表現者、かく語りき | weblog -α-

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なんとな~く  思いつきで  好き勝手に  (=゚ρ゚=) ボヘー  っとやってます。


俺はドキュメンタリーとか対談番組なんかが好きでちょいちょい観てるんだけども、NHKで『爆笑問題のニッポンの教養』って番組があるんですよ。
もう長年続いてる番組で、漫才コンビの爆笑問題が毎回各界の大物とも呼べる人達と対談する番組なんです。
大体は教授クラスの人達と対談してるんだけど、先日の回は二週に分けて野田秀樹との対談だったんですよ。
野田秀樹と言えば、劇団「夢の遊眠社」で名を馳せた大物。
俳優、劇作家、演出家・・・と、主に舞台関係でマルチな活躍をしてる人。

で、そんな野田秀樹と爆笑問題の二人が対談するって事で、これは面白そうだと思って観てみたのが二週目の放送。
これがね、最近で観た番組の中で上位に入るぐらい面白かったんですよ。
まぁ、フツーの人はそれほどじゃないのかも知れないけどもw、俺的にはかなり良かったんです。
その後の再放送で一週目のも観たんだけど、内容的には二週目だけで充分でした。

一週目は野田秀樹が教授を勤めてる多摩美に爆笑問題の二人が出向き、ワークショップに参加。
全員が細い棒の先端を人差し指だけで固定し、その状況の中でどう動くかってなものをやったり、野田秀樹が思いつきで出したテーマに沿ったものを、二組に分かれたチームごとに彫刻になりきって表現してみるといったもの。
まぁ、文字にしても解り辛いと思うけど、実際に映像を観ても「これ、なにしてんの?」ってのがフツーの人達のリアクションでしょうなw

んで、二週目はワークショップに参加してた生徒達の前での対談。
これが面白かった。
なにしろ、爆笑問題の太田はそもそもが野田秀樹ファンで、若い頃から野田秀樹の舞台を幾つも観て来た人。
学生時代からずっと読書ばっかりしてた程の文学少年だった太田にしてみれば、野田秀樹は憧れの人の一人だったってのも頷ける話な訳ですよ。

で、そんな太田が野田秀樹に質問をぶつける訳なんだけども、その質問ってのが太田らしい質問でして、最初は「演劇ってそもそも日本人に向いてないんじゃないの?」ってな質問から。
これに対して野田秀樹は、「明治以降の日本はそうかも知れないけど、それ以前の江戸の頃なんかは、日本人の感情の出し方はもっと大らかだったんじゃないかと思うんだよ」と。

この質問ってのは、外国人みたいにオーバーアクションな人種じゃない日本人ってのは、そもそもが外国から入ってきた演劇的なものには合ってないんじゃないの?って質問な訳ですよ。
で、野田秀樹の解釈としては、日本人は本来大らかな表現の人種で、だけど明治の頃を境にそれまでの日本文化を全否定したと。
それから世界大戦があって、終戦後にはまた大らかにしていいよって感じになったんだと。
そんな極端な変化のせいで、今の日本人は非常に自己表現がぎこちない、いびつな人種になってるんじゃないか・・・ってな訳。

で、さらに野田秀樹は「ガングロなんてのが一時期流行ったけど、あんなのは日本人じゃなきゃ絶対にしない事だよね」と続けて、次の「日本人の幼さがヤバい事態になってるんじゃないか」ってテーマに繋がる訳ですよ。
このテーマが一番面白かったし、非常に共感した部分。

要するに、今時の日本人は「解った上でやるべき事」を本気出してやっちゃってるって懸念なんですよ。
これはねぇ、俺もこの数年感じてた事で、非常に由々しき事態の様な気がしてるんですよね。
特にネット社会になって、匿名で包み隠さず好き勝手言える時代になったじゃないですか。
2ちゃんとかTwitterなんかもそうだけど、そこに他人が居る前提であるにも関わらず、他人を全く意識しない発言なんかが簡単に出来ちゃう訳ですよね、今は。
これが全部ダメだとは言わないまでも、勘違いする奴らってのは少なからず出て来てる訳ですよ。
それこそ、ネットなんてのは世界規模だから、勘違いしてる奴らが例え1割だったとしたって物凄い人数になっちゃう。
実際のところは1割なんてもんじゃないだろうから、ホントに恐ろしい程の数になってる訳で、それが現実だって事が怖い訳ですよ。
事実、その勘違いから生まれてる文化なんかもあるし、文化が生まれるって事は、この世の中のどこかに根付くって事でもある訳ですよ。
怖くないですか?それって。

野田秀樹は「幼児性+自己愛社会になってる」って言ってるんですよ、番組内で。
つまり、幼児性ってのは表現者にとって必要不可欠ではあるけど、それはちゃんと理解した上で幼児性を出すから許されるもので、100%本気で幼児性を出すのは別モノだ・・・と。
今の人達は本気の側が増えすぎてる上に、自己愛主義みたいなもんが乗っかってて厄介だと。

結局、世の中ってのは他人ありきで成り立ってる訳で、そこから他人を排除した意識とか価値観ってのは絶対的に許されるべきもんじゃないんだけど、その「他人」ってもんの捉え方が間違った方向で定着しつつあるってのを危惧してるんですよね。
彼らにしてみれば「他人をちゃんと意識してるよ」って言い分なんだろうけど、俺らからしてみたら「それは全然意識した事になってないよ」って話な訳で・・・俺なりの言い方をすれば、「他人を記号化した捉え方しか出来ない輩が増えてる」って感じなんですよ。
要するに人間扱いしてないってか、他人を「自分と同じ人間である」って分類に含めてないんじゃないかなと。

例えば、嫌いな奴に対して酷い対応をするのは理解出来るじゃないですか。
暴言も吐くし、殴れるなら殴ってるかも知れないっていうね。
まぁそれは感情的に解るんだけど、今時の人達って、特に嫌いな訳じゃなくても敵視した様な態度を取るんですよね。
ネットが匿名性が高いからこその事ではあるんだろうけど、それにしたってわざわざ高圧的に出たり、ケンカを売る様な態度をする必要は全く無い訳で、じゃあなんでそんな風にするのかと言えば、自己愛主義なんですよね、そこにあるのはきっと。
自己愛と言うよりも自己顕示欲って方が正しいかな・・・とにかく自分を出すって事だけに執着してるんだと思うんですよ。
だから自分自分で他人に対しての配慮とかは無かったりするんじゃないかなと。

でも、人間が集まる以上、そこには最低限の人間関係って必然的に生まれる訳で、人間関係は他人を意識した上でなきゃ絶対的にダメなもんですよね。
となると、自分ばっかりで他人を全く意識しない奴らは淘汰されてく訳ですよ、世の常として。
んで、淘汰された連中は変に被害者意識を持って、恨んだり復讐を目論んでみたりするパターンがあるんですよね。
つい一昨日ぐらいに例のアキバの事件の続報が報道されてたけども、あれだって同じですよ。
経緯はどうあれ、犯人のあの野郎は事件前に被害者意識を強く持って、実行する程までに復讐心を膨らませた訳じゃないですか。
勿論、事件を起こしたら悪いのはそいつって事になるけども、ホントの問題はそこじゃないですよね。
幼少期に虐待があったのが事実なら、それも原因の一つではあるだろうけど、それだけで無差別殺人に結びつけるのは発想が稚拙過ぎる。
世の中はやたらと「悪者は誰だ」って部分を取り上げるけども、肝心なのはその悪者がどう作られたのかなんですよ。
凶悪犯の首を幾つ刎ねたところで、世の中のどこかで予備軍が量産されてるなら、その工場を潰さないと意味がない・・・そういう事ですよね。

太田曰く、「今はTwitterなんかで自分の意見を大多数に発信出来る状況が整ってる。それをやめろってのが無理な話で、それは仕方無い事。野田さんが舞台をやるってのと、Twitterとかでつぶやく人達ってのは、恐らく『表現したい』って部分では同じなんだと思う。」と。

そうなんですよ、俺もTwitterは一応登録してるけど、さほど使ってないんですね。
なんでかって言うと、あれは俺にとって「表現の場」にはならないからなんですよ。
このブログとか自分のサイトの日記なんかで書いてる事をそのままつぶやいたりすれば、内容が同じなんだから同じもののはずなんだけど、どうもそれは違うものの様に思えて仕方無いんですね。
ってのも、Twitterのフォロワーの中にこないだまで少々ウザい奴が居ましてねw、別にそいつに悪意が無いのは解るんだけど、とにかく何でもつぶやきとして投稿する訳ですよ。
ちょっと見ない間にブラウザ一杯にそいつのログがずら~っと並んでて、他の人達のログは相当遡らないと出て来ないとかになってたんですよね。
まぁ、それは仕様として仕方無い部分もあるんだけど、そいつのつぶやきってのは、いちいち自己主張と言うかな、自分自慢みたいなもんが多々あるんですよね。
それも、「これって凄くない?」ってストレートな感じじゃなく、インテリぶったりカッコつけ的な感じのばっかりね。
なんと言うか・・・「俺ってこんな事もしてるんだぜ。凄いだろ?カッコいいだろ?」って言いたいんであろう雰囲気を120%出しまくってるつぶやきなんですよ。
例えば、「これから絵画教室に行ってきます」とか「良いフレーズが浮かんだので忘れない内に作曲中!」とかね。
いや、フツーと言えばフツーなんだけどもさ、そういったのがいちいち「俺自慢」なんですよ・・・解ります?
あのね、「これから絵画教室だけど暑いから面倒」とか、「絵画教室中・・・難しい」とかなら解るんです。
そうじゃなく、「これから絵画教室に行ってきます」ってだけ書いてるのは、何を意図してるのかって事なんですよ。
出掛けに家族やら同居人にメモ残してるんじゃあるまいし、それだけわざわざ書くってのは、どう考えても「俺って絵画教室とかも通ってるんだぜ?凄いだろ?」なんですよ。
解るかな~、これ。

まぁとにかく、そんな子がフォロワーに一人居ましてね、毎度イラつきながらも結構我慢したんだけど、どうしても鬱陶しくて発言をブロックしたんです。
でね、さっきの話に戻るけど、日記やらブログと同じ事をTwitterでつぶやいても、それがどういう受け止められ方をするのかって考えると、やっぱりTwitterは違うな~と思った訳ですよ。
言うなれば、Twitterって俺が発言をブロックした子の方が使い方としては正しいんだと思うんですね、きっと。
それこそ自己主張の場で、それに同調する人達がレスをつける的なね、そういう場なんですよ。
そこにはきっと他人を意識する必然性ってそれほど無いし、いざとなれば「あくまで個人的な発言をつぶやいてるだけですので」って逃げ道も確保されてるんですよね。
まぁ、そういう場なんだからそういうやり方が正しいんでしょうよ。
でもね、俺はそれって絶対的に違うと言うか、反発食らったり全否定されるリスクを背負わないで自己主張するってスタンスが間違ってると思うんですよね。
言ったら、なんだろうな・・・「お前の意見だろ?だったら攻撃されても否定されても受けて立てよ」みたいに思っちゃうというかね、「逃げ道用意してある自己主張ってナンボのもんだよ」って思うんですよ。
いや、俺が古い人間になってきただけなのかも知れんけども、どうもああいうのは受け入れ難いってか、あんなもんを使いこなす人達の心境が理解出来ないです。
結局それも、本気でああいうのを使っちゃってる人達が大多数だからなんだろうなと。

対談はその後も続き、太田が野田秀樹に対して「舞台以外のメディアでもその才能を活かして欲しい」ってな話になりました。
で、その流れから再びTwitterの話も出るんだけど、ここでまた太田が面白い事を言い出すんですよ。
「野田さんは経験をもって色んな事を知ってるし、舞台でどうすればどんなリアクションが返ってくるかも解ってるから怖くないだろうけど、Twitterとかやってる連中はそれを全く知らないからこその不安なんかがあるんだと思う。だって、もう野田秀樹って事だけで当たり前に客は来るし、今後絶対にそれだけで食ってけるんだから苦しくないよ。若い連中はそれが無いから苦しいんだよ。だから、野田さんにはこいつら(生徒達)の気持ちなんて解るはずないと思うんだよね。」と。
非常に面白いコメントw

確かに、若い子に限らずだけども、今時の人達ってのは昔の人達とは違う不安とか苦しみを抱えてるんだと思うんだよね。
自分を出せるって意味では、それは贅沢な悩みなのかも知れないけども、自分を出せるからこそ「どう表現すればいいのか」みたいな部分の苦悩があるんだろうね。
それこそ、やり方が解んないからこそのTwitterだったり2ちゃんだったりするのかも知れないけども、怖いのはそれが間違ってたとしても、多数決的に絶対数の多いもんが正解として根付いてく事なんですよ。
別に正義ばっかりが真実ではないけどもね、そうやってどんどん曲がったり歪んだりしてく世の中になると、ただでさえ解り辛いもんがより一層解り辛くなると言うか、どんどん複雑化されてっちゃう気がするんですよね。
なんてのかな・・・何か暗記しようとしてんのに、TVつけたりCD掛けたり、余計なもんを自分らで増やしてる感じってのかな。
それも最初から「邪魔が多すぎて暗記出来ませんでした」って言い訳をする為にそうしてる的なね、そんな気がするんですよ、俺的には。
端からやる気ねぇじゃんというねw
けど、彼らはそれを「保守的」とか「保険かけてるだけ」と言うみたいなねw、そういうズレがあるんだと思うんですよ。

さて、対談はさらに進んで、太田が野田秀樹に望む事の流れから、今度は生徒達にも話は広がりまして、人生相談的な表現論になります。
きっかけは太田の疑問、「表現者である以上、基本は『多くの人に伝えたい』って思いだと思うんだけど、たかだか数百人程度のキャパを埋めても、それって果たしてどれだけのもんなんだ?と俺は思っちゃうんですよ。それこそ、Twitterなんかは何万人単位とかで増殖し続けてて、そういったもんに対抗するとなると、尚更に規模の小ささが際立ってしまう」と。
野田秀樹は、「そういう事は僕もよく考えるんだけど、僕が今日幸せに感じるのは、太田さんの様に僕の昔の舞台とかを観てて、今になって熱く語ってくれる人が居るって事。当時、一体これだけのお客さんの中で何人にちゃんと伝わってるのかって疑問があったけど、それがちゃんと答えとして出てる訳ですよね。って事は、それって実は、少ない方が深く伝わるって部分があるんじゃないかと思うんですよ。」ってな答えでした。

そうなんですよ、これはプロアマ問わず、表現者なら誰しもが一度は引っ掛かる部分なんですよ。
それこそ、プロじゃない方が尚更に強く感じる部分かも知れない。
つまり、自分の作品だとか芝居だとか、表現者としては出来るだけ多くの人に良いって言って欲しいのは当然なんだけど、でも果たしてその称賛をくれた人のどれだけがちゃんと見てちゃんと評価してくれたのかって考えるとね、必ずしも100人が100人褒めてくれても手放しで喜べないって部分があるんですな。
作り手のジレンマと言うか、表現する側じゃないと絶対に解らない部分ですよね。

表現者ってのは、自分の生み出したもの・・・曲でも詩でも芝居でもそうだけど、「それを受けた人達の人生にどれだけ影響を与えられるか」みたいな部分でやってたりするんだと思うんですよ。
もっと言えば、普段の言動の全てが「表現者としての作品」になってたりもするんですよね。
それって意識的にどうのでそうなってるんじゃなくて、それこそ俺のTwitterの話じゃないけども、カッコつけたりインテリぶって「カッコいい」だの「頭良い」って評価されても無意味でね、ありのままの等身大の自分として生きた時に「表現者の素質があった」「そういう気質だった」って事なんですよ。
だから対極ですよね、あえて構えて「こう見せよう」的なのとは。
カッコつけて良い部分ばっかりアピールして高評価得てもね、それって結局は作りもんのハリボテに過ぎないんですよ。
いくら高評価されたとしても、それが持ち合わせの素質だったりすればね、そこには持ち合わせてるからこその苦悩がちゃんとあったりするんですよね。
だからそこで病的なまでに悩んだりもするし、その結果として何らかの答えと言うか、きっちり中身が詰まってるもんが生み落とせたりする訳ですよ。

対談は再び「今の人達の抱える不安」の話になって、太田が生徒の一人に「みんな役者やってこうと思ってる訳でしょ?不安じゃないの?」と振るんです。
で、その生徒は「僕は太田さんが言う様な不安は思わないですね。って言うのも、僕は表現出来るから不安に思わなくて、誰かが絶対に観てくれてるし、それがどうなるかは解らないものだから、そこを不安に思ってたら先に進めないと思うんですよ。太田さんの様に熱く語れる人が一人でも居るんであれば、僕はそれだけで充分だと思うんです。」と。
それに対する太田のコメントが「ん~、それ美しすぎる」って不満げでウケましたw
更に「ウソだ」って言い切るしねw

まぁでも、その生徒の彼の意見は確かに綺麗過ぎますよね。
勿論、本心でそう信じようとしてるんだろうし、そう信じないと不安に押し潰されて身動き取れなくなるからそう思い込む様にしてるんだろうけど、本音かどうかって意味で言えば嘘ですよねw

で、そこで太田が一気に熱くなってw、美しすぎる意見を述べた生徒の彼にしっぺ返し的な鋭い質問をするんですよ。
「でもな?これ凄いってもんが出来るんだよ、君の中に。役者でも何でも良いけど、『これ圧倒的だぞ』っていう役が作れちゃったりする時がきっと来るんだよ。そん時に(ちゃんと理解してくれる人が)一人で良いか?ホントに良いか?」と。
生徒の彼は「う~ん・・・そっか・・・。」とw
で、更に追い討ちをかける太田。
「そん時に、何の反応も無かった時の孤独は凄いぞ?!」
「そうですね、経験した事がまだ無いので・・・」と怯んだ彼に対し、太田がとどめの一撃w
「だろ~?!そこなんだよ!」とw
ここのやり取りはかなり面白かったですw

「だからこそ戦うんだよ!だからこそ人を増やす様に戦わなきゃダメなんだよ!」ってな感じで白熱する太田。
下手な演劇人よりよっぽど熱くて的を得た発言でしたよw
まぁ、その後も別の生徒さんの質問があって、表現者としての線引きと言うか、ジレンマの話にもなってそれもまた面白いんだけど、そこら辺は省きますw

その後の質問の答えで、野田秀樹が「表現者には二種類居て、何かの為に表現する人と、その表現が好きでやってる人と、そのどっちかだよな」ってのがあったんですよ。
「僕はどっちかって言うと、その表現が好きでやってる人がホントの表現者だと思う」と。
俺もそれには大賛成で、「好きこそ物の上手なれ」じゃないけど、結局は「これが好きだ」って原動力だけで動けちゃってる奴が本物になり得るんだと思うんですよね。

恋愛なんかもそうじゃないですか、ロクに寝てないんだけど会いに行くとか、高給取りでもないバイト暮らしなのに、交通費だのデート代に何万も使っちゃうとかさ。
行為としたら本来は馬鹿げてるんですよね、それって。
まぁ、恋愛は相手のある事だからちょっと違うけど、好きって感情とか、そこから生まれる衝動ってのは、ある意味で常軌を逸したものだったりするんですよね。
計り知れないパワーとかエネルギーを勝手に生み出しちゃってて、そこに突き上げられて一歩踏み出したら、気が付くと猛ダッシュで走ってた・・・みたいなさ。
勿論、それは若さなんかもあるとは思うんだけど、好きなもんに歳とか関係ない訳で、多少は歳食って勢いこそ落ちるとしてもね、好きなもんを純粋に好きと感じる気持ちってのは、やっぱりパワーを生むと思うんですよ。
まぁ、好きなだけじゃダメなんですけどね、何事もw

ともあれ、久々に面白い対談を観ましたよ。
NHKもたま~にああいうのをやるから完全否定出来ないんですよねw

で、長々と書いた野田秀樹がゲストの『爆笑問題のニッポンの教養』ですが、俺が最初に観た二週目の放送分、あと一回だけ再放送があるみたいなんで、興味がある方は録画でもなんでもして観て下さい。
よっぽど頭悪い人じゃない限りは面白いと思うんでw


『爆笑問題のニッポンの教養』
FILE114:「演ずれば通ず 第二幕」 演劇・野田秀樹

8月2日(月) 午後4:05 NHK総合

NHKオンデマンドでも配信中 (210円)