Respect:岡村靖幸・その2 | weblog -α-

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なんとな~く  思いつきで  好き勝手に  (=゚ρ゚=) ボヘー  っとやってます。

さて、前回の 《その1》 では、''岡村靖幸の人となり'' ''アーチストとしての性質'' を簡単に解説した。
今回の 《その2》 、次回の 《その3》 では、楽曲についての解説や、''フレーズの妙'' について少しだけ触れたいと思う。



◆作品の魅力◆

そもそも岡村靖幸の作詞センス多彩で面白いのだが、それぞれの楽曲ごとに 「これ!」 という様なキラーフレーズがほぼ存在する事も面白いのだ。
楽曲全てを取り上げる訳にもいかないので、今回は自作オムニバスの曲順を軸に、抜粋して取り上げてみる事にする。

「自作オムニバスなんか知らねーよ」 とのツッコミはごもっともなのだが、全楽曲から改めてチョイスする手間などを考えると、「予めチョイスして作ったオムニバスの曲順を使うのが最も手っ取り早いだろう」 という結論なのであしからず。
ちなみに、オムニバスという特性上、マニアックチョイスはそれほどしていない。



【Disc 1】

01. Vegetable
 1989年 Album 『靖幸』
セルフプロデュースとなる3rdアルバムのトップナンバー。
それだけにキャッチーでポップな曲調ながら、歌詞は序盤からどっぷりの岡村ワールド
〔愛犬ルーと散歩すりゃストロベリーパイ あの娘が手に持ってやって来る〕 と始まるこの曲、まるでアメリカの青春映画の世界観。
爽やか路線のまま進むのかと思いきや、岡村ワールドではそうはならない
Aメロ最後のフレーズ、〔本妻すんならあの娘に決めてんだ〕 は、いかにも岡村靖幸。
本妻候補じゃない彼女の存在もサラッと臭わせている。

そしてBメロ。
〔この場にまで来てなんだい ねえ夢見てたんだ 明けても暮れても この事ばかりさ〕
これぞ岡村靖幸のエロエッセンス
「この事」 って言い方からして、真っ最中の状況なのが解る。
「あの事」 ではなく 「この事」 というフレーズをチョイスしている辺りは、地味だが非常に重要なポイントだろう。
少々過剰な生々しさの演出岡村ワールドの必須要素なので、ここは 「この事」 でなくてはならないのである。
しかし、「清純な君」 と理解しつつ、そんな清純な子を 「手篭めにする青春」 というのは、とんでもなくスケコマシな青春の様だが、岡村靖幸的には 「これぞ青春」 という事なんだろう。

02. ステップUP↑
 1990年 Album 『家庭教師』
ブラスの効いたダンサブルナンバー。
Aメロのリフの後のBメロが実質的なサビの役割となる変則的な曲。

Aメロの終わりに 〔こんなんなった僕が言うんだ〕 と言ってたり、2コーラス目が序盤から 〔有名な僕だけど指差すな 柔軟剤買ってる時ぐらい〕 となっている事から、基本的に岡村靖幸本人の視点で書かれてる歌詞だと解る。
もっとも、岡村の楽曲は特に記述が無くても、ほとんどが本人視点みたいなものだが。

キラーフレーズBメロ全体だが、特に 〔びしょ濡れでいいじゃない 手をつないで歩きたい〕 というフレーズは、詩的でグッとくる
楽曲的にキャッチーなのはその後の 〔僕はステップアップするため倫社と現国学びたい〕 の方なのだが、これは歌詞全体から察するに、お目当ての女子高生と良い仲になる事を目的とした 〔倫社と現国学びたい〕 なんだろう。
要するに、お約束の ''下心フレーズ'' であるw
でもって、アルバムのタイトルが 『家庭教師』 である事に繋がっている訳だ。

03. Super Girl
 1988年 Album 『DATE』
アニメ 『シティハンター2』 エンディングテーマで知られたポップチューン。
夢が第一の売れない女優と付き合ってる男のラブソング。

2コーラス目のサビ 〔ベンジョンソンで証明済み〕 というフレーズは、インパクトはあるものの、歌詞として難解である。
1コーラス目のサビが 〔14回もしょげずに〕 である事から、〔しょげずに〕 〔証明済み〕 韻を踏んでいるのは明らかだが、何故にここでベンジョンソンという人名を出すのかが解らない。
リリース当時、ベン・ジョンソンと言えば陸上界のスーパースター
世界新の記録でカール・ルイスを破った 『世界最速の男』 のベン・ジョンソンを誰もが連想した。
当然、歌詞のベンジョンソンもそんな彼の事を指していると思えたのたが、歌詞の前後を踏まえて考えた場合、陸上選手ではない別のベン・ジョンソンという可能性も出て来る。
他に該当しそうなベン・ジョンソンと言うと、ジョン・フォード作品に多数出演している俳優のベン・ジョンソン
そして、劇作家であり詩人のベン・ジョンソンの二名ぐらいだろう。
俳優のベン・ジョンソンは、西部劇を中心とした名脇役であり、歌詞に使うには少々無理がありそうだ。
詩人のベン・ジョンソンの方は、詩人である事からも作品に何らかの感銘を受けて名前を使ったと考えられなくもないが、さほど 〔愛が人生のMotion〕 繋がりそうな代表作は見当たらない。
もっとも、どちらのベン・ジョンソンも可能性がゼロと言い切るには、情報が少なすぎるのだが。

歌詞としての見地から言うと、あえて遠回りな表現にする日本語の遊びは当然有り得る事で、岡村靖幸の作詞センスから考えると、さほど捻りまくった表現を使わないという傾向がある。(難解なのと捻りがあるのは別という意味)
それを踏まえると、やはりベンジョンソンは ''陸上選手のベン・ジョンソン'' だと考えた方が納得出来るのだが、それだと振り出しに戻って意味が解らないという事になる。
・・・が、歌詞の前後も含めて見てみると、なんとなく見えて来る気もするのだ。
〔Don't you Don't you know わかってよ ちょっと 勉強すりゃ解るよ Baby I got 愛が人生のMotion ベン ジョンソンで証明済み 本当の Dance Chance Romance は自分しだいだぜ〕 となっているので、〔ベン ジョンソンで証明済み〕 に係っているのは 〔Baby I got 愛が人生のMotion〕 の部分。
ちなみに、「Baby I got」 が正規な歌詞となっているけども、正しくは 「Baby, I got it.」 と歌っているので、「俺が引き受けた」 とか 「俺が教えてやる」 って意味合いになるはず。
つまり、「愛は人生の原動力なんだ」 と言っていて、「ちょっと勉強したら解る事だから、俺が教えてあげるよ」 と言っている。
そして、残る 〔ベン ジョンソンで証明済み〕 を岡村センスを踏まえて歌詞的に解釈すると、「俺は世界最速ぐらいの勢いでとっくに証明してるからね」 という意味合いに受け取れる。
まとめると、「分かってる? 愛は人生の原動力なんだぜ? 分かってないなら俺が教えてあげるよ。 なんせ俺はとっくにその事を証明してる男なんだからね。」 という事。
これなら筋が通る上に、岡村的な表現としても納得出来る。

04. 聖書(バイブル)
 1989年 Album 『靖幸』
男子高校生が不倫をしてる同級生女子に想いを馳せる歌。

Aメロで明らかになる 〔35の中年と恋してる〕 同級生の女の子に対し、Bメロで 〔きっと本当の恋じゃない 汚れてる 僕の方がいいじゃない〕 言い切ってしまう辺りが、実に岡村靖幸らしい
要は、「なんでこんなイイ男が近くに居るのに、おっさんと不倫なんかしちゃってんだよ」 と呼び掛けている歌であり、それは、岡村自身が世間の女子高生に対して向けているメッセージでもある様に思う。
テレクラが台頭し、システム的に未成年の利用も可能だった事から、テレクラを媒体とした売春や不倫をする若年層が増加し、徐々に社会問題化されたのが当時の状況
女性像というものにある種の幻想を抱く岡村靖幸にとっては、恐らく、「黙ってはいられなかった」 というところだろう。
そんな女性に対する幻想は、背景として他の歌詞にも顕著に見られる

05. いじわる
 1988年 Album 『DATE』
''遊び人のユカ'' との付き合いを歌った曲。
この歌詞も、主人公は岡村靖幸本人

Aメロ序盤、〔ユカは確かに美人だ 僕のヒップにしゃがんで 「うちに来ない?」 と誘った〕 という、いきなりの妖しいフレーズ
この 〔僕のヒップにしゃがんで〕 というフレーズがイメージとして少々解り辛いが、このユカが ''物凄く遊び人'' で、''エロい女'' だという事さえ解れば、「なるほど」 と理解出来る。
つまり、ユカは岡村靖幸を ''普通に誘った'' 訳ではなく、彼のヒップ・・・''尻に対してお誘いを掛ける'' という演出をしてみせた訳だ、わざわざしゃがみ込んで
さて、その上で 〔ユカはタフかと聞くんだ 濡れたリップがしぼんだ 僕はちょっぴり笑った〕 と続く。
脚本的に書いた方が解り易いだろう。

ディスコホールの傍らに立っている岡村。 遊び人のユカが近付くと、岡村を舐める様に見ながら背後に回り、岡村の尻の辺りにふとしゃがみ込む。
「え?」 と思い岡村が背後に目をやると、ユカは視線を合わせず、そのままの姿勢で岡村の尻に向かって話し掛ける。
ユカ: 「ねぇ君、ウチに来ない?」
岡村: 「・・・なに?」
ユカ: 「ねぇ、君って・・・どれぐらい頑張れる?」
相変わらず視線は合わせず、誘う様なキス顔を尻に対してしてみせるユカ。
イケイケの美人が、自分の尻を口説いてる光景にフッと笑う岡村。

・・・といった感じだ。
実にドラマ性があり、遊び人ならではの粋な誘い方をするユカが、かなりの手練なのもよく解る。
まぁ、順序的にはこの後のBメロでユカが遊び人らしいという解り易い情報が出て来るんだが、こんな誘い方をする時点でユカが只者じゃないのは言わずもがなである。

ちなみに、 〔ユカはタフかと聞くんだ 濡れたリップがしぼんだ 僕はちょっぴり笑った〕 の部分は、もっとエロい方向で想像する事も出来る。
ユカが口説きに掛かっているのは明白なので、岡村がその誘いに乗ったと仮定した場合、ここのフレーズは既に場面転換している可能性がある・・・ディスコのトイレか、どちらかの部屋か、どこかのホテルかは解らないが。
その上で 〔ユカはタフかと聞くんだ〕 であり、 〔濡れたリップがしぼんだ〕 のであれば、ユカによるオーラルSEXを意味している可能性も大いに有り得る。(※これでも表現は控え目にしてますw)
或いは、単にそれを連想させるジェスチャーをしただけかも知れないが、いずれにしても手練の遊び人がする事なら、充分に考えられる話だろう。
実際、ディスコ全盛期の当時は、「ディスコのトイレでどうの」 みたいな逸話が腐るほどあったらしいし

さて、この曲のキラーフレーズは、2コーラス目のBメロ、〔遊ばれ上手な彼女の涙に かなりのショック受けたりするのは crazy little thing is called love〕 である。
わりと直接的にユカが ''手練の遊び人'' だと解説しつつ、''そんなユカの涙'' に大ショック受けちゃう岡村ちゃん。
手練の遊び人だけに、お気楽極楽に生きているのかと思いきや、「そこには抱えているもんだって、そりゃあるんだよな・・・」 という当然の事に気付いてしまったショックなんだろう、恐らく。
で、''そんな部分を自分に見せた'' という事実に、岡村靖幸は ''上っ面ではない愛'' を感じたんじゃないだろうか。
「え? お前、そんなシリアスな一面、俺に見せちゃうの? 遊びじゃないの? マジなの?」 という様な感じで。

そして歌詞部分が終わり、エンディングの語り部分
〔僕の事をもっと知って欲しいんだ 理解者になって欲しいんだ〕 が前述に繋がってくる。
普通、''遊び人としか認識してない相手'' に、こんなセリフはまず言わない。
つまり、岡村靖幸自身も、ユカに対して本気を見せているという事なんだろう。
恋愛において、なかなか理解者を得られなかったであろう岡村靖幸であれば、同様に理解者を得難い遊び人のユカにそんな事を持ち掛けるのも納得だ。

07. イケナイコトカイ
 1988年 Album 『DATE』
岡村靖幸ならでは熱烈なラブソング
本来なら典型的なバラード調になる曲だが、岡村靖幸はソウルフルに歌い上げている。

〔いけないことかい? 傷ついても二度とはもう離したくない Baby 息が出来ないほど愛してるよ〕 というサビから入る、ストレートな愛の歌詞。
Aメロがやたらと現実的な表現なのに対し、Bメロがロマンチックな詩的表現になるというコントラストが、効果的で素晴らしい。
〔裸でまだいましょう 週刊誌はぼくらのことを知らない お願いだよ 僕だけのひとになってよ〕 とAメロにある事から、恐らく、世に顔が知られた有名人の自分(岡村靖幸)と、やはりそれなりに有名な ''芸能関係を生業としている女性'' との恋愛を歌ったものの様だ。
その辺りから察するに、『Super Girl』 の歌詞に登場する女性と同じ人物との恋愛を素材にしていると思われる。

Bメロ、〔眠れない夜は屋上にのぼって 風に尋ねてるんだ 「ねえ ドンファン 虚しいことなのか」 彼女のLove, Sex, Kiss 朝からずっと待っている〕 と、ロマンチックな表現で盛り上げているが、これはまさしく、''有名人同士の恋愛はタブー'' とされてる事に対する疑問と葛藤である。
ちなみに、ドンファンとは、プレイボーイの代名詞として使われる伝説のモテ男
イタリア読みのドン・ジョヴァンニの方が、モーツァルト・オペラなどで有名かも知れない。
そんな伝説のプレイボーイに、 「あんたもこんな思いになったのかい?」 と訊いてみたくなるほど、この恋は悩ましい恋愛だったんだろう。

2コーラス目のAメロ、〔真夏の雨の様に 18、9が蒸発したけど このぼくらは 今ならば大人だろうか〕 という部分がまた少々難解だが、これは単純に ''18歳、19歳という十代の終わりがあっと言う間に過ぎ去った'' という事であり、そんなあっさり過ぎた十代の経験で、「ハタチを過ぎた今は、本当に大人になれたんだろうか?」 という自身への問いかけであろう。
言い換えれば、十代と二十代で、価値観も恋愛感もさほど自分の中に変化が感じられず、それでもハタチを過ぎたという事実だけで、大人としての責任や姿勢を問われてしまう現実に違和感を覚えているんだろう。
歌詞的な解釈からすると、これは ''岡村自身がそこで躓いた'' というより、相手側の女性が 「もう大人なんだから」 と構え、恋愛にも色々と制限を掛けている現実があり、そこに納得出来ない岡村靖幸の気持ちが反映されている様に思う。

08. Lion Heart
 1988年 Album 『DATE』
過去に別れた男女の恋愛模様を歌った曲。
楽曲的にはブラックミュージックのバラード曲の色合いが強く、個人的にこの曲のメロディラインを聴くと、鈴木雅之を連想してしまう。

全体的にドラマチックで情景の浮かぶ歌詞だが、珍しくこの曲にはエロが無い
その代わりに、男の切なさは満載である。
なんせ、別れた元カノが(恐らく唐突に)現れて、酷く泣き出すという展開だ。
しかも、これまた恐らくだが、かなり自棄になって、抱きついたり誘ったりして来てる状況でもあるだろう。
だからこそ、〔あの頃の二人には戻れない〕 のである。
恋人同士の頃の様には、無条件で全て受け止めてあげられないのだ。

〔実はさあ この僕もあの日から傘さえも開けない〕 とあるのは、なにも実際に ''傘を開けないほど脱力してる'' って意味ではない。
これはきっと、泣き出した元カノを前に、自分自身の中でのみ発した言葉だろう。
気持ち的には 〔あの日〕 からずっと泣いていて、それは 〔傘さえも開けない〕 ほどの土砂降りであり、収まらない嵐なのである。
〔この僕も〕 心で激しく号泣しているけど、そんなのは置いといて 〔何があったの?〕 と気遣っている男の優しさが切ない

サビの 〔新しいクリスマスが僕だけを亜麻色に染め 「幸せか?」 とたずね〕 というのも切ない。
元カノと二人で過ごしていたクリスマスとは違う 〔新しいクリスマス〕 が訪れ、仲間達と集まって騒いだりしていても、ふと冷静になった自分の中で、「クリスマスにこんなバカ騒ぎする事がお前の幸せか?」 と考えてしまう瞬間がある訳だ。
''亜麻色の自分'' とは ''セピア色の自分''・・・つまり、元カノと過ごしていた頃の過去の自分が現れ、「随分と楽しそうだな。 で、それで今幸せか?」 と皮肉をぶつけられるのである。
「クリスマスは恋人と過ごすもんだ」 という岡村靖幸らしい価値観が色濃く反映された部分だろう。

〔でもやりなおす勇気もないのに ただ抱きあうなんて あまりにも悲しいよ〕 という、2コーラス目のサビ。
あのエロエロ大魔王の岡村靖幸でもw、''弱って据え膳状態にある元カノ'' を抱いたりはしないのだ。
軟派でエロい印象を持たれがちな岡村靖幸だが、実は単なる女たらしと違う事がこういった部分で表れる。
普段、「たとえ君に彼氏が居たって構うもんか」 なんて強気に言っているかと思えば、自棄っぱちになるほど傷ついている元カノに対しては、 「構うもんか」 となれないのである。
本気にしろ遊びにしろ、''相手の気持ちが自分に向いてこそ、欲望の対象にもなるんだ'' というスタンスがよく解る。

09. だいすき
 1989年 Album 『靖幸』
岡村靖幸の一番の代表曲。
非常にポップでキャッチーながら、実は歌ってみると意外に難しい曲だったりもする。

その曲調から爽やかなイメージが強く、特に岡村ファンではない女性層からも 「可愛い」 などと支持された曲なのだが、俺的にはこの曲の歌詞ほど、意図的にオブラート3枚包み(表現下手w)みたいにした歌詞も無いと思っている。
というのも、この歌詞は昔でいう 『角度によって見え方が変化する絵(レンチキュラー印刷というらしい)』 みたいなもので、ストレートに解釈すればストレートに、深読みしようとすれば深い解釈が存在する歌詞に仕上げてある様な気がしてならない。
まぁ、解り辛いので細かく解説しよう。

1コーラス目序盤、〔赤のブーツとやけにすれすれのミニ 好みに応じて〕 とあるが、ここはストレートに受け取って、彼女が彼氏の好みに合わせた服装でデートの場に現れたって事だろう。
注目すべきは、''赤のブーツ'' ''スレスレのミニ'' である・・・セクシー路線なのは明らかだ。
こんなカッコでデートに来る時点で、この彼女はかなり気合いが入っていると解る。
そして 〔かなり可愛い車さ 海辺が見えるよ もうすぐ〕 と続く。
序盤なのであまり違和感なく聴き流してしまうが、歌詞的に考えると、この繋がりは妙だ。
「可愛い車で海辺デートに向かってるんだな~」 と受け取ってしまいがちだが、彼女の服装について取り上げた直後に車の話題は少々違和感がある。
しかも、ただの可愛い車ではなく、''かなり'' と強調している。
つまり、ここで歌われている 〔かなり可愛い車〕 とは、直前の歌詞を踏まえた上での 『彼女』 の事を指していると考えられる。
主人公は、このデートで、''自分好みの服で来てくれた、かなり可愛い彼女'' ''乗る'' つもりなのである。
そう考えると、その後に続く 〔海辺〕 性的な比喩だと思われ、恐らくは女性器を意味してると考えられる訳だ。
それはさすがに飛躍しすぎ? お前はフロイトかって?
いやいや、岡村靖幸の発想なら全然不思議ではない

〔肩に手を伸ばした時 雨がいきなり ザッザーザと本降り〕 と続いているが、これは彼氏がいざ手出しをしようとした瞬間の様子だろう。
ここで歌われている 「いきなりの雨」 とは、彼女が唐突に泣き出した事を表していると思われる。
前述のとおり、わざわざ彼氏好みのセクシーな服装で来た彼女な訳だから、彼氏としても気合い入れて覚悟して来たんだと認識していた訳だが、そんな彼女が良い雰囲気になって、これからって時になったら急に泣き出した訳である。
だから、〔まるで責めてるみたいだ 動機が不純なぼくを〕 と続くのだ。

次は本来ならBメロなのだが、Bメロを挟むと話が前後してしまうので、このまま2コーラス目のAメロの解説を続ける。
〔髪が濡れた横顔にほほを寄せたら 綺麗なぬくもり〕 とある。
ストレートに読めば、雨による濡れ髪の横顔に頬を寄せた様子だが、深読み解釈ではやはり違う。
泣き出した彼女に頬を寄せたという状況になるので、これは恐らく、彼氏が泣き出した彼女を抱き締めたんだろう。
あえて頬にスポットを当てている事からすると、状況的には彼氏が肩に伸ばした手をグッと引き寄せ、少々強引に彼女と頬を寄せ合った感じ・・・なので、正確には抱き締めたとは少し違うのかも知れない。
〔綺麗なぬくもり〕 は少し抽象的だが、純粋に体温を感じられた状況と、彼女が決して嫌で泣き出した訳ではないと解った・・・という事を意味していると思われる。
じゃあ何故泣き出したのか・・・という理由のヒントはBメロにある。

Bメロの 〔もう 劣等感 ふっとんじゃうぐらいに熱いくちづけ〕 という部分だが、ここでの 「劣等感」 というフレーズは、ストレートに読んでいると浮いている様に見えるだろう。
深読みした場合、この劣等感こそが 『彼女が泣き出した理由』 だと推測出来る。
「あなたみたいにモテる人があたしなんかと・・・」 と、岡村靖幸が好みそうな女性像を想像してみた場合、いかにもあり得る設定なのである。
「そんなつまんない事で泣いてないで、俺と誰にも出来ないキスしようよ、ベイベ」 なんて岡村節すら聞こえてきそうだ。

さて、サビ。
〔君が大好き あの海辺よりも 大好き 甘いチョコよりも〕 と、ここで再び登場するのは 「海辺」 という言葉。
前述のとおり、海辺は女性器(つまりはSEX)の比喩だとすると、〔甘いチョコ〕 キスの比喩だろう。
つまり、自分はSEXやらキスが目当てじゃないって事を言っている訳だ。
だから、〔こんなに大事なことはそうはないよ〕 という真剣さアピールに繋がる。

次にサビの 〔君が大好き あの星空より 大好き 赤いワインより〕 と続く。
海辺や甘いチョコが比喩だとすると、当然ながらここも比喩になっているだろう。
〔あの星空より〕 は、恐らく星を取り上げている事から 「星の数ほど女はいるけど」 という意味であり、「どんなにモテたって俺は君が大好きなんだぜ?」 っていうナルシスト岡村らしい表現だろう。
続く 〔赤いワインより〕 というのは、岡村センスを考慮すると 『処女性』 を表したものだと考えられる。
つまり、「本気で好きなら、処女かどうかなんて関係ないんだぜ?」 とでも言いたいのかも知れない。
これまた当時の岡村靖幸なら言いそうな事である。

そして締め括り、〔女の子のために今日は歌うよ〕 と来る。
つまりこの曲は、「どんな自分でも怖気づかず、自信を持って恋愛しようぜ!」 という岡村靖幸から女性へ向けたメッセージであり、「どんなあなたでも本気で好きになってくれる人は居るからね!」 という応援歌でもある訳だ。
あくまで女性向けである事を配慮して、露骨な表現をオブラートで包みまくった結果がこういった歌詞になったんだろう。
岡村靖幸なら、そこに手間を惜しまないのも不思議じゃない。

10. あの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するだろう
 1990年 Album 『家庭教師』
当時は非常に珍しかった 『長すぎるタイトルの曲』 として有名。
実にストレートな青春ソング。

この曲に関して言うなら、とにかくキラーフレーズの宝庫である。
それほど長い歌詞ではないのだが、刺さる人には突き刺さるフレーズがいちいち散りばめられている。
単にタイトルの長さだけで知名度を上げた曲ではないのだ。

〔あともう15秒でこのままじゃ35連敗 ぼくの胸のドラムがヘビメタを熱演している〕 で始まる1コーラス目。
〔汗で滑るバッシュー まるで謳うイルカみたいだ あの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するだろう?〕 と続く。
まず、シチュエーションがバスケットの試合中で、敗戦目前、残り15秒なのがそのまま描かれている。

この曲の歌詞の秀逸なところは、比喩を多用しつつ、ある場面の瞬間を切り取り、そこにある 『思い』 哲学的とも言える表現で表している事だ。
〔胸のドラム〕 〔ヘビメタを熱演している〕 遠回しで表現しているのは、言わずもがなで 『激しい鼓動』 の事。
あえて遠回し表現にしているのは、それこそが日本語の魅力でもあるからなのだが、この曲では前述した様に 『瞬間を切り取る』 という演出が施されているからでもある。
激しいバスケの試合で残り15秒となれば、想像するのは当たり前にスピーディでテンポ感のあるシーンだろう。
しかし、そんな短い瞬間を詳細に語る事により、その場面はいわゆる静止画の様にイメージされる。

主人公は残り15秒に迫った試合終了間際「このまま負けたら35連敗だ」 と改めて思い、ドキドキと脈打つ自分の激しい鼓動を改めて実感している。
緊張し、緊迫した瞬間だが、それなのにも関わらず、ふとそんな自分を客観視してしまう。
「こんな負け続けの弱小チームじゃ勝てっこない・・・現にあとほんの少しでまた負けが決まる」 と、そう思っている。
諦めムードが漂い、誰もがもう負ける事を察しているのだ・・・自分自身も含めて。
それでも、まだ試合は続いている。
とにかく必死でシュートを決めようと動き回る仲間達。
それを食い止めようとする相手チームの選手達。
コート内に響く、幾つもの ''汗で滑るバスケットシューズ'' の音を、主人公は 「まるで謳うイルカみたいだな」 と思う。
そんな余裕は無いはずなのに。
そして、今まさに客席で試合を見ている ''大好きなあの娘'' の事を意識し、「この万事休すの場面で、僕が大逆転のロングシュート決めたら、あの娘は一体どんな顔するんだろう?」 と考えてしまうのだ。
そんなマンガみたいなミラクルは、万が一にも起きたりしないのに。
たかだかと言えばたかだかな、一人の少年のほんの数秒間のドラマである。

Bメロ、〔誰もがもう諦めて苦く微笑むけれど 僕らならできるはず 革命チックなダンキンシュート〕 と続く。
ここはAメロから引き続きバスケ少年の事を歌っている様で、実はそうではない
何故なら、ここで述べられているのは 「僕」 の事ではなく 「僕ら」 の事であり、「ロングシュート」 ではなく、「ダンキンシュート」 だからだ。
''ロングシュートでなければもう試合に勝てない状況下'' を散々歌っていたAメロなので、ここに来て逆転が望めない ''単なるダンクシュート'' はあり得ない訳で、引き続きバスケ少年の事を歌うなら、シュートを決めるのもあくまで 『僕』 である必然性がある。
つまり、ここはAメロの主人公のスタンスではなく、岡村靖幸としてのスタンスであり、若者に対して 「簡単に諦めるな!自分の力を信じろ!」 というメッセージを発しているのだ。
あえて歌詞では語られていないが、恐らくAメロの主人公は、ロングシュートを決められずに35連敗目となる試合終了のブザーを聞き、好きなあの娘にもカッコイイところを見せられず仕舞いだっただろう。
それが人生であり、そうそう旨く行かないのが現実である。
奇跡なんて滅多に起きたりはしないのだ。
しかし、それでも諦めずに自身の力を信じていれば、たまには旨く行く事だってあるかも知れない。
それは、それこそ奇跡でしかないのかも知れないが、「ダメだと思って簡単に諦めてしまえば、そんな奇跡すら起きないんだよ?」 という事を、岡村靖幸は言いたかったんじゃないだろうか。

さて、この曲最大のキラーフレーズは、2コーラス目のBメロ、〔寂しくて 悲しくて つらいことばかりならば あきらめてかまわない 大事なことはそんなんじゃない〕 である。
これはまたストレート過ぎるほどストレートな様で、物凄く深みを感じるフレーズだ。
そもそも、1コーラス目では 「諦めるな!」 という様なメッセージを発信しておきながら、今度は 「諦めて構わない」 とは、一見矛盾しているかの様だ。
「支離滅裂じゃないか」 と思ってしまう人も恐らく居ただろう。
しかし、これは出来そうで出来ないというか、''ここまで親切丁寧に応援をしてる人も珍しい'' ってぐらいの事なのである。

確かに、「諦めるな!」 というテーゼがある以上、「諦めて構わない」 というのはアンチテーゼになる。
しかしこれは、単純に文字面を読み取れば良いというものではない。
基本メッセージは前述のとおり、「簡単に諦めるな!自分の力を信じろ!」 というものであり、その手の応援ソングは腐るほど世に存在する。
だが、現実がそんな単純なものではない事を誰もが知っている。
自分の力や才能を信じ、決して諦めずに全力を尽くして頑張ったとしても、''ダメなものはダメ'' であり、どうしてもダメなタイミングというものもある。
だとしたら、「頑張れば大丈夫!」 みたいなノリほど無責任な応援もないだろう。
「頑張れ!」 というメッセージを発信する人間というのは、頑張ってもダメだった場合をも想定してやるのが筋ってもんである。
岡村靖幸はその 『ダメだった場合』 を知っていて、むしろ 『ダメな場合の方が圧倒的に多い』 と知っているからこそ、「諦めたくないからって執拗にしがみついてばっかりでもダメだぞ!」 と教えているのだ。
諦めたくないが故、自分を信じるが故、孤立してしまったり、悲しい思いをしてしまう事は多々あるが、そういった状況を耐え忍ぶのは非常に辛い。
そんな状況に身を置き続けるのが 『情熱の証』 だと思ったら、それは大間違いである。
辛い事ばかりになってまでしがみつこうとしていると、それは情熱から 『執着』 に挿げ替わる。
「そんな楽しくもない執着をするぐらいなら、とっとと諦めて別の情熱を探そうよ」 と岡村靖幸は言っているのだ。
〔大事なことはそんなんじゃない〕 とは、そういう意味である。

14. セックス
 1999年 Single 『セックス』
ようやくと言えばようやくな、ドストレートなタイトルの妙に長い曲。
が、岡村靖幸だからと言って性行為の方のSEXを歌ってると思ったら大間違い。
この曲でのSEXとは、性別の方のSEXと解釈した方が正しい。

〔君は 真夜中に目覚める〕 と始まり、〔生まれて初めて女であることの意味をなぞってみる 生まれて初めて人生は平等か そうじゃないか 考えてる〕 とAメロを締め括る。
チャラついていた全盛期の頃からは考えられないぐらい哲学的で、(シリアス方向に)意味深な歌詞である。
そして、昔の様に明確なドラマ性も無く、一つのメッセージを軸に肉付けして行ったタイプの歌詞になっている。

この曲は楽曲としてもそうだが、歌詞も基本的にループやリフの多用で構成されている。
サビは 「君が、どんな○○を○○しても」 という繰り返しで、○○の中は一つ一つにそれほど重要性は無い
要するに、「君が何をどうしたところで」 という意図を、リフレインによって根拠立てている訳だ。
歌詞として面白いのは、そんなリフだらけのサビの締め括りが 〔セックス あん時言ったろ〕 というダブルミーニングな辺り。

メッセージとしては、「君が何をどうしたって、女である事実は変え様がない」 という再認識の促し
自分が ''女であること'' に、一体どういうメリットやデメリットがあるのかを認識しといた方が良いかもよ?・・・と、世の女性に対して忠告している歌詞だ。
つまり、心から 「女で良かった」 と思う瞬間があったとしても、同様に心から 「女じゃなきゃよかった」 と思う瞬間だってあるだろうし、今まさに 「女で損した」 と思う瞬間が訪れても、「女だからこそ得した」 と思える瞬間が訪れる可能性は同じだという事。
結局、''女である事'' 自体に損も得も無く、それは単純に性別の違いだと言いたいのかも知れない。
女として生まれた事が、平等と感じるか不平等と感じるかは人それぞれだが、その平等と不平等の比率というのは、例え何をどうしたところで、何も変わらないという事なんだろう。

16. ハレンチ
 1996年 Single 『ハレンチ』
ダンサブルでアップテンポな曲だが、歌詞の内容は社会派
まぁ、岡村靖幸が言いたい事の根本は、全盛期からほぼ変わらないのだが、変化した社会的背景を受け、よりリアルで日常的なものとして苦悩している様が窺える。

〔あなたはただ服を脱ぐ 今週も連休も 五時間目でフケて〕 で始まるこの歌詞は、当時社会問題として大きく取り上げられた 『援助交際』 について触れている。
全盛期には 『聖書(バイブル)』 でも似た様なテーマと主張をしていたのだが、その頃と違い、より若年層の売春などが広がりと定着化の色を見せ始め、昔以上に岡村靖幸を悩ませる問題となっていたのだろう。
そんな現実に対し、岡村靖幸は歌詞中で 「たまんないよ」 「解んないよ」 と叫んでいる。

''大人に声かける'' 事で客を取る未成年の若い子達。
そんな子達にも、岡村靖幸は ''情が出る'' のだ。
「金の為だから」 簡単に割り切れたりなんかしない岡村靖幸にとって、それは全く理解不能の領域だったのだろう。
''ムード派'' な岡村靖幸は、気に入った娘を見つけると相変わらず、すぐ ''目移りしちゃう'' けれど、そうして口説いた ''どんな娘といても'' こんがらがってしまうのだ、「俺の好みは違う」 と。
つまり、気が多い岡村靖幸ですら相応のプロセスを経た上でなければ女性と寝ないし、それでも世間的には自分が軽い人間に属する事も認識している。
なのに、そんな自分よりも簡単に ''知らないおっさん共'' と寝られる若い子達って、一体どういう事?!・・・という混乱の極みが窺える。
実際、この曲の辺りから、岡村靖幸の理想主義的な恋愛感は、現実社会の流れというものによって、著しくダメージを受けて行ったと思われる。


-その3へ続く-



※ 2017年9月~11月 加筆・修正