十数年前、ネットを始めた当初から使っていたハンドルネームは、ある時を境に使うのをやめた。
その名前でネットの全てに関わり、ホームページを作ってみたり、メル友を作ったり、夜な夜なチャットに時間を費やし、ネット上とは言えども交友関係の幅は一気に広がった。
ネットのみの付き合いで終わる人も居れば、実際に会って飲んだり話したりという間柄になる人も居て、そうなればもう、いわゆる一般的な交友関係と何も変わらない。
相変わらず偏見の目で見られがちなネットだが、「そこに人が居る」 という認識さえ間違えなければ、他人と関わり合うという点において現実社会と何一つ変わらない。
交友関係の幅が広がるという事は、多くの人達と接点を持つという事。
多くの人達と接点を持てば、好き嫌いは当たり前に出て、トラブルも恋愛も避けられない。
実際、ネットを始めて以降、幾つものトラブルに巻き込まれ、幾つかのトラブルを起こし、幾らかの人に好かれ、幾らかの人と深く付き合った。
そんな必然的な流れの中で、とある人との決別をきっかけに以前のハンドルネームを半ば封印した。
それ以後も接点を持った数人からは以前のハンドルネームで呼ばれる事もあるが、自分自身の中で以前のハンドルネームの自分は過去の人だ。
「この名前を使うのはやめよう」 ではなく、「もうこいつで居るのはやめよう」 という認識だったので、少なくとも自分自身の中では単純に名前だけの話ではなかった。
そして、あんびばれんすになった。
あんびを名乗る様になってから、それまで以上に交友関係の幅は広がり、深みも増した。
今現在、主な知り合いや友人と言えば、全てネットをきっかけに知り合った人達だけだ。
有り難い事に、俺を理解しようという前提で繋がってくれている人達も居る。
それは知り合った人達の中でもごくごく僅かな数人でしかないが、自分のスタンスが間違いではなかったという根拠になっている。
『自分が何人もの人達にしてきた様に』
それがある時期からの俺の生きる根拠になっている。
正直、何人もの人達と関わった結果として言えるのは、やはり俺は人が苦手であり、他人はどれだけ信用しても愛しても、相応のレスポンスなど期待すべきではないという事だ。
残念ながら、本気でぶつかるほど 『他人というのは空しい存在』 という認識になって行く。
俺がどれだけ真摯に他人と向き合っても、その相手はまるでそれが当たり前の事の様に自分自身にばかり目を向け、俺には何かを返そうなんて素振りすら見せず、下手すれば何の挨拶も無しに立ち去って行く事だってある。
全員が全員そうだとは言わないまでも、経験としてはほぼ全員がそんな感じだ。
見返りを求めてしている訳ではなくても、そんな事ばかりが続くと積み重なった空しさで胸にぽっかりと穴が開く。
その穴は致命的で、なんとかしなければ生きてなんて行けないものだ。
けど、穴は広がるばかりで埋められるものは少なすぎる。
どうしようもないと頭を抱えてる間にも、穴は広がり続ける。
俺は決して、自分自身を肯定して生きてはいない。
むしろ、否定しながら払拭すべく前進してきたつもりだ。
それが向上心というものだろうし、人は考える葦さながら、そうやって前進する事でしか生きられない生き物だと思っている。
だからそうして来たし、今後もそうして行くだろう。
けれど、いくら向上心を持って進んだところで、胸の穴が塞がる訳じゃない。
致命的なそれは、着実に自分を追い詰め続けている。
誰かに助けを求めたら、誰かが埋めてくれるだろうか? 俺がして来た様に。
答えなんて訊くまでもない。
誰も助けてはくれない。
そんな都合の良い現実を俺は知らないし、もはや信じたりもしない。
だからずっと、ガキの頃から自分自身でやり過ごしてきたんだから。
大人になって、腹を割って話せる人達が増えて、俺自身が出来る範疇で誰かを助けて行けば、少なくともガキの頃の様にたった一人で苦しまずに済むだろうと漠然と信じて来たけど、それは甘かったと、自分はなんて救い難いアホだったんだろうと今は思っている。
どれだけ 「ありがとう」 と言われても、自分が苦しい時に周りを見渡せば誰も居ない。
また一人だと気付いて、また空しくなって、また穴が大きく広がる。
こんな事の繰り返しは、もうさすがにそろそろ限界。
いっそ他人との関わりを全て切り捨ててしまおうかと何度も思ったけど、それで確定するのは絶対的な孤立だけだと解っているから、信じちゃいないのに信じてるフリをして、そう自分に言い聞かせてここまでやって来た。
でも最近、穴が広がり過ぎたのか、もう無理だと本気で思う瞬間がコンスタントに増えてきてて、ちょっとヤバいなと自覚してる。
つい昨日、俺にとって大事な存在である人の一人と夜通し話し、相談に乗ったりして、説教みたいな事もして、人生について話してる流れの中で 「別に自分から死ぬつもりはないけど」 と言った。
それは嘘じゃないし、そんな気は毛頭無いけれど、それってあくまで 「正常な判断がつく状態ならね」 という前提の事だ。
俺が最近の自分自身にヤバさを感じてるのは、正常な判断がつかなくなる状態になってしまう恐れ。
動物が目の前で危険を感じた瞬間、咄嗟に崖から飛び降りて死んでしまう事がある様に、人間だって正常で居られなければ何をするかは解らない。
物凄く冷静に自分の状況を把握している俺だって、我ながらもう大丈夫だと言える程の根拠は無くなっている。
咄嗟に望んでもいない方向に駆け出してしまう可能性だってあるだろう。
それでもし俺にとって大事な人達が傷ついたり後悔したら、人生を狂わせるほど悩ませてしまったら、救い難い罪を俺は背負う事になるけど、それでも俺自身は正直言って少しでも楽になりたい。
極端な話、嘘でも良い、幻想でも良い、一瞬でも救われるなら藁にでも縋る。
別に大層な幸せなんて要らないから、少しでもこの息苦しさから解放されたい。
それは高望みだろうか。
自分がもう他人にとって近寄り難い人間になってしまった事を俺は自覚している。
意図的にそうしてきた部分もあるし、自然とそうなってしまった部分もある。
いずれにしろ、俺は単に変わり者として避けられるだけじゃなく、腫れ物の様な危うさを他人に対して与えてしまっているんだから、それは好んで近付いて来る人なんて少ないに決まってる。
でも、これが等身大なんだから仕方無い。
あんびを名乗って以降、なるべく等身大の自分で他人と接して来た俺だから、今がこうならこのままを曝け出さなきゃ違うだろう。
それで孤立してしまうのであれば、その筋道は何一つ間違ってはいないのかも知れない。
俺は最初から幸せに縁の無い人間で、うっかり勘違いした人達から一瞬だけ愛される程度の奴なのかも知れない。
それなら仕方の無い事として割り切れたりもするのかも知れないが、仮にそうだったとしても、俺自身が酷く悲しかったり空しかったりするのは何も変わらない。
いっそ、感情なんて消えてしまえばいいし、そんなの人間じゃないと言うのなら、人間をやめたっていい。
これは自暴自棄でもなんでもなく、痛いだけの日々は耐え難いという現実の話。
人生を比べるのは余りにも馬鹿げてるけど、比べるまでもなく、大抵の人達は自分がどれだけ恵まれているかが解ると思う。
当たり前のもんなんて、そうそう転がってませんよ。