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なんとな~く  思いつきで  好き勝手に  (=゚ρ゚=) ボヘー  っとやってます。


え~、俺が長文書きなのはご存知の方も多いかと思いますが、実は短い言葉でのアプローチってのもやってるんです。
歌詞とか詩なんてのがまさにそれで、普段なら長文でダラダラと書き上げる事を制限の範囲内に納める作業。
特に歌詞はメロディーありきなんで、文字数の制限ってのがあります。
1フレーズにどれだけの言葉が使えるかという部分は勿論、単に言葉数を揃えるだけじゃなく、表現したい事をどんな言葉を使って表すか、どんなニュアンスで演出するかという部分が非常に大事。
小説なんかでもそうですよね、「○○子は少し照れ臭そうにした。」 ってな表現より、「○○子は目を逸らす様に少し俯き、ほんの僅かばかりの微笑みを口元に浮かべた。」 ってな表現の方が情景が浮かぶ訳です。
小説の場合は基本的に文字数制限ってのは無いけど、歌詞ってのは絶対的にそれがある。
限られた文字数の範囲内で、どれだけそのシーンの情景を表現出来るかがキモなんですね。

それと、これは作り手じゃないとなかなか気付かない事で、音の響きってのもかなり重要だったりします。
つまり、歌った時にその歌詞がどんな響きの言葉になるか。
例えば、ラブソングなら 「君が好き~」 とか 「愛してる~」 とか 「I Love You~」 なんて色々な言葉をチョイス出来るんだけども、歌詞としてどれが妥当かはメロディー次第だったりするんですよ。
AメロもBメロも全部日本語で歌ってるなら、サビでもやっぱり日本語で 「君が好き~」 とか 「愛してる~」 って言うのが正解っぽいんだけど、歌詞の世界では必ずしもそうとは限らないんですな。
あえて最後だけ英語にするだとか、あるいは日本語だけどメロディーに乗せないで囁くだとか、結局は響きが気持ち良いかどうかをポイントにして決めてたりするんです。
単純に綺麗な言葉を置いて行けば成立するもんではなくて、楽曲全体を考慮して適切な演出になってなきゃダメなんです。
って事は、作詞において大事なのは、言葉の発想力やセンスよりも、いかに言葉の気持ち良さが理解出来ているかなんです。
そこさえ理解していれば、良い歌詞は絶対に書けます。
昔の歌謡曲とか、意味不明なフレーズが連呼されててもキャッチーだったりするじゃないですか。
あれってのは、まさしく言葉の響きが最重要ポイントだって事の証明ですよ。

さて、次に詩・・・ポエムの方だけど、これは歌詞とは似て非なるもの。
とは言え、アプローチとしては被る部分も多いんですがね。

歌詞がメロディーありきで言葉の響きを最重要としているのは前記しましたが、だからこそ言葉自体の意味合いの部分は二の次になっちゃう訳です。
つまり、言葉としてはAという単語の方がマッチしていても、響きとしてBという単語の方が気持ち良い場合、そこで採用すべきはBという事になります。
その辺りのジレンマに葛藤するのが作り手のお約束なんですが、ポエムの場合はメロディーやら文字数の制限が基本的に無いんで、そういった部分では非常に楽です。
但し、表現として響きの気持ち良さもある程度重要ではあります。
それに、世界観を演出する為の文字数制限も無い訳じゃないんです。

こんな言い方が適切かどうか解んないけども、物凄く噛み砕いた言い方をすると、歌詞ってのが普通にストーリー進行する漫画なら、ポエムってのは4コマ漫画みたいなもんなんです。
つまり、主人公がああしてこうして、こんな出来事があって・・・と、ある程度の尺の中で一話ごとまとまってるのが普通の漫画で、歌詞ってのはその一話分なんですよ。
数十ページで一話なんで、そこそこ余裕をもって細かい部分まで描ける訳ですな。

4コマ漫画の場合、基本的には4コマをコマごとに起承転結で構成したものが一話になってる訳で、極端なぐらい余裕が無い訳です。
要点を凝縮して表現してナンボの世界。
ポエムのアプローチもほぼそんな4コマ漫画の世界に近いもので、明確な文字数制限は無いにしても、その世界を凝縮させて言葉に変換するものである以上、小説みたいに詳細まで書いてたらポエムではなくなってしまう訳です。
まぁ、面白い事に、ポエムの世界では間接的表現をあえて長めに書くという手法もあるんですがね。

ともあれ、歌詞とポエムは似てるけどかなり違うものだったりするんです。
だもんで、ここ数年の俺は、ポエムこそわりとスラスラ書けても、歌詞の方がなかなか書けなかったりします。
考えすぎとかじゃなく、スタンスが昔とは違ってるからだと思うんだけどもね。
閃いた言葉を形にするなら、歌詞よりポエムの方がずっと楽ってのも理由の一つかも。


さて、歌詞の話に戻りますが、俺が自分の曲を公表する様になったのってわりと最近の事で、それまではある程度付き合いのある知り合いぐらいにしか聴かせてなかったんです。
それも、メッセとかで直接データを渡したりしてたんで、全く接点の無い人が俺の曲を耳にする事ってのはまず無かった。
そもそも、赤の他人に聴かせるつもりが無かったんですよね、そこまで納得した音のものが無かったから。
それと、他人に聴かせると面倒な部分もあるんだなって事にも気付いたんですよね、数人に聴かせてみて初めて。

あの~、ポエムもそうだし、小説なんかもそうなんだろうけど、歌詞ってのはリアルな実体験をそのまま書いたものじゃないんですよ。
勿論、実体験を活かす事は往々にしてあるし、実体験をそのまま歌詞にする人も居るだろうけど、基本的には歌詞も創作の産物なんで、必ずしも実体験ばっかりは書かないんですよ。
むしろ、実体験の部分はインスピレーションの種であったり、スパイス的なものの場合が多いんですね。
そもそも、歌詞ってのも説得力は最低限必要な訳で、テーマが 『好き』 なら、いつ誰がどんな風にどこでそう思ったのかって具体性が必要なんです。
その具体性を埋める部分で実体験が活きたりする訳で、例えば俺のFRIENDって曲は、海外に居る惚れた女の事を想う男の歌だけど、実際には海外にそんな相手が居た事ないですからね、俺w
全く自分が経験した事の無いシチュエーションでも、そこにどれだけリアリティーを出せるかがポイントなんですよ。
それにはその世界に自分を投影させてやるのが一番解り易いというか、情報を拾い易いし、細かなデテールも歌詞に反映し易くなるんですな。

FRIENDの冒頭、「二ヶ月ぶりの君のエアメール」 は、明確にこの主人公と相手との距離感を表してるもので、相手が海外に居る事と、もう長らく会ってない事が解ると思います。
それに続く、「変わらないやけに丸まった文字」 は、いつと比べて 「変わらない」 のかが明確ではないにしても、この二人の付き合いの長さや親密さがある程度解ります。
特に 「やけに丸まった文字」 の部分。
いわゆる丸文字ってのは若い女の子が好んで使ってたんでね、この相手がそれなりに若くて、丸文字を多用する事までよく知ってる間柄だってのを表してる訳です。

歌詞は、短いフレーズの中にこういった要素をどれだけ詰め込めるか、そして、その世界をまるで実体験したかの様に表現出来るかがポイントなんですよ。
だから、どれだけリアルであってもそれは創作で、丸ごと鵜呑みにされちゃうのは困るんですw
いや、実際ね、ラブソングなんかは実体験だと当たり前に思う人が多いみたいなんですよ。
そういう人達って、売れっ子アーチストの曲も全部リアルだと思ってるんでしょうかね。
ぶっちゃけ、嘘っ八をいかに嘘っぽさから遠ざけられるかが作詞の手腕で、言わば詐欺師みたいなもんなですよ、そこはw
リアリティーを演出するか、完全なファンタジーにしてしまうか、その方向性はそれぞれで違うけども、歌詞はあくまで創作物で、創作ってのは作る事なんです。
その辺りを前提として理解してて貰わないと、作り手ってのは非常に面倒臭いw
「へぇ~、こんな恋愛してたわけだw」
「いやいや、それはあくまで創作だから・・・」
「またまたぁ~w 照れなくても良いから~w」
「いや、だから・・・」
なんて会話とかね、ホントに面倒臭いw


歌詞は創作と書いたし、それは事実なんだけども、リアルを重視して書いた歌詞ってのもあるにはあります。
俺が得意としてた社会風刺もそうだし、誰かに向けて作る曲なんかも完全ファンタジーじゃ意味が無い訳ですよ。

かつて付き合ってた子の数人には、誕生日とかに曲を作って贈った事があります。
って、大昔からそのパターンって最悪フラグなんだけどもw、別に甘ったるい言葉を並べて弾き語ったりはしてませんよ、俺はw
むしろ、そういう時だからこそ人生のヒント的なものを歌詞にしたり、普段はそれほど露骨に出さない感謝の気持ちなんかを書いたりしてました。
結局、作ってしまえばそれは自分の作品な訳でね、誰か特定の一人に対してだけ向けた歌詞は書けないんですよ。
勿論、贈る事は前提として作るんだけど、そこまでピンポイントに弾撃てないというか、いとしのエリー的なアプローチってのを現実的には出来ないんですよね。
出来ないと言うか、それをやったら俺じゃないと言うか・・・そんなの歌にする必要無いじゃんと思ってしまう。

結局、歌詞にするって事は、自分の作品を一つ作り上げる事な訳で、それはアーチストのスタンスなんですよね。
歌は極めて個人的な感情を伝える為の手段じゃないんです、俺的に。
だから、相手に対する想いは反映されてるけど、それが必ずしも相手だけに向けたものじゃないんですね。
愛してるって歌ってても、それは額面どおりの意味ってより、相手ヘの尊重の意味合いが強い訳ですよ。
男としてとか女として愛したり愛されたりは所詮浅いもので、もっと深い部分、人間の部分で繋がってナンボだと思うんですよね。
そういう意味での 「愛してる」 だったりするから、人として喜んで貰えなきゃあんまり意味が無いという。
まぁ、そこを説明しても通じない人の方が遥かに多い現実があるんですがねw


ポエムでも同様に誰かをイメージして書く事はあるんだけど、ポエムはさすがに相手に送りつけたりはした事なくて、それこそ似た様な人達全てに向けたものとして書いてます。
それに、ポエムってのは抽象的な表現とかがかなり多いんでね、例え相手に見せたところで通じない可能性の方が高いだろうなと。
面白いのは、ポエムって変な先入観を持って読まない人が多くて、歌詞よりもずっと純粋に言葉として受け取って貰えたりするんですよ。
俺の書いた歌詞で泣いた人ってのは聞いた事無いけど、ポエムの方は何人か大泣きしたって人が過去に居て、俺としては全く想定外だったから驚いたんだけど、それって言葉としてどれだけストレートに伝わったかって事なんだと思うんですよね。
歌ってのはどうしてもエンタメ要素があるし、歌詞だけに集中するもんでもないけど、ポエムってのはまさに言葉そのものなんで、それぞれのアンテナにヒットする一篇ってのがあるみたいです。

まぁ、ポエムも単純な様だけどそうじゃない訳で、ただ思った事を言葉にすればOKじゃないんですよ。
やっぱり色々な手法やら演出ってのがありますからね。
ポエムは思いついた言葉を並べるだけのもので、要はそのセンスのあるなしなんだろうと思ってる人が多いみたいだけども、そんな簡単じゃないですよw
いや、思いつきは思いつきだし、そのワードチョイスと構成のセンスは勿論重要なんだけど、そもそもどのアプローチで表現するかとか、核となる部分にどの距離感からどの角度で攻めるか・・・みたいなセンスが大事だったりします。
つまり、立派な家は立派な家で、良い建材を使ってたらそりゃ見事なんだけど、その家が果たしてどこに建ってるかって事なんですね。
小さな無人島に立派なマンション建ててどうするの?と。

感性のものだから演出もへったくれもねぇよって人もきっと居るでしょうが、ホントに感性だけでやってるアーチストなんて恐らく一人も居ません。
と言うか、そんなのはアーチストじゃなくて、単なるおかしな人w
何らかの作品を作るってのは、やっぱりそれなりの段取りやら手間が掛かるもんです。
大体、曲であるとかポエムって枠自体にある程度の決め事がある訳でね、そこを守る以上は感性だけって事にはならないんです。
意識的か無意識かって違いがあるだけの話。


さて、今回は歌詞とポエムについて取り上げてみました。
どちらについても言えるのは、日本語は魅力的な言語だって事。
英語だって他の国の言葉だって素晴らしいだろうけど、日本語が最高だと俺は勝手に思ってます。
言葉一つで喜怒哀楽を演じるのが人間なんだから、言葉で遊べば遊んだだけ人生は面白くなるんじゃないでしょうかね。
言葉の遊び心、もっと日本人には持って欲しいと思い続けてます。