ピンボケで何を見ている | weblog -α-

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なんとな~く  思いつきで  好き勝手に  (=゚ρ゚=) ボヘー  っとやってます。


我ながら最近ちょっとうんざりしている時事ネタです。
この件については、Twitterのつぶやき程度で個人的に整理のついた話だったんだけど、なんだか気持ちの悪い記事を読んだので(正確にはその記事に対してついていたとある匿名コメントの事)、何が気持ち悪かったのかを吐き出したいなと。
もうピークから数日経ったんだけども、例の乙武君の入店拒否騒動ですよ。

事態の詳細はあえて語るまでもなく広まってると思うんだけど、要は、乙武君が事前に予約しといたレストランを訪れると、実質的に車椅子では入店が困難な店舗だと判明。
乙武君側は食い下がるも、店主は頑なに入店を断った・・・と。
その事を乙武君がTwitterでつぶやき、店名を伏せなかった事から賛否両論の論争が主に外野で繰り広げられた訳です。

まぁ、賛否両論は当然っちゃ当然で、公人とも言える乙武君が差別されたかの様に事実を語れば、それはもう大騒ぎ必至。
勿論、当人もそれを見越してツイートしたのは間違いないし、問題提起だけじゃなく感情論も多分に含めたもんだったでしょう。

いや、乙武君と店側の当事者間は、比較的短い時間で一応のケリがついてたんですよ。
いわゆる大人の対応というのを両者間がする事によって、この件についてはお互いもう水に流しましょう的な雰囲気で着地してました。
ところが、やっぱり乙武君のツイートの影響力はデカく、実名が出されてる店側は抗議電話やらなんやらと大迷惑な状況になったそうで、当の乙武君に対しても、露骨な差別や誹謗中傷を含め、批判的な意見は少なくなかった様子。
それはもう、完全に外野の暴走というか、そうさせてしまった乙武君にも責任があれば、そもそも対応に問題があった店側にも責任はある訳で、ケンカ両成敗的なオチにしかなりません。

うん、そうなんですよ。
騒動自体について言うのであれば、どちらにも責任はあるんでしょう。
むしろ、これだけの騒動になったのは、相変わらず自我を抑えず主張ばかりする輩であるとか、火に油を注いで余計な事しかしていないマスコミのせい。
当事者にしか知り得ない事だらけの中で、「あなたが悪い」 だの 「酷い差別」 だのとへっちゃらで(しかも当事者に対して)言える方が非常識ってもん。
知り得る情報で判断して、個人的な意見や見解をツイートするなりブログに書くなりは構わないにしても、よくもまぁ、当事者に直接ぶつけるなんてテロリストみたいな真似が出来るもんですな。
そういう輩は良いも悪いも他人様に意見する資格すらない。

乙武君について、あるいは店側について正しいだの間違ってるだのと声高に意見してる人達はワラワラ居るけど、まず疑問に思うべきは外野の暴走じゃないんですか?と。
外野は外野、当事者じゃないって事を大前提に論じるなら論じればいい。
基本的なその筋を通さずして、なんで乙武君やら店側に筋の通った意見が出来るものかと。


今回の騒動、最大のポイントは乙武君が世に知られている障害者である点。
故に、乙武君が不愉快に思う出来事があり、そこに誰か他人が関わっているとなれば、「その誰かが障害者差別をしたのではないか」 と過敏に反応する人達が非常に多く出て来る。
仮に乙武君自身が不用意な言動をし、そのリアクションとして不愉快になる思いをしたとしても、「障害者に対してその態度はどうなの?」 みたいな意見は確実に出て来る。
そうなると、もはや責任論なんかは二の次で、単なる差別の有る無しの話になってしまう。
『障害者代表』 である乙武君を誰も攻撃すべきではない・・・という様な前提になってしまうと、これはもはや宗教に近い。
当の乙武君自身は、恐らくそういった事を顕著に嫌っているタイプの障害者であり、だからこそ明らかに差別的な批判などに対しても受け入れるスタンスを取っているんだろう。
『障害者は絶対的弱者などではなく、過保護にされるべき存在でもない』 という様な姿勢を明確に見せる事で、乙武君は支持を集めたと言って良いと思う。
今回の騒動に対する意見の中に、「残念だ」 と乙武君に対してコメントしてる人がかなり多く見られたが、その人達こそ乙武君のそんな姿勢を支持して来た人の一部だろう。

乙武君がこれまで示してきた 『障害者としての姿勢』 が、今回の騒動では矛盾してると感じた人が多かったんだと思う。
しかし、結論から言って、それは視点がズレている。
勿論、甘えが無かったとは言わないが、彼は決して 「障害者なのに特別扱いをして貰えなかった」 と憤った訳ではない。
その事は彼自身がブログ記事でも触れている。

まぁ、俺に言わせれば、どうしてこうもみんなして視点がズレまくっているのかが奇妙にすら思う。
乙武君のTwitterも見たが、彼は最初から店主の態度や物言いについて言及しているのであって、抱えてくれる事を拒否されたから店主は悪人だ・・・とは言っていない。
乙武君を支持してた人なら解りそうなもんだが、彼はいわゆる一般的な差別に対して、さほど気にする素振りは見せない人だ。
内心どうなのかは知らないが、結構な耐性がある様にも見える。
それは恐らく、彼自身が障害者である自分と向き合い、自分と大多数の人達との違いを受け入れていった結果だろう。
そんな乙武君が、今回だけ差別に敏感になり、感情的になってTwitterで店名を晒した・・・などと考える方が不自然なはずだ。

俺は当初、乙武君のTwitterを読み、店主だか従業員らしき人のログなども読み、これは単純に客商売の問題だな・・・と解釈した。
無論、車椅子を事前通知しなかった乙武君側の 『客としての配慮不足』 も踏まえた上でだ。
個人的に、客商売については過去に深く考えさせられた時期があって、客商売としての言動や振る舞いについては、我ながらうるさい方だと自覚している。
それだけに、世間で客商売をちゃんと理解して経営・勤務しているであろう従業員は著しく少ないと常々感じているし、それは大都市の有名店だろうと人気店だろうと関係ない事も知っている。
勿論、俺の言う 「ちゃんと理解して」 がどこまでを指すのかは解らないだろうし、それが基準だというつもりもない。
が、少なくとも、「客商売とはなんぞや?」 と真剣に考えた事のある人が大多数だとは誰も思わないはずだ。
そんな世の中において、客に対して酷い言動・態度をする店側の人間は決して珍しくない。
だから、乙武君の場合も 「そういった店主の店に当たってしまったんだな」 という程度の感覚でしかない。
当事者でない以上、「あぁ、あるよねぇ、そういう店」 ぐらいのもんだろう、普通。

客商売というのは、当然ながら客ありきだ。
ボランティアでない以上、利益をもたらす 『客』 が来なければ経営が成り立たない。
多くの客を呼び込む為、リピーターを増やす為、店側は努力をする。
その努力に含まれる基本的な事こそ、従業員の言動や配慮だ。
例え接客態度に落ち度が無くとも、接客以外の部分がいい加減なら、客はそこを見て 『店』 を評価する。
いくら商品が素晴らしくとも、従業員が客に悪い印象を与えれば、『店』 のイメージダウンに繋がる。
つまり、一口に店と言っても、それはそこで働く従業員や関係者を含めたものになるという事。
客をコンスタントに迎え入れ、経営を続けるという事は、総体的なバランス感覚が必要になるという事だ。

今回の騒動において、乙武君側はあくまで 『客』 である。
客が絶対的上位ではないにせよ、客商売という前提で言えば、客に不愉快な思いをさせた時点で店側にはかなりの落ち度がある。
言い分の善し悪しや正当性ではなく、現実として不愉快にさせてしまったという事実にこそ、客商売としての問題があるのだ。
それなら店側は客の言いなりになるべきなのかと言えば、決してそうではない。
今回の件では、「車椅子なら事前に連絡がないと対応に困る」 というのは正論だろう。
「忙しい中、客一人の為だけに仕事の手を休めて入店の手伝いは出来ない」 というのも言い分はもっともだ。
その点だけで言えば、店主は至極当然の事を言っている様に思える。
但し、それは理屈のみを取り上げた場合だ。
理屈屋の俺が言うのもなんだが、人間関係においては、単に理屈だけで上手く行くというものじゃない。
顔色一つ、言い方一つ、態度一つで、相手に与える印象も相手から受ける印象も違ってくる。
極端に言えば、「今忙しいんだよ!」 と 「ちょっと今忙しいんですよ」 では、同じ事を伝えていても受ける印象は違う訳だ。

乙武君のブログ記事を根拠とするならば、店主はまず乙武君の友人女性に対して態度を誤った。
そしてショックを受けた様子の友人女性に対し、乙武君は責任を感じると共に、店主に対して憤りを覚えたんだろう。
それは自分が差別されたからではなく、「友人になんて事をしてくれたんだ」 という怒りと、「自分が障害者でなければショックを受ける事態にもならなかっただろうに」 という思いだったと推察される。
だから感情的になったのも仕方無いとは決して思わないが、経緯としては理解出来る。

そして、ここで多くの人が触れていない大事な点を見落としてはいけない。
乙武君のブログによると、当初、友人女性が事情を説明した段階では、店主ではなくホールスタッフの従業員が対応し、「忙しいのですぐには無理だが、手が空き次第、対応します」 と答えたそうなのだ。
それを受けて友人女性は一旦乙武君の元へ戻り、その旨を説明して迎えを待っていたらしい。
しかし、なかなか迎えが来ないという事で、再び友人女性が店内へ入り様子を窺っていると、先ほどのホールスタッフの男性が 「ひと段落したので」 と約束通りに対応しようとしてくれたそうだ。
が、それを見て奥から表れたのが店主で、例の 「車椅子なら事前連絡が無いと対応出来ない」 と言い出したのだという。

さて、客商売をまともにやった事のある人ならすぐに解ると思うが、もはや態度云々ではなく、この店主は一度引き受けた入店手伝いを突然拒否するという、まず普通はあり得ない事をしているのだ。
「いや、引き受けたのはホールスタッフだろ?」 と思う人も居るだろうが、客商売の常識として、例え実際に引き受けたのがホールスタッフの男性だったとしても、それはもう 『店が引き受けた』 という事になるものなのである。
下っ端だろうが上司だろうが、店の人間が発言した事は 『店としての発言』 と取られてしまうのが当たり前。
だから社内教育を徹底させ、余計な言動は慎む様にと企業などでは指導する。

まぁ、一度引き受けたものを撤回して拒否する事態も無くはないだろうが、その場合は客に土下座するぐらいの勢いで謝罪するのが常識であり、少なくともぶっきらぼうに理屈だけを並べて済むというものではない。
そこが客商売の客商売たる所以であり、お気楽に出来る商売ではない部分なのである。

どういった理由にせよ、一度引き受けて客を待たせ、いざ入店という時になって突然手の平返しで入店を断るなんてのは、客商売で通常あり得ない。
それで腰を低くして謝罪したならともかく、まるで悪びれた様子も無く客側の落ち度を指摘するなんて、「お前それ本気か?」 って話だ。
そりゃ、乙武君の友人女性がショックを受けたのも当然だろう。


前述した様に、店主の落ち度は客を不愉快にさせたという点である。
そして、乙武君側の落ち度は、事前に車椅子である事を伝えなかった点。
ここで明確なのは、店主は決して差別主義者だから乙武君を入店拒否した訳ではなく、乙武君も差別されたから憤慨した訳ではないという事。
改めて言うが、これはあくまで客商売の問題である。
言うなれば、店主側は客商売というものの認識が足らず、乙武君は障害者に不慣れな人達に対する配慮が足りなかった・・・というところか。

件の店主は、一度店内で乙武君の友人女性に入店拒否を告げた後、自ら乙武君の待機していた階下に出向き、今度は乙武君本人に入店拒否の正当性を訴えたそうだ。
無論、友人女性に対しての態度と同様、乙武君に対しても強気な態度で出た為、感情を逆撫でして口論の様な状況になったという。
感情的になったという意味で言えば、恐らくお互い様だろう。
店主はどうやら最初に車椅子である事を告げられた段階でカチンときて、「なんだよ、そんなの先に言っとけよ!」 と思ったのが窺い知れるし、乙武君も自身が語っている様に何年振りかというほど激昂したそうだ。
そうなれば、どこにでもあるケンカとなんら変わらない。
感情論をぶつけ合った延長線上に平和的解決などあるはずもない。

「どっちもガキみたいな事してんじゃないよ。大人げない」 と、普通ならその程度の話だと思う人が大半だろう。
ところが、入店拒否されたのが乙武君だったから騒動は大きくなった。
それは、単純に 『有名人だから』 ではない。
『有名な障害者だから』 だろう。
そこにこそ、障害者への差別意識が働いている様に見える。
仮に乙武君が店名を伏せてたとしても、恐らく同様の反響はあったと思う。
極端な擁護も極端な批判もあったと思う。
差別する奴は差別するし、しない奴はしない。
つまり、いくら論じたところで、今回の騒動の前後で世の中の何が変わったという事ではないのだ。
対応をしくじったレストランが幾らばかりか客と信用を失い、乙武君も同様に幾らかの支持者と信用を失って、食いたかった料理を食い損ねた。
どちらも自業自得でしかない。
もし同情するとしたら、乙武君の友人女性に対してだけだ。


ここからは余談だが、自分が椎間板ヘルニアのピーク時、右脚の激痛でホントに5m歩く事すらしんどかった。
MRIを撮りに行った病院では、病院前の駐車場から入り口までのほんの15mかそこらを歩くだけで冷や汗もんで、入り口付近にしか無い手すりに辿り着くまでにすっかり消耗した。
歩くのが困難になると、町中がいかに歩き辛いか、少しの配慮も無いかが解る。
勿論、俺は障害者ではないし、ヘルニアの激痛も今は無く、ほぼ普通に歩けている。
それでも完治した訳じゃないから、右足にはまだそれなりの違和感と痛みがあり、少し前に一時的だが激痛が再発した事から、どこか怯えつつ生活している。
痛み自体の辛さは勿論だが、身体が不自由になる事の辛さはあらゆる面でストレスになる。
食事やトイレ、風呂、睡眠、日常のどれもが覚悟を要する。
健常者に障害者の気持ちは解らないと言うが、解らないと言うよりも解るはずが無いと思わせる事ばかりだろう。
実際、自分が激痛を堪え、病院に向かって歩いていても、大抵の人とは目も合わない。
明らかに不自然すぎる歩き方をしていて、自然と顔が苦痛に歪んでいても、痛みそのものが誰かに理解して貰える訳じゃない。
決してみんな冷血で無関心にしているんじゃなく、解らないだけなんだと理解はしている。
それでも、気が狂いそうな激痛に耐えながら素知らぬ顔で通り過ぎてく人々を見てると、頭では理解しているのに腹が立ってくる。
思い通りにならない自分自身の身体に対しては勿論、まるで知らん顔な他人に対しても憤ってくる。
でもそれは、自分だってヘルニアになる前は同じだった事なのだ。
明らかにどこか身体を悪くしている人や障害のある人が視界に入ると、決してガン見しない様にと心掛けていた。
じっと見てしまう事によって、「なんだこいつ、差別的な目で見てんのか?」 と思われてしまう気がして。
まぁ、そういう人も実際に居るかも知れないが、少なくとも自分が逆の立場になってみると、あえて見ない様にしている事や、すぐに視線を逸らされる事の方が気分が悪かった。
別に知りもしない人達にもれなく心配して欲しい訳じゃないが、そうされる事で自分が腫れ物扱いされている様な感覚になるのだ。
その感覚こそ差別的なものなんだと思う。
別に意図的に攻撃を加えようとしていなくても、単に 「じろじろ見ない様にしよう」 というだけの事でも、受け取る側にしてみれば 「対等に扱われていない」 という点で差別と感じてしまう可能性はある訳だ。
じゃあ、そこで 「じろじろ見ない様にしよう」 と思うのがおかしな事なのかと言えば、ごく普通の配慮だろう。

配慮なのか差別なのか、立ち位置によって受け取り方が違うのであれば、それはもう論じるだけ不毛だ。
「あなたはその立ち位置なんですね」 と確認するだけの事に過ぎない。
つまり、差別だなんだと取り立てて騒ぐほどの事はない、日常における細かな感覚の誤差というものをちゃんと認め、変に過敏にならない様な心掛けが必要なんだろう。
辛い状況の時には、気楽そうにしてる人を羨んだり妬んだりしがちだが、気楽そうにしているからといって何の問題も抱えていないとは言い切れないし、辛い状況下で全く幸せを感じないかと言えばそういう訳でもない。
要は、みんなが自分にしか解らないものを持っているというごく当然の事。
それを大前提として他人を意識しなければ、同じ人間など存在しない社会で、共存共栄を潤滑に行える訳がないのである。

先の橋下市長による発言についてでもそうだし、今回の乙武君の騒動でもそうだが、自分の立ち位置にとって都合の良い部分だけしかチョイスせず、他人に物申すのは決して正義などではない。
1から10まで踏まえるべき事があるのであれば、その中の一つでも除外して判断すべきではないのだ。
理屈と感情論とは分けて考え、理路整然と結論を導き出すべきである。
乙武君に対し 「だるま野郎」 などとツイートする輩に、果たしてそれが出来るだろうか。
「生意気な店なんか潰れちまえ」 と店側を叩く輩にそれが出来るだろうか。
そういった極論をスルーする人達だって同じだ。

俺は正義の人でもなければ清廉潔白な善人でもない。
それはきっと、ほとんどの人達が同じだろう。
だから他人を批判するなとは言わないが、そういう自分の感覚や意見がバランスの取れたものなのかどうかぐらい、自分の中で再確認すべきだろう。
その上でそれぞれの考えや意見をまとめ、自分のフィールドで発信するなりすればいい。
「あいつは悪い」 とか 「お前もどうなんだ」 とか言う前に、まずは自分である。