ブログネタ:小学生の頃好きだったゲーム教えて♪ | weblog -α-

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小学生の頃好きだったゲーム教えて♪ ブログネタ:小学生の頃好きだったゲーム教えて♪ 参加中


これまた沢山あって難しいお題。
なんせファミコン世代のド真ん中ですから。
と言うか、ファミコン以前から基本的にゲーマーな子だったし。
まぁ、小学生の頃って括られてるからまだマシだけど、そうじゃなきゃ到底書き切れないお題だわw


まず、俺が生まれた4年後の1979年にインベーダーゲームブームがあって、その後80年代に入って、次々とアーケードゲームのヒット作が生まれたのが大事なポイント。
この流れ無くして俺のゲーム人生も無かったであろうというところで・・・。

1981年、任天堂がアーケードゲームでドンキーコングをリリース。
このドンキーコングが世界一有名なゲームキャラ、マリオのデビュー作でもある訳なんだけど、元々ドンキーコングのキャラはポパイの登場人物で作られる企画だったそうな。
つまり、マリオはポパイ、コングはブルート、レディーはオリーブだったって事。
結局、版権の関係でポパイのキャラが使えなくなり、仕方無く宮本 茂が作り出したキャラこそ、建設現場の作業員をイメージして描いたマリオだったという良い話。
ちなみに、マリオにヒゲを描いたのは、ドット絵だと顔が解り辛いから明確な特徴を出す為って単純な理由だったそうな。

その前年も重要な年で、ナムコがパックマンをリリースして国内外でヒットさせたり、任天堂がゲームウォッチ(正式にはゲーム&ウォッチ)を発売してたりするんですな。
そんな流れがまたゲーム業界に勢いをつけてた訳ですよ。

で、1982年、いよいよ俺がゲーマー道に立ち入る事になるんです。
当時小学二年、俺は馴染みの駄菓子屋にあったアップライト筐体でゲーマーデビュー。
当時は確かドンキーコングが一台あっただけだったと思うけど、他人がやってるのをみんなで覗き込みながら自分の番を待ってる時代でした。
とは言え、ゲーム一回50円は当時の俺らにとって厳しい価格設定。
そうそういつでも遊べる訳じゃなく、基本的には誰かがやってるのを覗き見してるだけ。
ゲームが家に当たり前にある今時の子らには解らん話でしょうなw

そんな折、いつでも遊べるゲームとして人気が高まったのがゲームウォッチ。
そもそも大人が通勤時に電車内でも遊べるものとして開発されたのがゲームウォッチだったんで、値段も子供が欲しがって簡単に買って貰える様な安物じゃなかったんです。
でも、お年玉やら夏休み帰省の小遣いで買う連中が増え出して、ゲームウォッチはちょっとしたステータスアイテムに。
ゲームウォッチでもドンキーコングが上下二画面のマルチスクリーンとして売り出されると、いよいよゲームウォッチ熱は上がるのみ。
そして、俺もそのドンキーコングを買って貰い、朝から晩まで延々とやり続けてたのでした。

ちなみに、このドンキーコングから採用されたのがお馴染みの十字キーで、機能面で任天堂が作り出した最高傑作とも言われてたりします。
で、ちょっと面白いのが、マルチスクリーン方式のゲームウォッチは折り畳み式だったんですよ。
携帯を前提としたツールの場合、この折り畳める事が結構なポイントだったりするんです。
一番解り易いのが折り畳み式ケータイ電話。
あれも折り畳み式の登場で一気に売り上げを伸ばした訳なんだけど、そのルーツはゲームウォッチにあったという面白い繋がり。


さて、俺のゲーマー熱はゲームウォッチに留まらず、まだまだ不良の溜まり場と呼ばれてたゲームセンターまで通う事に。
その頃、当時住んでた最寄り駅の隣の駅前に、10円ゲームセンターってのが出来たんです。
いわゆるプレハブの中にテーブル筐体が10~15台ぐらい置かれてて、そのほとんどが30円程度で一プレイ遊べたんですね。
距離的には馴染みの駄菓子屋よりもちょっと遠かったものの、なにより資金が知れてる訳なんで、ゲームをしたいとなれば10円ゲームセンターへ行くのが賢明な選択だったんです。

当時置かれてたゲームでよく遊んでたのは、ドンキーコングは勿論、フロッガーディグダグドンキーコングJR.ペンゴプーヤンMr.DOタイムパイロット・・・と色々。
小学二年ぐらいでゲーセン通いをしてる奴なんてまず居なかったんだけど、俺はゲームが好きでわりとマメに通い詰めてました。
資金が無くなれば途中の神社の賽銭をアレしたりして・・・w


1983年はグラフィックが綺麗で大人気になったゼビウスがリリースされた年。
さすがにゼビウスは駄菓子屋にも10円ゲームセンターにも入荷しなかったけど、マッピーやらエレベーターアクションリブルラブルなんかでは遊んでました。
それから、プレイこそしなかったけど印象的だったのがハイパーオリンピック
いわゆる連打系ゲームで、プラスチックのものさしを使う連打法が流行ったんですよ。
当時は何やってんのか不思議に思いながら見てましたね。

で、この年の初夏に初代ファミコンが発売。
本体と同時発売されたのは、前記したドンキーコングと、続編のドンキーコングJR.、そしてポパイの3タイトル。
なんで最初のリリースにポパイがあったのか不思議なトコだったんだけど、そもそもドンキーコングのきっかけがポパイだった事を考えると、このリリースも納得出来るというか、仇討ち的でもあり、感謝を込めたものとも取れて面白いですな。
ちなみに三作とも好きなソフトです。


ファミコンも発売されてすぐは高額なせいで人気が出なかったんだけども、ゲーム好きな大人達が買い始めて、ソフトを入れ替える事で色々なゲームが遊べるって一番のセールスポイントが子供らにも知られ始めると、その年末のクリスマスプレゼント、年明けのお年玉商戦に乗って一気に普及し出すんですよ。
まぁ、そう簡単に買って貰えない子供らは、依然としてゲームウォッチが主流。
俺もすぐには買って貰えなかったんで、飽き飽きしながらもゲームウォッチで遊んでました。
ゲームウォッチで遊んでた主なタイトルは、ファイアタートルブリッジマンホールパラシュートオクトパスポパイシェフドンキーコングオイルパニックグリーンハウスドンキーコング2ドンキーコングJr・・・ってなトコ。
ドンキーコングシリーズはどれも持ってたけど、その他は友達から借りて遊んでたやつ。
なにげにみんな友達と被らない様に買ってたんだな~と、今思えばw

ちなみに、このゲームウォッチ開発からシャープは長年に渡る任天堂との友好関係を築き始めてて、今のDS人気もシャープの技術協力があったからこそ。
んで、今日の様にシャープの液晶技術が世界的に認められてるのは、ゲームウォッチ開発を任天堂から持ち掛けられて、電卓の液晶技術が応用出来るフィールドを与えられたからこそ。
持ちつ持たれつのこの関係が両社の成功へと繋がり、それが今も続いてるという良いお話。


1984年、いよいよファミコンブームの幕開けとなった年。
俺の周りにファミコンを持ってる奴はまだそれほど居なくて、同級生の医者の息子が持ってたんで、みんなでちょいちょい遊びに行ってた記憶がある。
でも、そいつは野球が好きだったもんで、なんだかんだベースボールばっかりやらされた。
タイミング的には駄菓子屋の筐体でマリオブラザーズの二人同時プレイが流行ってた頃だったんで、みんな二言目には 「マリオやろうぜ」 って感じだったんだけど、そいつはあんまりマリオが好きじゃなかったらしい。
まぁ、マリオブラザーズと言えば、当時大流行したのが邪魔をし合う生き残り合戦プレイ、通称 『殺し合い』 だったんで、じっくり遊びたい派にはキツい流行だったんですよね。
ファミコンはプレイがタダだからともかく、金の掛かるアーケード版でそんな殺し合いプレイを遊びまくってた俺らってのは、金の無駄遣いって言葉を知らなかったんだろうかw
駄菓子屋のバァさん辺り、その光景をほくそ笑んで見てたのかも知れない・・・w

俺がファミコンを買って貰ったのも恐らくこの年なんだけど、正確にいつ頃だったかは不明。
まぁ、当時は本体を持ってたとしても、ソフト自体が1本4500円だったからそう何本もソフトを持ってる奴は居ない訳で、持ってるやつ以外のソフトで遊ぶ場合は、貸し借りよりも持ち主の家に行ってプレイするのが基本だった。

俺が当時持ってたソフトは、ドンキーコングとマリオブラザーズ、ドンキーコング3の三本。
本体と一緒に買ったのはドンキーコングだけで、マリオブラザーズとドンキーコング3はその後から一本ずつ買ったんだと思う。
ドンキーコング3以外はアーケード版で遊び倒してたから、近所の友達とも毎日集まってプレイしてたな。
でも、今時の子と違って外でも走り回って遊んだりしてたし、メンコやらコマやらで遊んだり、かくれんぼとか缶蹴りなんかもしょっちゅうやってた。
どっちの面白さも知ってるからどっちもやってたんだろうね、多分。
今時の子らだって、ちゃんと場所を確保して教えてやったら外で遊ぶと思うんだけどね、大いに。
遊びがゲームぐらいしか無いってのは可哀想な事だ、ホントに。

そういえば、近所の母親の友人宅にスペースインベーダーのテーブル筐体があって、そこの旦那さんが改造してたんで、後付けされたボタンを押せば無料で幾らでも遊べる環境があった。
だもんで、ゲームウォッチや持ってるファミコンソフトに飽きて、尚且つ金欠の時なんかは、その家に行っては飽きるまでインベーダーゲームをしてたもんです。
シンプルすぎてすぐ飽きるんだけどw
でも、筐体のゲームがタダで遊べるってだけで、なんだか妙に贅沢な気分になったんですよ。


1985年、両親の離婚で俺の人生が一転した10歳の年。
ファミコン人気は世の中に定着して、子供の遊びの選択肢の一つとしてもファミコンが定着した頃。
さすがにファミコンを買って貰ってからはゲーセン通いも減ってたけども、それでもたまにゲームセンターに出入りしてた俺。
アーケードゲームは相変わらずヒット作の登場が続いてて、人気作はファミコンソフトに移植されるってパターンがお約束になり始めてた。
まぁ、当時オラオラだったセガに限っては、ファミコンに参入しないで自社コンシューマ機に移植させてたけども。

この頃に遊んだソフトは、ナッツ&ミルクマッピーアイスクライマーフラッピーレッキングクルースパルタンXディグダグ忍者くん 魔城の冒険エレベーターアクションスーパーマリオブラザーズチャレンジャー忍者じゃじゃ丸くんマッハライダーポートピア連続殺人事件スペランカーボンバーマン・・・と、ファミコンではこんなところ。
この辺りからアーケード移植作に限らず、PCからの移植作とか、ファミコンのオリジナル作なんかが目立つ様になってくるんですな。
この中で特に好きだったのは、ディグダグ、スーパーマリオブラザーズ、チャレンジャー、ポートピア連続殺人事件、スペランカー辺り。
ディグダグとスペランカーはアーケード版でも遊んでたタイトル。
チャレンジャーはアクションにRPG要素がちょっと入った変り種だったんで、面白さよりもインパクトが強くて印象的だったかな。
ポートピアはファミコン初の本格アドベンチャー作品って事で、当時からミステリー系が好きだった俺はハマりましたよ。
コマンド選択方式は今でも使われてるほど画期的アイデア。
で、ここで出ましたスーパーマリオ。
ファミコンソフトで天下を取った紛れもないモンスターソフトですな。

スーマリは、発売してすぐにディスカウント店で買ったソフトで、今でも買った時の記憶が鮮明に残ってる。
当時、新しいソフトが欲しくて資金もあったんだけど、何が面白そうとか全然予備知識が無かったんですよ。
で、たまたま店のガラスケースに並んでたスーマリを見て、なんとな~くで買って来たら、いつの間にやら大ヒットソフトになってびっくりしたという。
ハマってる自覚は全然無かったんだけど、どうしてもクリア出来なくて腹立ててぶん投げてたりしたんで、かなりハマってたんだなと今更w

アーケードゲームだと、戦場の狼魔界村影の伝説が記憶に残ってる当時のゲーム。
特に魔界村は世界観から音楽から俺好みだったんだけど、難易度が高すぎたんで自分でプレイするより見物してる方が楽しかった。
そう言えば、この頃のゲームは難易度設定がやたら高かった気がする。


1986年、スターフォースの16連打でハドソンの高橋名人が有名になり、スターソルジャーでの全国キャラバンなんかも行われたこの頃、あらゆるメディアでもファミコンを扱うものが増えてきた。
特に雑誌では、各雑誌社がこぞってファミコン専用雑誌を刊行し、情報戦争と化した中で裏技やらウソテクやらがブーム化。
その流れで、他雑誌の掲載したウソテクを正式な裏技として掲載したゲーム雑誌が廃刊に追い込まれる事態も。

そんな頃、離婚後の母親が新たに働き出したのが総合アミューズメント施設のサウナだった事もあって、俺は小学生ながら夜中までその施設のゲームコーナーに出入りしてた。
そこのゲームは一番安くて50円からだったんでプレイこそ滅多にしなかったけども、新入荷のゲームを眺めたり、安くて長く遊べるメダルゲームで時間潰しをしてたりした。
当時遊んだ印象的なアーケードゲームと言えば、熱血硬派くにおくん、とワンダーボーイ
ワンダーボーイはセガが発売元だったんでそのままファミコン移植はされなかったんだけど、後にハドソンから高橋名人の冒険島として発売された。
当時からブランドを避ける傾向が強かった俺は、それがワンダーボーイと同じって知ってからもプレイはほとんどしなかったな。

当時遊んだファミコンソフトは、グーニーズハイドライドスペシャルアトランチスの謎ディグダグⅡバベルの塔ドラゴンクエスト魔界村がんばれゴエモン からくり道中ソロモンの鍵スーパーピットフォール戦場の狼ミシシッピー殺人事件たけしの挑戦状・・・と言ったトコ。
グーニーズは友達から借りて結構ハマった。
当時のアクションゲームとしてはかなり完成度高かったはず。
ハイドライドは人気PCゲームの移植版で、システム的にもPCゲームの名残りが強かった。
でも、ファミコン版は裏技として隠し要素が多かったんで、それを見つける事自体にゲーム性があって面白かったソフト。
アトランチスの謎は面数が100面ってのにインパクトがあったけど、難易度が高すぎて面白いのに解けないもどかしさがあった。
ディグダグⅡはヒット作の続編だけど、今度は舞台を島に移して、島を切り崩す事によって敵を倒すというパズル的な要素が追加されて面白かった。
パズル要素って意味ではバベルの塔は最高に面白いソフトで、これもディグダグⅡと同じくナムコのソフト。
この頃のナムコは神がかり的に秀作をリリースしてる。
がんばれゴエモンは2メガの大容量を宣伝文句に売ってたけども、当時子供でPC知識なんて微塵も無い俺ら世代にとって、2メガがどれだけ凄いのかはサッパリだったw
ソロモンの鍵はテクモのファミコン最高傑作とも言えるソフト。
パズル要素とアクション要素のバランスも良いし、音楽も素晴らしい。
スーパーピットフォールは一見して主人公がマリオなんだけど別人で、人気PCソフトからの移植。
ゲームとしては単純に面白かった。

で、ここで後の大ヒットシリーズとなるドラクエの一作目が登場ですよ。
当初はそれほど大ヒットしてるって雰囲気じゃなかったんだけど、ジワジワと人気が出た気がする。
RPGの面白さを教えてくれたのは紛れもなくこのドラクエだから、ドラクエ無しにゲームは語れないところでもある。

さて、ミシシッピー殺人事件とたけしの挑戦状の二作なんだけども、どっちもクソゲーとして認知されてる有名タイトル。
ミシシッピー殺人事件はタイトル通りのミステリー作品なんだけど、あまりにも唐突に主人公が殺されたり、トラップに引っ掛かったりするんで当時は大顰蹙を買ったw
たけしの挑戦状もビートたけしが作ったソフトって事で鳴り物入りのリリースだったんだけど、内容があまりにも意味不明だったり荒唐無稽だったもんで、そこそこ高い金を出して買った子供達にしてみれば詐欺に遭った様なものだったというw
両作とも俺は買わずに友達から借りてプレイしたのみだったけど、今になれば逆に独特な作品としてコレクションしておきたいソフトになってる。

それから、この年に忘れちゃいけないのがファミコンの周辺機器としてディスクシステムが発売された事。
それまでの差し込み式のROMソフトと違い、フロッピーの様な磁気ディスクをメディアとして採用した事で、ソフト容量増加とコストダウンを可能にした革新的なもの・・・のはずだったんだけども、実際はタイミング的に最悪だったり、周辺機器なのに高額というイメージが強くて商業的には失敗に終わった。
ただ、ディスクシステムと同時発売されたゼルダの伝説は名作として評価が高いし、その他にもメトロイドとかスーパーマリオブラザーズ2悪魔城ドラキュラディープダンジョン 魔洞戦記・・・と、人気があったタイトルもそこそこある。
ちなみに、今や落ちものパズルの定番となったぷよぷよも、最初に発売されたのはディスクシステムのソフトだった。
まぁ、このディスクシステムの失敗があったからこそ今の任天堂があるのは間違いない事実。


1987年、いよいよ12歳の6年生、小学生最後の年。
この頃にはもうほとんどゲーセンに出入りしなくなってたんだけど、体感型のゲームが出回り始めてて、それだけは何度か試しにプレイした記憶がある。
セガのアフターバーナーハングオンアウトラン辺りかな、多分。
今時の体感ゲーム筐体とは比べ物にならない程度のもんだったけど、それでも当時はリアルな操作感が新鮮で楽しめたもんです。

この頃になると、ゲームはもっぱらファミコン。
中にはセガのマークⅢとかPCエンジンを持ってる奴も居たけど、ソフトを多く持ってるはずも無かったんで、やっぱりみんなファミコンが一番だって事でまとまってた。
それに、ファミコンのソフト販売数はこの頃がちょうどピークで、ありとあらゆるソフトがファミコンには存在したんで、他のハードになんか目もくれなかった。

この当時に遊んでたファミコンソフトは、火の鳥 鳳凰編 我王の冒険ドラゴンクエストⅡ 悪霊の神々グーニーズ2 フラッテリー最後の挑戦さんまの名探偵アルゴスの戦士 はちゃめちゃ大進撃熱血硬派くにおくん闘人魔境伝 ヘラクレスの栄光北海道連鎖殺人 オホーツクに消ゆゾンビハンターブービーキッズファイナルファンタジーウィザードリィ・・・ってなところ。
さすがにゲームとしての完成度が高いタイトルが多くなってて、面白かったソフトもかなりある。

火の鳥はアニメ映画を基に作られたわりに良作という珍しいパターン。
さんまの名探偵はコマンド選択方式のミステリーアドベンチャーなんだけど、吉本の芸人を登場人物に据える事でお笑いの要素を前面に出してて面白い。
ヘラクレスの栄光はドラクエで定番化したRPGのシステムに独自性を頑張って入れてる感じ。
オホーツクに消ゆはポートピアに続く堀井雄二作品って事で、前作以上に内容の濃い本格ミステリーとして仕上がってる秀作。
ゾンビハンターはオープニングに人の声でタイトルとメーカー名を喋る事だけが話題になったw
あと、ゾンビハンターアイスとかも売り出してみたり、売る為に試行錯誤してた大人達の姿が目に浮かぶ様で面白いw
確か、アイスはガリガリくん的な感じで、中身が食紅で真っ赤だったから、食うと舌が真っ赤になるんじゃなかったかな。
ブービーキッズは平安京エイリアンのリメイク作品で、システム自体が良く出来てるんで面白かった。

で、この年はRPGの年と言えるぐらい良いRPGタイトルがファミコンで発売されてる。
ドラゴンクエストⅡ 悪霊の神々、ファイナルファンタジー、ウィザードリィがその三タイトル。
ドニクエⅡは言わずと知れたドラクエの2作目だけど、1以上に様々な要素を入れつつ、難易度が高めで発売されたんでハマり度がそれだけ高かった。
ファイナルファンタジーも言わずと知れたFFシリーズの処女作で、当時は陰気さが目立ってドラクエ的な人気の出方はしなかったんだけど、独特の世界観は確かに最初から魅力的だった。
ウィザードリィはRPGの元祖とも呼べるほど古くからあるゲームで、恐らくはタイミングを見計らった上でリリースされた一本。
そもそもPCのゲームで舞台がダンジョンのみだから、ディープダンジョンの人気を確認した後で売れると踏んだんだと思う。


さて、小学生の頃に遊んでたゲームはこんな感じで。
で、その中でも特に好きだったタイトルを挙げると、ドンキーコングドンキーコングJR.ペンゴタイムパイロットスーパーマリオブラザーズポートピア連続殺人事件バベルの塔魔界村ソロモンの鍵スーパーピットフォールドラゴンクエストⅡ 悪霊の神々北海道連鎖殺人 オホーツクに消ゆウィザードリィ・・・の13タイトル。
まぁ、当時遊んでなくて、その後プレイして好きになったタイトルも結構あるんだけど、リアルタイムで遊んで好きだったのはこんなところかなと。

俺の年代ぐらいはファミコン世代だから、特にゲーム好きじゃなくても当たり前にファミコンやらで遊んでたはずなんですよ、ガキの頃って。
ただ、俺の場合はそれにしたって早くからゲームに食いついちゃってたから、それだけ同世代の連中よりも遊んだゲームは多くて、思い入れも強いんじゃないかな。
今は逆にゲーム離れしちゃってるけど、基本的にはやっぱりゲーム好きだしね。
ってか、ゲーム好きだけになるべくやらない様にしてるんですがね・・・やり始めると他の事を何もしなくなっちゃうんでw





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