Respect:岡村靖幸・その3 | weblog -α-

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なんとな~く  思いつきで  好き勝手に  (=゚ρ゚=) ボヘー  っとやってます。



【Disc 2】

04. パラシュート★ガール
 1995年 Album 『禁じられた生きがい』
ゲストボーカルにCharaを迎えたポップチューン。
当時、テレ東系列で不定期放映されていた 『eZ a GO!GO!』 という番組で作られたプロモ映像では、Chara本人も出演している。

表舞台でのコンスタントな活動が止まる ''全盛後期の楽曲'' 複雑で難解なものばかりなのだが、そんな中でもこの曲はキャッチーながら難解なので、解釈が色々とある。
・・・が、タイトルと歌詞の一部から ''飛び降り自殺の歌'' だと言われているのは恐らく誤認だろう。

〔奇妙な十代 誘う 校内いじめでプライド崩壊じゃん今 ジェスチャーだらけの こんな 中3なんて浪人中さ〕 と始まるAメロ。
この時点で既にテーマの重さを感じさせる。
明らかに、あのナンパ師SEX大好きな岡村靖幸とは違ってきている。
「いやいや、でも結局はエロなんでしょ?」 と思っていても、最後までエロ要素は無い
もはや岡村ワールド独特の華やかな歌詞ではないのである。
〔校内いじめ〕 と言っている様に、舞台は学校で、しかも中学校
教育現場の問題として、''過度のいじめによる死亡事件'' に注目が集まった事が背景にあるんだろうが、岡村靖幸というアーチストは、そこをストレートに掬い上げるタイプの人ではなかったはずなのだ。
決して社会派なテーマが悪いという事ではないのだが、明らかに初期とは毛色が違い過ぎる上、前述のとおり、難解さが増してしまった事による意図やメッセージの伝わり辛さが目立ち、さながら哲学者が作り上げた前衛アート作品の様になってしまっている。

Aメロで 〔訴えたいんだ 情熱は〕 と歌っている事から、やはり岡村靖幸は悲観的なテーマを取り上げた訳じゃないと理解出来る。
いじめと登校拒否を素材にしていても、そこで 「辛いよね、悲しいよね」 と安直に同情する様な事を言わないのが岡村靖幸。
だからこそ、この曲が飛び降り自殺の歌であるはずはないのである。

Bメロ、〔天真爛漫な ガッツポーズ見せた あの女の子が来てない〕 という部分で登校拒否の同級生らしきヒロインの存在が窺える。
そしてサビ、〔いっちゃった パラシュート★ガール 写す勉強ノート どんなんより いかしてんだ君のは いっちゃった パラシュート★ガール 君の弁当箱 頬張んなきゃ 部活でもガンバレない 僕が萎んじゃう〕 とある。
過去にノートを写させて貰ってたり、弁当を作って貰ってたりする事から、この登校拒否のヒロインは、主人公の彼女的な立ち位置に居ると解る。
つまり、元気だったはずの自分の彼女が、ある日から登校拒否になってしまったのだ。
そしてChara歌唱によるEメロでは、〔Oh My Baby だけど 困んのよ Baby Oh My Lonely Baby バカな勉強もしない子は 相手にしないの〕 と歌われている。
ここは恐らく、最も誤解が多い箇所だろう。
彼女から 「勉強もしないバカな子なんて、私は相手にしないわ」 と、冷たくあしらわれる主人公・・・みたいな解釈をしている人がどうやら多い様だが、それは大いなる誤認
ここは言い回しからしても、歌詞的に見ても、「私みたいに勉強もしないバカな子を、あなたは相手にしてちゃダメよ?」 と、彼女が自虐的な拒否リアクションを見せているのである。
つまり、この彼女は完全に ''ドロップアウトのスタンス'' であり、''元の学生生活に戻る気は無い'' という事を明確にしているのだ。
その上で、「ドロップアウトした自分なんて、いつまでも相手にしてちゃいけない」 と、主人公に対しての気遣いを見せている訳である。

そうした彼女のキャラクターとスタンスが明確になると、タイトルでもあり、サビにもなっている ''パラシュート★ガール'' ''意味'' が見えて来る。
つまり、彼女は日頃から嫌気が差していた平凡な学生生活から ''自力で脱出した'' のであり、それで墜落した訳ではなく、パラシュートを使って ''ちゃんと無事に別の世界に辿り着いた'' という事。
もう一つ付け加えるなら、パラシュートというのは 『空を飛ぶ』 というより 『空に浮く』 というニュアンスが近いので、『彼女は学校の中で浮いていた存在』 という意味もあったのかも知れない。
いずれにしても、飛び降り自殺という解釈あまりにも筋違いという事になる。
彼女はあくまで、''学生生活'' からドロップアウトし、学校や学生とは違う世界 ''いっちゃった'' のである。

ちなみに、2コーラス目のAメロ、〔「一生、30代いらない」 コーナーに突っこんだ スターは〕 とあるが、これは恐らくT.REXのボーカル兼ギタリスト、マーク・ボランの事を指していると思われる。
ボランは生前から、「僕は30歳まで生きられないだろう」 と冗談めかして語っていたが、実際に30歳の誕生日二週間前に、自動車事故で亡くなっている。
〔ギターなんてモウレツさ〕 と歌詞で続くのはそのせいであり、「実際まだ十代なんだから、マーク・ボランで例えるなら、十代の頃なんて、そりゃあモウレツなギター弾けちゃってるよ」 という意味だろう。
マーク・ボランの事を知らないと全く想像もつかない歌詞ではあるが、岡村節としてはわりとよくあるタイプの濁し方ではある。

さて、とにかく難解なのが1コーラス目のDメロ。
〔あのモンスターが 僕らをすぐ食べる 電気のバリアのストップでも すぐ割れる〕
これも恐らく比喩なんだろうが、情報量が少なすぎて何の事を言ってるのかがよく解らない
これだけ破綻した歌詞を書かれては、ほとんどヒントも無しに暗号解読をする様なものだ。
逆算するとタイミング的にまだ早いが、この頃にはドラッグに手を出していた可能性はあるし、歌詞の内容からしても、これはトリップしながら書いた作品なのかも知れない。
とりあえず、''モンスター'' 何かしらの脅威の比喩で、電気バリアを施したストップ標示すら割ってしまうほどの脅威なんだって事だけは解る。
その脅威の正体に関しては、ザックリと ''大人たち'' という感じの解釈で良さげなのだが・・・断言出来るほどの根拠が歌詞中に無いのでどうにも。
2コーラス目のDメロはストレートなんだけどもねぇ・・・。

05. マシュマロ ハネムーン feat. Captain Funk
 2001年 Single 『マシュマロ ハネムーン feat. Captain Funk』
テクノ系、ハウス系のジャンルでは世界的に有名であるCAPTAIN FUNKこと、オオエタツヤ氏とのコラボシングル。
楽曲的にはエレクトロってジャンルになるんだろうけど、打ち込み系のシーケンスドラムとファンキーなベースが妙に気持ち良い。

Bメロ、〔頬紅色染める様な大切な 本音を言うと 結婚したいんだ すぐ〕 というフレーズで 「おぉ!岡村ちゃんだ!」 と感じたファンは少なくないはず。
なんせ 「結婚したいんだ」 だし、「すぐ」 ですからね、えぇw
当初から強い結婚願望ズレた恋愛感が露骨だった岡村靖幸なので、こういったフレーズがストレートに出て来ると、『ブレてない岡村靖幸』 を見た気がして、妙な嬉しさがこみ上げてきます。

〔だから素晴しい 快感 傍観 同じ夜でも どんなにするかは 僕しだい〕 と始まるサビ。
これまた全盛期の岡村靖幸を感じさせるフレーズで、〔体感 直感を楽しめる 二人なら星も降る〕 とロマンチックに締め括る辺りも、馴染みのある岡村靖幸らしいフレーズ
ただ・・・どうもこの岡村靖幸らしさ ''わざとらしさ'' みたいなものを少々感じてしまう。
意図的に ''岡村靖幸らしく'' 書いた歌詞の様な。
つまり、衝動で浮かんできた歌詞を書いたというより、「俺ってこんな感じで書いてたよね」 ってな印象をちょっと感じてしまったのだ。
実際どうなのかは知らないが、この頃の岡村靖幸に明確な 『歌いたいテーマ』 は無かったんじゃないか・・・とすら思う。
「僕は君みたいな素敵な娘とエッチしたいんだ!」 みたいな全盛期のノリもある意味では薄っぺらいんだけども、そういうのとはまた違う薄さをこの歌詞では感じる。
但し、それが悪いって訳でもないし、楽曲としてのノリは物凄く好みなので不満とも違う。

07. カルアミルク
 1990年 Album 『家庭教師』
シンプルなミドルテンポのラブソング。
''エロが無くても名曲を作れる岡村靖幸''・・・という事を証明した一曲w
とにかく名曲。

この曲は 『岡村靖幸、最高最強のラブソング』 と評価しても良いんじゃないだろうか。
実際、ラブソングならこの曲が一番だという評価は多いらしい。
演奏としては非常にシンプルで聴き易いし、それだけに歌詞も入って来易い。
どこかノスタルジックで、なのにリリースから20年以上経った今聴いてもリアリティのある歌詞
とにかく名曲だ(しつこいw)

〔あともう一回あなたから またもう一回の電話で僕らはでなおせる〕 と始まるAメロ。
この初っ端からもう切なさが滲み出ている
歌詞的に言うなら、これはリフレインの妙
〔僕らは出直せる〕 という事からして、一度ダメになってしまった二人が背景にあるのは想像がつく。
あえて省かれているが、〔あともう一回あなたから〕 に続くのは 「電話さえあれば」 だろう。
しかし、そこで再度 〔またもう一回の電話で〕 と言い直している。
これはつまり、「いや、待ってないでこっちから電話したって・・・」 瞬時に考え直した事を意図している訳で、この短いフレーズの中でドラマチックな演出をしているからこそ、初っ端から妙に切ないのだ。

〔ここ最近の僕だったら だいたい午前8時か9時まで遊んでる ファミコンやって ディスコに行って 知らない女の子とレンタルのビデオ見てる〕 と、再びAメロ。
この曲の主人公は、''真っ当な生活などしていない遊び人'' だ。
まぁ、この曲も例に洩れず、岡村靖幸自身の視点なんだろう。
売れっ子になり、当時の盛り場に行けば当たり前にモテて、金銭的にも多少の無茶が出来るほど儲かっている状況。
なんせ時は、かの ''バブル期'' だ。
どう見てもただの遊び人にしか見えない生活をしている様な連中が、実はちゃんと仕事もこなし、有り得ないほど大儲けしていた様な頃だ。
『ファミコン』 やら 『ディスコ』 やらと当時の時代背景を感じさせるキーワードは確かに古いものだが、今の時代で 『ネトゲー』 『クラブ』 に置き換えれば、昔も今も大差無いと解る。
『レンタルのビデオ』 も同様だろう。
つまり、媒体の名称システムなどは時代と共に変わっても、基本的な遊びのフォーマットは、何十年経ってもそれほど変わってないという事である。
無論、遊びの種類自体は増えているのだが。

Bメロ、〔あの頃の僕はカルアミルク飲めば赤くなってたよね 今なら仲間とバーボンソーダ飲めるけれど 本当はおいしいと思えない〕 と続く。
ここで言う ''あの頃の僕'' 過去の自分を指しているのは容易に解る。
そんな過去の自分を知っている 『元カノ』 に対しての語り掛けだ。
〔今なら仲間とバーボンソーダ飲めるけれど〕 というのは、付き合っていた頃から時が過ぎ、''今はすっかり社会人としての付き合いを学んだ大人だ'' という事を意味している。
「本当はおいしいと思えない」 けれど、仲間との飲みの席ではバーボンソーダを頼むのだ。
酒の好みよりも、''優先させるべきものを優先させる'' という事を学び、大人社会に生きている訳である。

そもそも、カルアミルクは ''カルーア'' というコーヒーベースのリキュールで作ったカクテルの事であり、口当たりの良さから飲み易く、比較的女性に人気の高いカクテルとして知られている。
この楽曲が作られた当時、日本でもカクテルが大衆レベルで普及し始め、''大人のオシャレな飲み物'' として人気が出た。
前述のとおり、口当たりの良さから特に女性ウケが良く、又、アルコール度数がそれなりに高い為、あまりカクテルの知識が無い女性を ''酔い潰して持ち帰る'' という・・・スクリュードライバー同様、デートレイプ目的、送り狼目的の男達には好都合なカクテルだった。
そんな理由もあって、「カルアミルクは女の酒」 というイメージが強くなり、男が注文すると笑われる類のカクテルでもあった訳だ。
で、何故ここでわざわざカルアミルクについての解説を挟んだかというと、''当時のカルアミルクがどういったものだったのか'' という背景がわりと重要になるからである。

さて、話をBメロに戻すが、''女の酒'' であるカルアミルクと、''大人の酒'' のイメージが強いバーボンの対比で、なんとなく注文する人の印象の違いは理解出来たと思う。
まぁ、「大人はバーボンならロックかストレートだろ」 って意見も当然あるんでしょうが、当時の岡村靖幸の感性から察するに、「ロックとかストレートなんて、隠居したジジィか西部劇の悪役の飲み方だよ。 若者ならソーダでしょ」 って感じじゃないでしょうかね。
とにかく、ロックでもストレートでもなく、ハイボールという呼び方でもなく、''バーボンソーダ'' なんですよ、ここは。

もう一つ、〔あの頃の僕はカルアミルク飲めば赤くなってたよね〕 とあるが、ここで言う 「赤くなってた」 は、ダブルミーニングの可能性が高い。
前述のとおり、当時のカルアミルクは ''女の酒'' であり、男が好んで注文すると笑われる事もあった訳だ。
つまり、そんなカルアミルクを男が外で飲むのは恥ずかしいという風潮があり、仮に好んで家飲みしていたとしても、それをわざわざ他人に言ったりはしなかっただろう。
という訳で、〔あの頃の僕はカルアミルク飲めば赤くなってた〕 とは、「あの頃はまだ酒が弱かったよね」 という解釈の他に、「あの頃は照れながらカルアミルク飲んでたよね」 という解釈もある様に思う。
とりあえず、『主人公はカルアミルクの味が好き』 という点は、後述に繋がる部分である。

〔電話なんかやめてさ 六本木で会おうよ いますぐおいでよ 仲なおりしたいんだ もう一度 カルアミルクで〕 というサビ。
ここで主人公は ''元カノと電話'' している。
歌詞冒頭の様子からすると、恐らくは自分から掛けた電話だろう。
呼び出そうとしているぐらいだから、決して悪い雰囲気でもなく、会話もそれなりに弾んだんだろう。
そして肝心なのは、〔仲なおりしたいんだ もう一度 カルアミルクで〕 の部分。
もう一度仲直りしたいというのはそのままだから良いとして、締め括りが何故 〔カルアミルクで〕 なのかである。
単に主人公が 『カルアミルク好き』 だからではない。
この主人公は、昔と違い、社会での生き方を学んだ 『大人』 になっている事を自覚していて、大人として建て前や体裁だらけの中で生きているのだ。
そんな成長した ''大人の彼'' であれば、きっと元カノと再会する時にカルアミルクを頼んだりしない
でも、この元カノに対しては、普段のカッコつけなんてせず、自分の好きなカルアミルクを注文して飲むつもりなのである。
つまり、普段の ''繕った自分'' ではなく、素の自分として彼女と再会すると誓っているのだ。

ちなみに、余談というか裏付けの一つなのだが、2コーラス目のBメロに 〔誕生日にくれたねカルアミルク この前飲んだらなんだか泣けてきちゃったんだよ〕 とあるのは、「過去に主人公の彼がいかにカルアミルクを好んで飲んでいたか」 という根拠と同時に、元カノと付き合っていた頃に貰ったカルーア「この前飲んだら」 というほど彼が大事に取っておいた事を意味しているのかも知れない。
実にさりげなく長年の未練を演出している辺りも、お見事としか言い様が無い。

08. やましいたましい
 1996年 Single 『ハレンチ』 c/w
シングル 『ハレンチ』 のカップリング曲。
スタジオライブ形式でレコーディングされたっぽいシンプル構成の楽曲。

ハレンチは比較的社会派な歌詞だが、カップリングされたこの曲は、ドストレートなソウルナンバーに仕上がっている。
所謂、''岡村靖幸だからこその苦悩'' みたいなものが露骨に出ていて、痛々しさすら感じるほど。
歌詞を取り上げたら、全部を載せないと意味が無いって感じになってしまうから困るw
まぁ、とにかく岡村靖幸のメッセージソングとしては直球すぎるほど直球で、ある意味、こういった曲を歌うのは不本意だったんじゃないかとも感じる。
メッセージ自体よりも、''岡村靖幸の抱える痛み'' の方が濃厚に感じ取れてしまうのは、ファンだからこそなのだろうか・・・。

11. せぶんてぃ~ん
 1999年 Single 『セックス』 c/w
シングル 『セックス』 のカップリング曲。
これまたスタジオライブ形式でレコーディングされたらしい、シンプル構成の楽曲。

〔夢の中 泣いて あん時こう言ってりゃって思うよ〕 と始まるAメロなのだが、この初っ端のフレーズが個人的に結構痛い
一般的には何でもないフレーズだろうが、俺には少々現実味があり過ぎるのだ。
なんせ後悔だらけの人生で、過去は塗り替えられない以上、同じ後悔を不定期に何度も繰り返す訳である・・・しかも、いつだって前触れもなく唐突に
まぁ、俺の個人的な事は全くどうだっていい話なのだが、歌い出しからグワッと胸を鷲掴みにされた様な気持ちになる曲もなかなか無いので、インパクトは強かった・・・極めて個人的に

この曲は、序盤からサビまで母親をテーマにした歌詞になってる様だ。
で、最後のDメロで急に歌詞の色合いが変わる。
〔たった一度の 口づけで あの中学生の女の子がテレクラはまるぜ〕 といった具合に。
この展開は明らかに違和感を覚えるのだが、最後にそういったメッセージを持ってきた以上、何らかの総体的メッセージがあるんだろう。
無論、歌詞そのものの内容というより、どういった意味と意図を以って、最後にそんな歌詞を持ってきたのか・・・という部分が重要になるのだが、そこはまたしても明確になっていない
単純に 「きっかけ一つで人生は変わる」 と言いたいのは解るが、それを額面どおりに受け取ると、そこまでの歌詞との繋がりが見えない。
「あれ?母親がテーマじゃなかったっけ?」 といった感じになる。
まぁ、タイトルが17歳を意味するものであっても、この曲はそんな世代を子に持つ親達に対して向けているものなんだろう。
「子供の頃を思い出せ! 親がどう育ててくれたか思い出せ! その上で子供たちを導いてやれ!」 というメッセージは感じられるが、なんだかもう少し、それとは違うものもある気がしてならない。

それから、あくまで雰囲気的なものでしかなく、根拠も無いが、この曲は遊び仲間だった尾崎 豊へのリスペクトも含まれている気がする。
タイトルからしても ''17歳'' だし、サビに 〔散々ガラスを割っても〕 とあるが、「十代の頃の岡村靖幸に、そんな真似が出来たんだろうか?」 という疑問を感じるのだ。
尾崎 豊は確かに硬派な不良的思考を持ち合わせていたと思えるが、岡村靖幸はもっと内気な少年で、派手な外向けの言動は、売れてから強く意識し始めた様に思う。
まぁ、そうは言っても十代の頃の思考やら言動なんて、大人にとって訳の解らないものの方が多かったりするのだが。

12. 友人のふり
 1989年 Album 『靖幸』
シングルカットもされたバラード曲。
これもエロ要素が無い

この曲のイントロを聴くと、どこかサザンの曲に似たものを感じる。
それは単純にアレンジのせいなんだろうが、アレンジの点から言うと、クリスマスの雰囲気も少しする。
まぁ、恐らくそのせいもあって、年末のクリスマス間近にシングルカットされたんだろう。

岡村靖幸のバラード曲としてはこれも名バラードに位置付けられる楽曲で、カルアミルクとはまた少し違った舞台設定で切なさを醸し出している。
〔もうどうしようもない程あいつに 抱きしめられてたいだなんて あんなに辛かったじゃん 忘れなさい だから〕 という ''たしなめのフレーズ'' から始まるAメロ。
序盤からタイトルの 『友人のふり』 の意味が伝わってくる。
主人公は親密な友人関係にある女性と二人で居て、その女性の ''恋愛相談に乗っている'' 訳だ。
そして、女性の方は普段、主人公を男性として意識していないのだが、主人公の方は、恐らく ''かなり以前からこの女性に惚れている''
マンガかドラマにありがちな関係性だが、現実にも充分に有り得る事だろう。

カルアミルクの解説でも解る事だが、岡村靖幸は基本的に ''外向けな自分と、素の自分との使い分け'' が自身の中で明確な様だ。
つまり、素で向き合える相手というものを、きちんと選別して対応しているという事。
故に、 ''カルアミルクに登場する元カノ'' や、 ''この曲に登場する女性'' に対しては素の自分として対応し、岡村靖幸らしさとも言えるエロ要素は無いのである。

この曲の女性は、前記した様に普段から主人公を異性として意識していない
だからこそ主人公に恋愛相談をし、〔もうどうしようもない程あいつに抱きしめられてたい〕 なんていう本音を漏らす訳である。
ここに登場する 『あいつ』 とは、女性の元彼の事だろう。
〔あんなに辛かったじゃん〕 と返している事からして、元彼と付き合っていた当時も主人公は恋愛相談に乗っていて、もどかしい思いを散々して来たのだ。
もう一つ付け加えれば、主人公に 「忘れなさい」 とまで言わしめる以上、この女性が元彼の事で相談を持ちかけるのはこの時が最初ではなく、もう何度も同じ様な未練たらたらを繰り返していると解る。
〔忘れなさい〕 の後の 〔だから〕 は、それを象徴する一言なのだ。

引き続きAメロ、〔ねえ本当の気持ち解んないけど 困るよ急に泣き出しちゃうのは〕 とある。
この 〔本当の気持ち解んないけど〕 も、非常にドラマ性のあるフレーズ
''主人公は密かに彼女に惚れている'' という歌なので誤解している人も多そうだが、ここでいう 〔本当の気持ち解んない〕 とは、決して「彼女が主人公をどう思っているのか解らない」 という意味ではない。
これは、''彼女自身が呟いた一言に対する返し'' である。
つまり、辛い恋愛だった事を充分自覚しているにも関わらず、それでも元彼への未練が断ち切れない彼女自身が、「もう自分がどうしたいのかも解んない」 とでも言って泣き出したのだ。
それに対しての 〔ねえ本当の気持ち解んないけど 困るよ急に泣き出しちゃうのは〕 という事。
こういった ''フレーズに潜むドラマ'' を読み解けないと、岡村ワールドはただの迷路になってしまう。

さて、少々難解なBメロ、〔岩場のデッキチェアーで 君のリボンに見とれてたら 僕の指を噛んだのは何故?〕 である。
詩的でありつつ、この総体的に現実的な歌詞の中では少々浮いている。
なんせ、情景として明確に見えてこないフレーズなのだ。
〔岩場のデッキチェアー〕 はいい、そういった場所に二人で居るのは解る。
〔君のリボンに見とれてたら〕 もそのまま受け取るとして、その続きの 〔僕の指を噛んだのは何故?〕 という部分が問題だ。
リボンに見とれてる主人公の指を噛む女性・・・素直に 「なんだそれ?」 となってしまう。
正直、本当の気持ち以上によく解んないシチュエーションであるw

恐らく、ポイントになるのは指を噛んだ事よりも 〔君のリボンに見とれてたら〕 という部分。
少なくとも解るのは、女性が主人公の指を噛める位置・・・つまり至近距離に居るという事だ。
さて、果たしてその至近距離に居る二人の位置関係はどういった感じなんだろうか。
整理すると、まず二人は岩場のある場所に居る。
そして、主人公はそこでデッキチェアに座っている
ここで 「じゃあ女性はどこに座ってるの?」 という疑問が生まれるはずだ。
そう、主人公はデッキチェアに座っていると解るが、女性もデッキチェアに座っているとは語られていない
先入観で 「女性も同じ様にデッキチェアに座っているんだろう」 と考えてしまいがちだが、二人でデッキチェアに座っていたとするならば、その状態で女性のリボンに見とれる主人公も、主人公の指を噛む女性も、かなり無理な姿勢や距離感になるはずなのだ。
つまり、自然に考えた場合、二人が同じ様にデッキチェアに座っているという状況では無く、あくまでデッキチェアに座っていたのは主人公の方だけという事になる。
「じゃあ女性は?」 という部分。
デッキチェアも色々と種類があるが、当時の状況から考えると、まだそれほどデザイン重視の物は無く、一般的なデッキチェアといえば、長めの座面が低い位置にあるフラットタイプの物・・・ちょっとしたベンチに背面が付いている感じの物だったと思われる。
つまり、一つのデッキチェアでも、男女が一緒に座って話すぐらいのスペースはあった訳だ。
それを踏まえて考えると、主人公も女性も、一つのデッキチェアに腰を下ろした状態で話してたと考えられる。
それなら距離的には非常に近いものとなるし、リボンに見とれたり、指を噛んだりするのも、全く無理が無い

さて、二人の位置関係は大体そんなものだとして、次は状況の謎なのだが、位置関係が明確になると状況も自然と見えてくる
まず、主人公が 〔君のリボンに見とれてたら〕 というフレーズの意味だ。
リボンも色々だが、一般的にリボンと言えば髪に付けるもの。
では、主人公は何故、女性のリボンなんかに見とれてたのだろうか・・・顔ではなく。
そう・・・そうなのだ。
非常に近い二人の位置関係女性のリボンだけを見つめる状況、それはつまり、女性を抱き締めている状況なのである。
主人公は自身に混乱して泣き出した女性を、優しく抱き締めて落ち着かせているのだ。
その根拠となるのは、Aメロの最後のフレーズ、〔いつでも僕 君の味方さ ほら〕 である。
この 〔ほら〕 こそ、女性を抱き締めた瞬間を表したものなのだ。

混乱した女性を落ち着かせる為、優しく抱き締めた主人公。
当然、主人公には彼女の顔が見えなくなり、頭のリボンだけを見つめている状態
そこでふと、女性は主人公の指を噛んだ。
表情も窺い知れぬ腕の中で指を噛まれた主人公にしてみれば、「今のってどういう意味?」 と考えてしまうのも当然だろう。
自身への悔しさから ''ついつい噛んでしまった'' のか、それとも、''主人公の優しさに対しての返し'' なのか、あるいは、''そこでようやく異性として意識した'' という返しなのか、主人公の悩ましい思いが非常に解り易い。
でも、それを訊いてみたところで、女性はきっとまともになんて答えてくれないというのが、〔でも絶対にきっと 答えてくれやしない〕 というフレーズである。
恐らく、この女性は主人公との関係を 『友情』 として続けて行きたいスタンスの人で、それを壊さない為にも ''一線を引いた甘え方'' しかしないのだ。

''それがいかに残酷な事なのか'' に気付いてない女性に対し、主人公が本心を告げようと決心するのが2コーラス目のBメロ、〔言わないで帰るって 友人のふりなんて 御座成りだもん 傷ついてもかまわない だって知ってるんだよ こんなんじゃどうしようもない〕 である。
〔友人のふりなんて 御座成りだもん〕 とあるのは、強い決心の表れ。
そのままいつもの様に帰らせると、彼女はまた同じ様な事ばかり繰り返し、どちらにとっても辛いだけ
だからこそ主人公は、『思い遣ってくれる友人』 という立場や信頼を捨ててでも、「自分が彼女を立ち直らせられるポジションになろう」 と決心した訳だ。
〔傷ついてもかまわない〕 あえて言ってるのは、本当に構わないと思っているからではなく、そうでもしないと 〔こんなんじゃどうしようもない〕 からである。
本当は傷つきたくなんかないんだけれど、''臆病で正直じゃない'' 主人公は 「傷ついたって構うもんか」 自分を騙したのである。


-その4へ続く-



※ 2017年11月 加筆・修正 及び、再編集の都合による記事分割