゃなかったし、嫌いになったのも俺の環境自体の変化が一番の原因だったのかもなぁと今は思ってる。
と言うのも、Iが担任だった時に、ウチの両親が離婚して、俺の生活は一変してる。
今思えば物凄いストレス下に置かれて、勉強やら遊びどころじゃない事態に陥ってた訳なんだけど、その事に自分自身がまず気付いてなかった。
だから、必ずしもIが悪かったかどうかは解らない。

当時、混乱の中で学校生活だけはそれまで通りを演じてた俺だったけど、それにはかなりの無理があって、自分では上手にこなせてるつもりでも、ちっとも上手くこなせてなんてなかった。
その顕著な例は、勉強がちっとも理解出来なくなった事。
気合い入れて集中して授業を受けるタイプではそもそもなかったけど、それでも充分にあの頃の俺は勉強が出来てたし、成績もわりと良い方だった。
塾に行ってる友達も結構居たけど、「わざわざ塾行かなくても勉強なんか出来るじゃん?」 ぐらいに俺は思ってた。
嫌味とかじゃなくごく純粋にそう思ってたんだから、如何に世間知らずなガキだったか解る。

で、そんな俺が両親の離婚を機に勉強が出来なくなって、理解出来ないって事が納得出来なかったから、当初はわりと頻繁にIに授業の解らない部分を訊きに行ったりしてた。
でも、Iはまともに教えてくれなかった記憶がある。
いや、実際はそれなりに教えてくれてたのかも知れないけど、俺の記憶では 「ちゃんと教えてくれなかった」 っていうイメージが強い。
いずれにしても、状況的に当時の俺には無理な事だったんだろうし、Iを恨むならまず両親を恨めって話ではある。
っていうか、Iが何をどれだけしてくれたかって事に関しては、正直言ってほとんど覚えてない。
Iが云々どころか、その当時の記憶ってのが俺の中にはほぼ残ってない。
物凄く断片的に残ってる事はあるけど、他の記憶みたいには形を留めてなくて、10歳のガキにはかなりキツい状況下だったんだろうなとつくづく思う。

結局、その後の転落人生で恨むべき相手の一人としてIを選んで、ハタチ過ぎぐらいまではどっかでそう思い込んでた。
まぁ、良い教師だったってイメージが一切無いんだから、悪くはなかったとしても別に特別良いって事にはならないんだけど。


中学の時は、Iに対する不信感もあったせいで、教師って存在自体を基本的に毛嫌いしてたし、基本的に疑って掛かってた。
「こいつらはただのサラリーマンだ」 と。
まぁ、小学校でも中学でも、良い教師にはわりと当たってる方なんだけど、どっかで 『良くて当たり前』 みたいに思ってたからね、俺自身が特に不良だったとかでは無かったし、人当たり良く接してる方でもあったし。
でも、結果的に担任には迷惑掛けた事実がある。
なんせ、中二から登校拒否で、大して出席してなかったから。

時系列的には、まず中一の時の数学担当のOという男性教師が嫌いだった。
Oは年齢的に結構な年配で、ウチの親父と同じ昭和11年生まれ。
当初は明るくてクラスでもウケの良い教師だったけど、半年ぐらい過ぎた頃には変わってたと思う。
ってのも、Oの教え方はちょっと独特で、ある意味で潔いというか、数学に関する法則的なものを説明する時に、「これで良いの!」 を多用した。
つまり、「これこれこうなってこうである」 という数学ならではの理屈、プロセスがある訳だけども、それに対して 「考えなくて良いよ」 というスタンスで教えてた訳だ。
とにかく法則やら方程式だけ覚えれば問題は解けるんだから、そのプロセスに関しては深く考えるなって事。
結果主義とも言えるし、合理主義とも言えるし、確かに受験教育を大前提とした学校教育としては一理あるやり方。
でも、果たしてそれがホントに義務教育として正解なのか?って事だよね。
事実、そういった省略手法に疑問を示すクラスメイトが続々と出始めた。
で、Oの人気は一気に下がって、俺らの時代ではわりと珍しく、授業中に堂々と 「解りません!ちゃんと教えて下さい!」 という反発の声が上がる程になった。

俺もそのやり方には最初から納得してなかった。
そもそも数学嫌いで文系人間な俺は、そこに筋の通った理屈がないと納得しないから飲み込まない。
結局、Oが省略してしまってるプロセスにこそ理屈がある訳で、そこが理解出来なければ答えがいくら正解であっても意味が無い・・・というのが俺の考え方。
でも、俺はわざわざOに文句をつけたり、疑問を投げ掛ける事はしなかった。
どうせ嫌いな数学は小学校の時点ですっかり理解不能な状態になっていたし、嫌いな上に日常生活でさほど必要としない事を、必死こいて覚える必要も無いと思ってたから。
「日常的な数学なんて、電卓あれば済むんじゃないの?」 ぐらいのもんだ。
それに、俺は自然と身についてた観察眼で見て、Oが俺らをまともに人間として見てないと感じてたし、件の 「これで良いの!」 ってやり方に関しても、「否定したり疑問を投げたところで、この人は決して聞く耳を持つタイプじゃないな」 と感じ取っていた。
そういう人の態度であり、そういう人の目だった。
偏見と思われるかも知れないが、俺のそういった洞察は、昔も今もかなり的確だから根拠になった。

結局、Oは人気を全く無くしたけど、一年間はほぼ変わらずそんなやり方を通した。
当然ながら、そんなOの授業は俺にとって意味の無いものだったし、何一つプラスにはなっていない。
「これで良いの!」 を認めてしまう人間だったら、俺はもう少し数学で良い点を取れてたかも知れないけど、そんな人間じゃなくて良かったとすら今は思う。


次は、中二の時の担任と副担任。
担任はYという理科の教師で、病的な印象の痩せた男。
Yは見るからに理科教師という雰囲気で、例え笑ってたって陰気なムードを漂わせてるタイプだった。
かと言って、もやしっ子がそのまま成長した様な弱気さは無く、むしろ強気で、役所の管理職みたいに 『下っ端をアゴで使う』 様な印象が強かった。

一年から二年のクラス替えでYが担任になった時、体育会系の担任じゃなかった事にホッとした。
当時から体育会系のノリが大嫌いだったから、とりあえずはマシな方だったかなと思った。
Yは決して明るい教師じゃなく、見た目通りの陰気な男だったけど、当初はさほど嫌な印象を感じさせなかった。
その印象が変わってったのは、俺がほどなくして登校拒否を始めたが故。

俺のクラスには、初っ端から登校拒否してる奴が一人居た。(名前は忘れたw)
そいつは一年の頃から来てなかったらしくて、二年、三年の間も俺以上に登校してなかったと思う。
別に不良ってほど不良だった訳でもなかったんだろうけど、後にヤクザだかになったなんて噂も聞いたから、それなりに素行は悪かったのかも知れない。
まぁ、特別問題を起こさなくても、登校拒否だけで担任にとっては問題児な訳だ。
んで、女子で一人、重い病気に掛かって入院生活を送る事になった子も居た。
理由はともかく、クラス内に欠席児童が常に二人居る状況。
そこに俺が新たに加わってしまう訳で、病気で来られない子はともかく、登校拒否が二人ってのは、担任として喜ばしくはない事だったと思う。

俺が登校拒否を始めた理由は、嫌いな教師とはまた別の話になるんで端折るけども、単に不真面目さでそうしてたって訳じゃない。
むしろ、誰より真面目だったのは俺だったかも知れないし、一番変人だったのも俺だろうから、いわゆるフツーの登校拒否とは少し違ってたと思う。
いずれにしても、担任にしてみれば理由どうのじゃない訳で、「特に理由も無いなら、来てくれなきゃ困る」 ってのがあったんだろう。
Yは昼間でも夕方でも不意に家に来る様になって、少し話しては戻って行った。
大抵は親父が仕事で居ない時に来たけど、俺がそれを嫌って居留守を使ったりする様になると、親父同席で話し合いの場を設ける様になった。
まぁ、俺が居留守を使う様になったのは、夜更かしして朝方やっと寝始めたのに、たかだか二、三時間して電話で起こされるのが何日も続いたせいで、ただシンプルに 『寝不足だった』 っていうだけの事なんだが。

家に来ると、Yはとにかく 「なんで来ないんだ?」 を繰り返した。
俺一人の時でも、親父同席の時でも同じ。
なんでって訊かれても、当時の俺には明確に答えられるほど自分の中での処理が出来てなかった。
だからどうしても黙っちゃって、考え込んじゃって、言葉にはならないまま。
言える事なんてのは、別にいじめに遭ってるとかじゃないよって事ぐらい。
そうすると、「じゃあ、なんで?」 ってまた訊かれる。
埒が明かないとはこれ如何にってやつで、そうなりゃYもイライラして腹立つんでしょうな。
明らかに口調がイラついたもんになって、「なんで来ねぇんだよ!?」 になって、更に 「オメェ」 呼ばわりになる。
隣で見てた親父すら、その言い方は無いだろって思ったらしいから、よっぽど印象悪い言い方してたんだろうね。
言われてる俺自身は、同じ質問にいい加減うんざりで、刑事に尋問でもされてる感覚。
仮に答えがあったとしても、答える気になんてなれなかっただろうね。
最終的には顔そっぽ向けて、ほとんど聞き流してたし。

じゃあどうすれば良かったのかって話なんだけど、それは俺にもハッキリとは解らない。
Yの質問自体はもっともだと思ったけど、Y以上に親父の方がよっぽどそう思ってただろうし、俺自身はそんな二人よりも誰よりも、「これをどう説明したら良いんだ?」 って思ってた。
とにかく考える時間が欲しかったし、色んな事を整理する時間も欲しかった。
とにかく、Yに対しては、何度も執拗に責っ付いて答えが出るもんじゃない事ぐらいはいい加減解れよって思ってたし、自分の立場的な風当たりを考えて、俺に 「登校しろ」 って言ってるのも感じたから、「そんなの知った事か」 ってなトコだった。
大人の都合に付き合わされるのはまっぴらで、そういうのにもう敏感にはなってたから、Yの言動は悪意としか思えなくなってった。
それは恐らくその通りだったと今でも思うし、その後のYの行動が何よりも証拠になってる。

二年の終わり間際だったか、三年の途中だったかに、家に見知らぬ人が来て、俺の担任だと名乗った。
あれは結構ビックリした事だったけど、Yは連絡も無しに転任して、新しく別の人が担任になってたという訳。
あれほどノイローゼになるほど執拗に電話とかよこしてたクセに、テメェが余所に行くとなったら、連絡もよこさなければ顔も出さないっていういい加減さ。
せめてメモ書きの一枚でもよこすのが大人として当然じゃないのかと。
話もロクに聞かなくなってた俺に腹が立ってたとしてもだ、担任ってもんに責任やらプライド持って接してたってなら、嘘でも最後まで任務をこなせって話。
それをしないって事は、俺が見限ったのは全く筋違いじゃなかったって事なんだよね、結局。
でも、何の連絡も無く転任なんてのは、予想以上の適当さに笑うしかなかった。
別にね、こっちもバカ丁寧に別れの挨拶しろとは言わないけども、筋ぐらい通せとは思ったよね。


さて、もう一人は、Yが担任の時に副担任だった体育会系の男性教師でMって奴。
前述もしたけど、俺はそもそも体育会系のノリが大嫌いだし、その典型みたいな教師ってのも大嫌い。
なんでって、一言で言うとバカだから
まるで悪口みたいになっちゃうけど、決して悪口として言ってるんじゃなくて、冷静に感情論抜きで見ても、救い難いバカは体育会系の教師に多かったんだよね。
理屈より感情で動いてるタイプ。
それが女の人ならある程度はしょうがないと思うんだけどね、女性特有の本能的気質みたいな部分は大きいから。
でも、男でそれは戴けない。
全く以って戴けない。

Mの事は最初から好きじゃなくて、副担任ってのも正直ウザいと思ってた。
でも、副担任なんてたまにしか役目は回らないし、登校拒否しちゃってからはほとんどどうでもいい事になってた。
でも、やっぱり邪魔臭い奴はつくづく邪魔臭いんだなと実感する羽目になる。

登校拒否もすっかり当たり前になってからの事で、恐らく三年になってわりとすぐの頃。
俺は登校拒否はしてたものの、中間と期末のテストだけは変な律儀さで受けに行ってた。
別にそうしろって誰に言われたでもなく、自分ルールとしてそうしてた。
で、それ以外の時も、気が向けば不意に登校して、クラスの連中に驚かれたりしてた。

ある日、前日から 「明日は登校しよう」 と思ってたんだけど、朝になって起きてみたら体調が良くなかった。
どうやら風邪をひいたっぽくて、とにかく熱っぽいしダルくて、学校行くよりは薬飲んで寝てた方が良さそうだと判断した。
ホントならそれでそのまま寝てたら良い話なんですよ、どうせ普段から登校拒否してるんだから。
ところが、俺の中ではそれは自分で納得出来ない事で、学校に行こうと決めてた日に休むんだから、いつもの登校拒否とは違う休みだって事を主張したくなっちゃった訳だ・・・バカみたいに。
で、よせばいいのに、8時頃になって学校に電話を入れた。
事務員が出て、担任のYを呼び出して貰って待ってたら、応対に出た声はYじゃなく副担任のMだった。
Yはまだ来てないって事だったが、ホントかどうかは怪しかった。
とにかく、俺は体調が悪い事を伝えて、休む事を告げた。
すると、Mは 「なんで来ないんだ?」 と訊き返して来る。
この時点でもうケチつける気なのは察したが、また同じ理由を告げた。
Mは微塵も受け入れる様子は無く、「ダメです。来なさい。」 と言う。
「いや、だから、今日はホントに風邪ひいたみたいで」 って繰り返すも、やっぱり 「来なきゃダメだ。」 とM。
もうね、そうなっちゃうと続けても無駄だってのはアホでも解る。
こいつは最初から聞く耳は持つ気無いんだなって解ったら、繰り返すだけバカらしい。
「じゃあ、もういいです。」 って俺が呆れて言うと、「いいから来いよ? 来ないとダメだぞ?」 ってしつこく念押しして来たんで、適当に相槌を打ちつつ電話を切って、その日はとにかく寝込んでた。

それから数日して、テスト期間だったか何かのイベント日だったか、あるいは普通の土曜日だったかも知れないけど、とにかく学校が半日の日に俺は登校した。
で、下校時間になって、一斉に昇降口からみんな帰る。
俺らの頃は生徒数も多かったから、一斉下校だとかなりの数の生徒で溢れかえる。
そんな中、昇降口の前にあのMが腕組みをして立っていて、俺を見つけて声を掛けて来た。
「おい。お前、ちょっと来なさい。」
何も目立った事なんかしてないのに呼ばれたら、嫌でも注目を浴びる。
無論、「あいつ、何したんだ?」 っていう怪訝な目でしかないけど、それだけでも俺にしてみれば不本意極まりない事、なーんも悪い事はしてないし。
んで、「お前、なんでこないだ来なかった?」 と始まった。
文字にするとキツさは無いけど、かなり高圧的な態度でそう言って来た。
荒い口調はそう使わないけど、声の圧で威嚇してくるタイプの教師だから、誰に対してもそういった態度をしてるのは知ってた。
勿論、俺は正直にホントに体調が悪かったんだと説明したものの、どうせ聞く耳持たないのは解ってた。
解ってたって俺はそう言うしかないし、その返事にケチつけられるのを聞くしかない。
チンピラに因縁つけられてるのと何も違わない。
相手がチンピラの方が、その後を考えないで済むだけまだマシだった気もする。
で、やっぱりMは聞く耳なんか持たず、気に食わないって態度をぶつけてよこした。
うんざりで、銃があれば撃ち殺してたし、刃物があれば刺してただろうと思う。

体感的には結構長い時間因縁をつけられて、ようやく解放されたけど、当時の俺は堂々と反撃するだけの根性も無かったし、どうしてもその後の学生生活を考えて、怒りを抑えるしかなかった。
ハラワタは煮えくり返って、すぐにでもMの横暴に何かしらの反撃をしたかったけど、具体的にはどうしようもなかった。
殴ってどうなるもんでもないし、下手に手出しでもすれば、それで間違いなく不良のレッテルを貼られる。
一斉下校の最中だけに尚更。
別に不良に見られるのは構わないとしても、当時のウチの学校の不良・・・いわゆるヤンキーってのは、身なりだけいかにもな不良スタイルを決め込んでても、休み時間にトイレでタバコ吸って満足してる様な幼稚なバカばっかりで、そんなのと一緒くたにされるのだけは御免だと日頃から思ってたし、変に目立てばそういうバカ共の相手までする羽目になるのは目に見えてたから、そういった面倒を避ける為にも下手に反撃は出来なかった。
先の想定が出来てしまうと、勢いだけでアクションは起こせなくなる。

結局、必死で感情を抑えながら家に帰って、その日はずっとイライラしてた。
その様子に気付いた姉貴には事情を説明したけど、今度は姉貴の方が俺以上にキレちゃって、それはそれで困ったというか、面倒臭かったw
まぁ、その事があって以降、俺はどんな事情があっても二度と学校にバカ正直な連絡を入れる事はなかったし、テスト期間に登校するのもアホらしくなって止めた。

登校拒否そのものは自慢出来る事なんかじゃないし、あれで良かったとは一概に言えないけども、俺は自分が間違った事をしたとは微塵も思ってない。
社会的な部分で損はするけど、一人の人間の成長過程としてあの時間は有効で意味があったし、思春期に自分という存在について深く意識する時間は、誰しもに絶対的に必要なものだとも思う。
残念ながら、俺という奴はそうそう簡単に他人が理解出来る様な奴じゃなくて、それ故にYみたいに腹を立てる奴も出て来ちゃうんだろうけど、それを罪だと言われるいわれは無い。
網でバケツに水を溜めようとして、「なんで掬えないんだ!」 ってキレられても困る訳で、それが何なのかをまず理解しようとしない人が怒ろうが泣こうが、それってそもそも俺の問題じゃないよね?っていう話。
まぁ、バカにバカって言っちゃう奴だから俺はあんまり好かれたりしないけど、バカはオブラートに包んだってバカなんだもんさ、それを認めないで誤魔化したってどうしようもないし、ちっとも建設的じゃないよねっていう。


今回は嫌いな先生って事で四人挙げたけど、小学校の時のIはともかく、中学時代のYとMに関しては、正直言って先生って認識すら俺の中には無いんだよね。
そもそもの人間として 「こいつダメだ」 って判断した奴らだから。
人として認められない奴を先生となんて意識出来っこないし、そこから学ぶべきものもほぼ皆無に等しいもの。
クソがいかに臭いかを知る為に鼻を突っ込む必要なんて無いしね。
とりあえず、俺の人生において、嫌いだった教師として挙げられるのは今回の三人のみ。
物凄く良い先生にもちゃんと当たってるから、それは少しばかり救いになってるね。