またまた映画レビューでござる。
またまた眠い目を擦りつつでござる。
でも、今回はホラーじゃないよ!!!
さて、毎度お馴染み、ネタバレ上等で参ります。
今回の作品は、第85回アカデミー賞で、作品賞、脚色賞、編集賞を受賞した事でも話題になった 『アルゴ』 です。
このアルゴ、実話を基にして作られたシリアスなお話です。
まずはネタ元になった事件の解説。
時は1979年、舞台はイラン。
当時、イラン国内では、イラン革命(又はイスラム革命)と呼ばれる革命が起きた訳です。
多くの日本人には、この時点で難しい話だよね、うん。
要するに、一国の政府が転覆して、反政府側が実効支配したって事。
ここで登場する反政府組織ってのが、今でもニュースでちょいちょい耳にするイスラム教(シーア派)という勢力。
じゃあ、何故そんな革命が起きたのか。
そもそもは、革命前のイランを治めていたパフラヴィー国王って人がおりまして、この国王はアメリカの後ろ盾の基に、近代化政策やら脱イスラム化を進めてた人なんですな。
で、このパフラヴィー国王、政策に反発する人々を力で弾圧した訳なんです。
特に組織力のあるイスラム教勢力を潰す事に尽力して、反体制派であるシーア派の指導者、ホメイニ氏を国外追放しちゃった訳です。
そういった経緯から、国内では反政府運動が徐々に活発化し、デモ、暴動とエスカレート。
それを鎮圧する為に軍がデモ隊に発砲、死者を多数出した事が火に油を注ぐ結果となり、反政府運動は収拾がつかない事態に。
となると、批難の的であるパフラヴィー国王は国外脱出を図り、エジプトへ亡命。
そして国外追放されてたホメイニ氏が帰国する事で、イランという国家の首が完全に挿げ替わった訳です。
これにて革命は大成功!・・・という単純な話ではないんですな。
エジプトに亡命後、各国を転々と逃げ回っていたパフラヴィー元国王、最終的にはがん治療を名目にアメリカへ入国する事になります。
そもそもアメリカを敵視していたホメイニ氏率いるシーア派、大嫌いなアメリカが許し難き大敵であるパフラヴィー元国王を匿ったとあらば、さすがに黙ってるはずもない。
という訳で、デモや暴動を率先して行っていた人々や学生を裏で焚きつけ、テヘランにあるアメリカ大使館を襲わせた訳です。
これにより、本来なら治外法権であるはずのアメリカ大使館は占拠され、中にいた職員、警備兵を含めた52名が人質となり、パフラヴィー元国王の身柄引き渡しが要求されます。
この事件が、アルゴの背景として描かれている 『イラン アメリカ大使館人質事件』 というもの。
さて、この事件の際、大使館の裏口からこっそりと逃げ出したアメリカ人大使館員が6名居ます。
彼らは密かにテヘラン郊外へと逃げ延び、無事にカナダ大使の公邸に匿われた訳なんだけども、だからと言って国内情勢やあらゆる状況から見て、国外脱出は難しい状況。
彼らの無事は本国アメリカに伝えられたものの、国外から救出に向かう手立ても難しく、にっちもさっちも行かない状況。
そこで、CIA工作員のトニー・メンデスが立てた6名の救出作戦というのが、アルゴのメインストーリーでもある 『架空のSF映画企画を作り、そのスタッフを装って国外脱出を図る』 という奇抜なアイデア。
一見バカらしいとも思えるそのアイデアにより、実際に6名は無事救出されたという実話なんですな。
アルゴの大まかなストーリーは、上の解説がほぼ全てです。
つまり、大使館から脱出して逃げ延びた6名が、いかにして国外脱出に到ったか・・・という話。
但し、アルゴはあくまで映画であり物語なので、事実と異なる部分もそれなりにありますよと。
だから、「あ~、なるほどね~、大変だったんだねぇ~」 なんて鵜呑みにしちゃダメなんです。
客ウケさせる事を大前提として作られてるのが映画ですよ!って事。
まず、個人的な評価としては、細かい部分で良く出来てはいたけど、やっぱり政治が絡むとアメリカ主観の描き方になってて、どうしてもその部分の違和感は否めないところ。
冒頭で事件に到った原因については触れられてるけども、たったそれだけでフォローになるはずもないっていうね。
政治の話は単純じゃないから一概には言えないけども、アメリカの国家としてのスタンスがあらゆる国の人々から反感買ってるのは事実だし、その根拠も歴史を辿ればちゃんとある訳ですよ。
内政干渉まがいの行動然り、好戦的な姿勢然り、アメリカほどご都合主義で横暴な国も無いと言えば無いかも知れない。
要は、アメリカ大使館人質事件だって、自業自得みたいな話でもある訳ですよ。
テメェでテメェのケツ拭いて、それをさも凄い事の様に語られても、そんなの知ったこっちゃねぇわ・・・って思ってる人は世界中に大勢居るはず。
人質になった大使館の人達やら、アルゴで描かれる6名やら、それを救いに向かったトニー・メンデスやら、それは確かに大変だっただろうし、個人単位の話ではキツかったと思うんだけどね、そういう事態を引き起こした原因の一端は、アメリカ政府にしっかりあるでしょ?って。
それを棚に上げて、当時のイラン国民だけが悪者みたいな描き方はどうなんだろうかと。
少なくとも、劇中で描かれてるイランの人々は凶暴な悪人というイメージが強いし、ムスリムを敵視すべく情報操作してる様にも見える。
実際にアメリカ人が犠牲になったり、アメリカと通じてる人達が殺された事実があったにしても、そこまでアメリカへの憎悪を膨らますきっかけを作ってるのは、大抵アメリカ自身だったりする訳だ。
「アメリカは正義である」 っていう主張は昔から露骨なほど見えるけど、原爆を2発も落として非武装の一般人すら大量殺戮した国が、それを 「仕方無かった」 とへっちゃらで言い張る国が、どうして正義なんかであるのかと。
そりゃあね、広島・長崎の人達も、沖縄の人達も、大量殺戮を正当化する国なんて許す気になれっこないですよ。
イランの人達だって似た様なもんだと思うんだな、きっと。
日本だって昔の価値観のままなら、「仇討ちだ!」 って叫んでたかも知れないし。
まぁ、いずれにしたって殺し合いはただただ悲劇だけどね。
どっかの国みたいに、歴史を捏造してまで謝罪だのなんだのって話はしないですよ、普通はね。
現実に明確な根拠があるからこそ、それについてしらばっくれてる態度が気に入らない訳ですよ。
過去をいつまでも引きずるのは建設的じゃなくて、そんなのは重々承知してても、やった側の罪が消える事は無い訳でね、土下座こそしろとは言わないまでも、舌出して笑ってんのはやめとけよ?って話なんだよね。
さて、政治的な話は置いといて・・・。
アルゴは細かい部分の作り込みがなかなか面白いところで、それを顕著に思わせるのはエンドロールだったりする。
ってのも、エンドロールは劇中のキャストと実際の6名の写真を左右に並べて見せてて、それが唸るほどよく似てる。
どっちがキャストなのか解らないぐらい巧妙に似せてて、本編の話よりもそっちに感心したぐらい。
他にも当時の現場と同じ様にシチュエーションを作り込んでた事も解るし、見事としか言い様が無いぐらいの再現力に脱帽した。
あと、救出に向かうCIA工作員のトニー・メンデスに関しては、夫婦間や子供との間を描いたシーンが少しだけあるんだけど、ハッキリ言ってその部分ってのは本筋と関係無いから無駄・・・だとラストまで思ってた。
いや、フツーに観ちゃえば無駄にしか見えないと思うんだよね。
でも、ラストを観た時に 「あぁ、なるほどね~」 と思った。
最後、任務を終えたトニー・メンデスは、別居してる妻の家に行き、妻と抱擁し、息子の添い寝をする。
そこでカメラは息子の部屋をパンしながらぐるりと映し出す。
と、スターウォーズなんかのフィギュアが並べられていて、その先にはトニーがこっそりと持ち帰ったアルゴの絵コンテが一枚飾られている。
あ、タイトルでもあるアルゴってのは、救出作戦に使った架空SF映画のタイトルね。
「結局、ハリウッドらしくファミリーなアレで締め括りですか」 と一瞬思ったんだけど、「このラストシーンってちゃんと意味あるじゃん」 ってすぐ気付きました。
並べられたフィギュアは、そのまんま名作SF映画を象徴化してる訳ですよ。
その並びの最後にあるのがアルゴの絵コンテって事は、トニーにとって、バカげたくだらない作戦だったはずのアルゴは、もはや名作SF映画になってるって意味よね。
作戦成功の価値がそこに集約されてる。
んで、劇中で何度も叫ばれてる 「アルゴのクソったれ!」 という罵声とも掛かってる。
結局、そんなラストの為の前フリとして、夫婦間の問題や子供との関係性をわざわざ入れ込んでたんだなと。
ある意味、ラストシーンの意味に気付かないと、トニーの家庭事情なんて無駄にしか思わないで終わっちゃうって事でもある。
わりとスルーしちゃってる人は多そうだけどね。
さて、劇中の映画的演出に関してだけど、物語として作られてるだけに、事実とは異なる場面も足されてる。
トニー・メンデスがイランに到着して6人と接触後、映画製作チームと疑われない為に繁華街にわざわざ出向くシーンがあるんだが、実際にはわざわざそんなリスクを冒すはずがない。
そりゃそうだ、アメリカ人とバレるどころか疑われただけだって殺されかねないピリピリムードの中、人ゴミ溢れる繁華街にみんなしてゾロゾロ出てくなんてのは現実味に欠けてる。
まぁ、だからこそ繁華街ではひと悶着ある訳で、そこで隠し撮りされた写真が終盤で正体を見破られるきっかけにもなる訳だ。
って事で、終盤の空港でのドタバタも事実とは違うそうで、実際は実にスムーズに脱出出来たらしい。
劇中では正体がバレて、ギリギリのところで飛行機が飛び立って無事って流れだったけども、用意周到に地盤固めまでして映画製作をでっち上げたんだから、根拠の一つでも示せば信じさせる事の方がずっと簡単だったに違いない。
無論、バレれば死を意味する作戦だっただけに終始緊張はしてただろうけど、革命ムードのピリピリした中に身を置けば、アメリカ人じゃなくたって誰しも緊張してたに違いない訳で、そういう意味ではバカげた作戦に対する不安や、付け焼刃の配役に対する不安が、むしろプラスに働いてたのかもなぁと思う。
個人的な推察だけど、アルゴ作戦は会議の段階では子供騙しでバカらしいものの様に思えたんだろうけど、それってあくまで机上の理論だからこそそう思えただけなのかも知れないと思った。
映画製作を具体的にプロジェクトとして進める地盤固めの段階で、作戦は実質的に成功してた様なもんだったのかもなぁと。
現地の状況やら人々の様子も大体の見当はついてたんだろうし、だからこそ一見バカげた作戦であっても、現実的な救出作戦として認められたんじゃないだろうか。
あるいは、そもそもあらゆる事態を想定した作戦プランの一つとして、事前に用意されてたものだったのかも知れないし。
いずれにしても、映画の様にたまたま思いついたプランだと考えるよりは、そもそも用意されてと考えた方が筋が通る。
そうなると、アルゴの見方ってのも少し変わって来るよね・・・っていう。
まぁ、アカデミー賞クラスの作品だから、高めの評価をするのが普通なんだろうけども、俺にはさほど響いてこなかったんで、評価は中の上ぐらいかな。
メインは美味くも不味くもなかったけど、添えてあったポテサラとグラッセは美味かった・・・的な感じ。
テーマのわりに物凄くヘビーなドラマにはなってないから、観やすさは一応評価すべきなのかもね。
でも、ご都合主義感はやっぱり鼻につく。
良く出来た言い訳は、言い訳として良く出来ててもやっぱり言い訳なんですよ。
それを素晴らしいと評価してしまう人間にはなりたくないもんです。