『特性』
・そのものだけが持つ性質。
・特有のすぐれた性質。
・特質。
デジタル大辞泉より引用
人それぞれに特性ってあると思うんですが、自分の特性を意識した事がある人、認識している人は意外と少ないんじゃないでしょうか。
ってな書き出しだと小難しい話みたいですが、そう難しい話じゃないんです。
俺は昔からよく 『物事は多角的かつ客観的に見なければ本質を知る事は出来ない』 って言ってるんですが・・・いや、それ自体は事実なんで良いんだけども、その言葉を誰かに言ったり文字にする度に若干の躊躇があるんです。
と言うのも、俺はそもそも変わり者で、いわゆる 『どこにでも居るタイプ』 では無いんですよね。
その辺り、このブログをいつも読んでくれてる奇特な方々(失礼か?w)にはそろそろ察しがついてると思うんですが、とにかく俺って奴は良くも悪くも 『例外』 でして、自他共に認める変わり者なんです。
問題は 『だからこそ』 の部分なんですよ。
つまり、俺は変わり者としてしか生きてきてない訳で、感性なり価値観なり、持ち合わせたもの全部が 『変わり者の自分』 に含まれてる訳ですよね。
簡単に言えば、一般的じゃない訳ですよ、あらゆる事に関して。
とは言え、多くの変人と違って、一般的なモラルやルール、世の中のごく平均的な価値観なんかはちゃんと理解してるし、必要な部分はそこに合わせる様にもしてます。
でも、所詮は根っこからの変わり者ですからね、合わせたからって合うものばっかりでもないんですよ。
常にどこかしらで無理があるんです。
大前提なんですけどね。
その上でなんですが、自分と言う存在を常に客観視してる人ってどれぐらい居るんだろうか・・・なんて時々思うんです。
客観視・・・恐らく、ほとんどの人達の客観視ってのは、俺の場合の客観視とは少し違う気がするんですね。
俺の場合、本体である身体から幽体離脱でもした様な感覚で自分を見るんです。
いや、幽体離脱なんてした事ないですけどねw
なんというか・・・身体が巨大ロボ的な存在で、客観視してるのはそのパイロットである自分・・・的な?
表現が難しいんだけども、ホントに他人を見る感覚で自分を見てたりするんですね。
まさに 『客観視』 なんですが、昔は誰しもが俺と同じ感覚で客観視してるもんだと思ってたんですけど、しばらくして 「これはどうやら違うみたいだな」 と気付いたんですよ。
その根拠は、俺と同じ様に客観視してたら絶対にしないであろう言動をする人達があまりにも多い事実を知ったからです。
これまたちょっと伝わりづらい表現ですがね・・・。
別に俺の客観視が正解だとか、みんなの客観視なんかインチキだって言ってるんじゃないですよw
単純に、俺の物の見方がそういった部分においても特殊らしいって話です。
変人アピールでもないんですけどねw
今でこそごくたまにしか無いけども、何年も前、俺は望んだ訳でもなくやたらと相談を持ち掛けられたり、意見を求められたりしてました。
内容は様々。
人間関係、恋愛、仕事、人生・・・その他諸々。
俺は俺で色々と抱えてたりすんのに、なんでこいつらは次々と引っ切り無しに来るのかね・・・なんて思いつつも、一応はそのほとんどに返答をし、必要とあらば懇々と説教なんぞもしてました。
結果として、変に持ち上げられて、兄貴分扱いなんかもされて、妙な居心地の悪さを感じてたもんです。
「なんで俺なのか」 はわりと明白で、端的に言えば、俺が変わり者だったからなんです。
彼らにしてみれば、俺の意見は稀な見解なんですよ。
稀だけど的外れな事は言わないし、理屈は通ってるから説得力もある。
だから俺の意見を聞きたいと思う。
そういう事なんです、客観的に判断すると。
持ち掛けられた相談の多くは、一般的にはちょっと難しい内容だったり、複雑な事情が絡んだものでした。
ベタな相談にありがちな 「答えはもう出てるけど後押しして欲しい」 的なものはほとんど無くて、ホントに迷ったり決めかねた末のものばかり。
こっちとしても片手間で答えられるほど簡単じゃなかったけど、半ば使命感の様なものを感じてたりもしました。
『俺にしか言えない事を求められてる』 って意味で。
要するに、そうやって周りから求められてたものは、俺の特性だった訳です。
言葉や文字にするとちょっと大袈裟なんですが、『特殊な目』 みたいな感じですね。
いわゆる、どれだけ否定されようが霊能者には霊が見えてしまう・・・みたいなもんで、俺には他の人達にはなかなか見えないものがあっさり見えたりするって事です。
当然それは霊能力でも超能力でもなくて、俺が人生においていつの間にか身につけた技。
注意力や判断力、人生の様々な経験や生き様が作用し合った結果としてのものなんだと思います。
相談の回答や意見を返して、結果的に良い印象を持たれるのは 「望ましい事」 ですよね。
おかげで居心地が悪いとか、やり辛くなったとか、それは贅沢な悩みだったのかも知れません。
「マジで尊敬するわ~」 なんて本気で言われたり、買い被られて惚れられたり、なかなか無い事だと言われればそうなんでしょう。
良く言われれば悪い気はしないのも事実ですよ、過剰じゃなければね。
でも、そうやって周りから持ち上げられれば持ち上げられる程、俺としては複雑な心境でもあったんです。
また霊能者で例えますが、霊が見える人は見たくて見てる訳じゃないんですよね。
単純に、特性として見えてしまうから見てしまう。
見えないものが見えるのは確かに 「凄い」 けども、見たくないのに見えてしまう苦悩ってのも当たり前にある訳ですよ。
特性を称賛する人達は多いけども、『その特性があるからこその問題』 の部分はあまり考えてくれないんですよね。
だからこそ、こちらとしてもなかなかそれを打ち明けられない。
孤独を感じる瞬間ってのがね、そういった所にあったりするんです、実は。
これもある種の特性なんですが、俺は感受性が無駄に強いんです。
特殊な目を持ってるのに感受性が強いって、どういう事だか解りますかね?
見たくない部分まで見えて、感じたくない部分まで感じてしまう。
それはね、ホントに残酷なもんだったりしますよ。
「相手の痛みを知れ」 とか言いますよね、躾なんかでは特に。
あれは 「相手の立場で痛みを想像してみなさい」 って意味で使う訳ですが、その相手の痛みを100%とは言わずとも、50%でも体感しちゃったらどうでしょうか。
激痛で失神した相手の痛みが半分伝わってきたらどうします?
半分だから失神こそしないとしても、七転八倒する程の痛みを貰っちゃう訳です。
どう軽く見積もっても辛いですよね?
そもそも他人の痛みだけに、理不尽な事でもありますよね。
でも、俺はそういう事が日常的にあったりするんです。
勿論、肉体的な痛みを貰う事はないけども、メンタル系の痛みは嫌ってほど貰っちゃってます。
この歳になって少しばかりコントロールも利く様になってますが、今でも油断してると変に貰っちゃう事があるんで気をつけてます。
まぁ、具体的に言うと、こういったブログであるとか、日記であるとか、TV番組とかもなんだけど、書き手や登場人物なんかの感情やら感覚がダイレクトに入って来ちゃうんですよ。
それが正の感情なら良いんだけど、負の感情の方が圧倒的に多いから困りもんでして・・・しかも、俺は俺でメンタル的に危うい時期なんかも経験してるもんで、尚更に理解出来ちゃったりもする訳ですよ。
それに、俺の周りにはどういう訳だかメンタル面で悩みを抱えてる人が多くて、そういった人達と接する機会が多いだけに解る部分も多いんですよね。
全く接点が無い人の日記やブログをわざわざ読みに行く事は滅多にないけども、TVなんかは結構危険で、好きな番組観てても変に入って来ちゃうとヤバいです。
ダイレクトに痛いし、泣けちゃうし、ヘコむし、ブルーになるし・・・切なすぎてうなだれてる事もしばしば。
まぁ、他人様にそれを理解しろってのが無理な話なんですけどね。
とにかく、特性なんて良いばかりじゃないって事ですよ。
要らないもんは欲しくない・・・恐らく誰しもがそうである様に。
他人を見てて、先が見えてるのにそれを止められない無力さを痛感したり・・・ホントに心苦しいです。
救いにならない存在を救いだと思って嬉しそうにしてる人に、「それは違うよ?」 なんて言えないし、言ったところでまず通じない。
結局、その人がその先にある坂を転げ落ちるまで見てるしかないんです。
そこでのダメージが、下手すりゃ命取りになるかも知れないのにね。
そうするしかない現実が、日常的に目の前に差し出されてる事を誰も知らない。
これは俺の問題だから、俺の中で処理してくしかない。
だからそうしてるけど、傍観しか出来ないのはやっぱり辛いです。
傍から見たら、何こいつは一人で痛がったりしてんだ?って話なんで、そういうのは極力見せない様にしてます。
そしたらなんでこんな記事書いてんのかって言うと、そういう人間も世の中には存在するって事だけ知っといて欲しいなと思ったんですよ、ふとね。
あ~、ちなみに、こういうの書くと変に心配されたりするんですが、別に何かあったとかじゃないですからねw
俺的には極めて日常的に頭の中にある事なんでご心配なく。
自分の中での荷物整理みたいなもんです、ハィ。