ブログネタ:料理できないとダメ? 参加中私はダメ派!
そりゃダメだよね、単純に言えば。ただこれ、どの視点で見るかによってちょっと違うんだな。
まず基本的に、料理は食欲に直結した行為な訳ですよ。
三大欲とされる 『食欲・睡眠欲・性欲』 は、生きる上で必然的な欲求ですわな。
どれも意識せずとも自然に湧いてくる欲求。
人類が存続する上で欠かせないもの。
で、その一つである食欲は当然重要な欲求な訳で、食欲を満たす為には食うしかない。
食うにしても、人類ってのは、味覚は勿論、視覚も嗅覚も優れている訳で、いちいち餌でしかないはずの食べ物に対して執着がある。
要は、なんでもかんでも素材のままの食料を食って満足する動物じゃないって事。
そこで必要なスキルが料理な訳ですよ。
料理が出来ないって事は決して罪に問われたりしないし、万人から咎められる事でもないけれども、人類として見た場合にどうかと言えば、やっぱり料理スキルの無い人は、料理が出来る人と比べて損をしてるって言えるはず。
何故なら、食は本能に直結していて、料理は食に直結したものだから。
本能的な判断として、食のスキルに長けた人の方が魅力的に感じるのは当然なんですよ。
いくら理性的な社会に身を置いても、人間は本能から逃れられない。
狩りや調理が上手であったり、あらゆる知識に長けていたり、腕力が優れていたりしなくとも、現代社会では当たり前に生きて行けるけれども、それらが無いよりはあった方が魅力的に感じてしまう脳を誰しもが持ってる訳です。
つまりは生存能力の高い者ほど魅力的に感じ、その遺伝子を残そうと本能が動いてしまうのが種としての人間なんですな。
どれだけ理屈まみれで生きていても、本能に刷り込まれた魅力センサーはどうしようもないって事ですよ。
結局、料理が出来ない事で社会的に問題視されたりはしないまでも、それ以前の本能的な部分ではマイナス要因に働いてしまうのが必然だって事。
男であるとか女であるとかでもなく、人としての魅力値の部分でマイナスに捉えられてしまう上、それが無意識下で働く判断である事だけにコントロールのしようも無いってのが痛いところ。
「あたし料理なんて出来な~い」 とかへっちゃらで言ってると、それは 「あたし人類として劣ってま~す」 っていう主張と大して変わらないって事なんですよ。
例えそうだとしても、それって主張しちゃダメな事だからねw
ちなみに、料理が出来ないって言ってる人のほとんどが、料理をする気が無いから出来ないだけの事で、単に手抜きして生きてるだけなんです。
あんなもんは下手だろうとセンスが無かろうと、コンスタントに作ってさえいればそれなりに知識も技術も向上するもんですから。
己のズボラさにケツまくっちゃったらオシマイなんですよ、何だって。
俺の知り合いにも料理が出来ない人は男女問わず居るけども、特に料理ぐらい覚えろとは説教しません。
言ってもやらない人はやらないし、やろうと思ったら止められたってやるでしょ。
ただね、料理をする気があるのであれば、自分が大好きなメニューを一つ選んで、とにかくそれだけを作り続けろとは言ってる。
よく男ウケするから肉じゃがを覚えろとか言うけど、そんなクソくだらない魂胆は無駄だから捨てちゃって、自分が大好きなメニューに絞るべきなんですよ。
なんでかって言うと、自分が好きな物って好きなだけにこだわりを持てるものだし、美味い不味いの判断もシビアになれたりするもんなんだよね。
よっぽどバカ舌だったら仕方無いけど、自分なりに完璧だと思えるぐらいのレベルで好きなメニューが作れる様になれば、それは立派な得意料理ってやつですから。
んで、そこにプライドを持つ様にもなるんで、他の誰かが作った同じメニューであるとか、外食した時に出て来た物であるとか、自分のと比べてどうなのかみたいな見方になったりもするもんなんですな。
そうすると、そのメニューに対して更なる向上心も生まれたりするし、その一品をきっかけにして別のメニューにも興味が出たりするんです。
勿論、必ずそうなるってもんではないけども、行動パターンやら思考パターンってのは人間心理的にそういった流れになるもんなんですよ、面白い事に。
料理をそこそこ作れる様になった頃、ふと母親がたまに作って出してた豚の角煮が食いたくなって、わざわざ作り方を電話して聞いた事がある。
まだネットなんてある時代でも無かったし、当の母親は随分と離れた場所に越してたりもしたもんで、角煮を食うには自力で作る以外に無いって判断で。
母親が教えてくれたレシピをノートにメモして、次の日だかに作ったのが初の自作角煮。
それなりに満足はしたけどなんだか物足りなくて、その後も試行錯誤して何度も作ってる内に自分なりの角煮が作れる様になりましたよ。
そこから派生して角煮丼なんてオリジナルメニューも作ったしね。
まぁ、俺は角煮ばっかりじゃなしに色々と作ってきたけども、料理なんてのはそんな風にして自分のスキルにしてくもんなんですよ、結局。
だからこそ、「出来ない」 なんてのは詭弁でね、自慢せずとも一品ぐらいは当たり前に作れないと恥ずかしいんじゃないの?って感じ。
少なくとも、出来ないのを恥ずかしげもなくアピールしてたらアホにしか映らないよね。
まぁ、今の世は当たり前にコンビニやらで年中食料に事欠かないし、ファーストフードみたいな店もどこにだってあるし、低価格でそこそこの味がする食料があちこちにある時代だから、料理の必然性っていう事だけで言うなら、昔より必然性は低くなってるよね。
でも、それだから料理スキルは必要無くなったとは決して言えない訳で、仮に電気が止まったら米があってもメシが炊けないとしたら、それって困るじゃないですか。
火があるのに炊飯器頼りだったせいでメシの炊き方を知らないとか、おかずになる食材があるのに調理法を知らないとか、そういうのは億万長者がボロアパートでただ大金眺めてるぐらいアホらしい事だからね。
いざって時に身を助けるノウハウってのは、どんなもんでも覚えとくべきですよ。
金があるなら毎日外食してても構わないだろうけど、金に有効性が無くなった状況下で頼れるのは自分だけって事を忘れちゃダメだしね。
自力ってもんを疎かにしてると、絶対にどっかのタイミングで痛い目に遭うからバカにしちゃダメなんですよ。
