730日 | weblog -α-

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なんとな~く  思いつきで  好き勝手に  (=゚ρ゚=) ボヘー  っとやってます。


マグニチュード9の巨大地震。
日本の地震観測史上最大とされる地震。
死者1万6千人弱、行方不明者は2700人近くに及ぶ。

あの日、文字通りの激震に寝不足の頭を揺さぶられて目覚めたあの日。
本震がようやく治まり、続く余震を警戒しながら1階に下りると、猫達が無事なのを確認して一先ずホッとしたのを覚えてる。
関東にも巨大地震が起きると言われてたが、これがまさにそうなんだろうと思ってTVやネットで情報を集めた。
が、震源は東北。
無論、東北地方の被害は絶大だろうと予測がついた。
やがて津波被害の情報が増え始め、唖然としている間に福島原発の話が出て来た。
鳥肌が立った。
巨大地震、そして津波、しばらく続くであろう余震・・・大変な事になったと思っていた矢先の原発事故。
東北の、関東の被害がどうのという話ではなくなった。
被害は甚大だろうし、相当の被災者が出ている事も見当はついたが、それもこれも原発が最悪の事態になれば大した意味も無くなる訳だ。
まさしく日本という国の存亡が掛かっていた。
食い入る様に原発の状況に気を向け、いつ破滅が始まってしまうのかと常に緊張していた。

2年経った。
余震続きの状況や、節電で薄暗い町、放射性物質の影響や物流の影響で品薄になった店。
それらが日常と化し、慣れるというより麻痺した状況下で生活を続けた数ヶ月。
普段、たかだかの震度では驚きもしなくなっていても、寝ていると小規模な地震ですら目を覚ます事が増えた。
少し大きめの地震が起きれば、いつでも立ち上がって本棚を支えようと身構えるのが当たり前になっている。
復興・復旧といった目に見える部分をメディアは取り上げるけど、人の記憶や経験の中に刻み付けられたものは消せやしない。
あの震災は、多くの人々の中に深く深く刻み込まれた記憶であり、経験である。
そして、一つの深い傷である。

1万5千を超える死者の約9割が水死だったと判明している。
これは単にデータにしか過ぎない数値かも知れないが、よほど想像力に乏しくなければ解るはずだ。
あの地震による津波の後、それだけの数の遺体が町中に、海上に投げ出されていたのである。
2700人の行方不明者もそう。
恐らくは、大半が津波によって海へ、沖へと流されてしまった人々だ。
それだけの数の人々がほぼ同時に海に呑まれてしまう状況、想像しろと言われても非現実的でなかなか想像出来るものではない・・・が、それが現実に起きたのである。

悲しみや悔しさ、憤りを感じる間も無く、原発事故の影響で避難を余儀なくされ、流浪の民にされてしまった人々が大勢居る。
当初の懸念どおり、復興や復旧に使われるべき金を着服している極悪人が当たり前に居て、これまた懸念していたとおり、相変わらずクソ役人共がのらりくらりと役所仕事ですべき事を滞らせていたりもする。
何千、何万の犠牲を目にしても、愚か者はやはり愚かで、阿呆はやはり阿呆なのだ。
汚い言い回しを嫌う人達も多いが、人ならざる行いをする者に石を投げ、罵倒し淘汰する事は、醜く正義とは言い難いかも知れないが、人や社会において絶対に必要な事なのである。

東北地方の復興・復旧はまだまだ進んでおらず、原発事故も収束どころか相変わらず応急処置の積み重ねしか出来ていない状況。
国民的な危機意識の薄れによって被災者達の肩身は狭くなり、2年という時間は必ずしも被災者の味方をしてくれている訳ではなさそうだ。
結局、当事者にならなければ、被災者がどんな思いで日々を送っているのかは解らないのかも知れない。
部屋で荷崩れを起こした程度のお前らに何が解る・・・と言われてしまえばその通りだろう。
自分の身に降りかかるまでは対岸の火事でしかないと思ってる輩も居るだろうけど、そうではない人達も大勢居て、解り切れないなりに被災者に気を向けている。

これは大昔の話ではなく、情報化社会の今の話。
TwitterやYouTubeで幾つも目にした真実。
あの日、東北の惨状を目の当たりにして流した涙には何一つ嘘など無い。
指先にすら津波の冷たい海水は触れていないけど、それでもネット越しの現実は辛すぎるほど痛く、冷酷だった。
それはきっと、ひと昔前なら有り得なかった事で、今の世だからこそ知り得たもの。
だからこそ濃厚に現実味を帯び、応援したい、助けたい、という思いに駆られた人も多かったんじゃなかろうか。
現実は残酷に、辛い目に遭った人々をまだ苦しめ続けるかも知れないけど、少なくとも彼らが甚大な災害と人災の被災者である事を、世界中の人々が知っていると理解しておいて欲しいと思う。

失うのは辛い。
しかし、災害に遭わずとも人々は日常の中で何かや誰かを失い続ける。
一度に沢山を失う事はなかなかなくとも、失う事の痛みは誰しもが知っている。
それを乗り越えるのが簡単じゃない事も。
どんなに暗い坂道を転げ落ちても、ダイスを振れば進むべき目が出る。
ゲームを投げ出した奴から忘れ去られて行くだけ。
寄り道しながら、ため息つきながら、出目の数だけ進むのが人生。