weblog -α-

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なんとな~く  思いつきで  好き勝手に  (=゚ρ゚=) ボヘー  っとやってます。

Amebaでブログを始めよう!
いやいや、ビックリですね。
ほぼ丸一年放置してましたか、そうですか。
もはや止めてるのと同じじゃんねw
いや~、ヤバいヤバいw

年末年始すらなーんも書かなくなっちゃってるんでね~、そうなるとあえて書くタイミングって特に無かったりしまして、気付けば何ヶ月とか経っちゃってたりして。
とはいえ、相変わらず記事に上げてない下書きだけはぼちぼちあるんすけどね。
どうにも纏め下手をどんどん拗らせてるんで記事になんないんですよ。

んで、今回はアレなんです。 おっさん、今日が誕生日なんです。
それも今朝、姉貴に言われてハッと気付くっていうね。
もはやテメェがいくつだろうがどうでも良いというか、歳食ったからってどうせとっくに心身ボロボロだから変わんねぇっていうw

で、とりあえず一年も書いてないから適当に記事を上げようと思いまして、じゃあ『とにかく生きてるのがキツい』的なもんでも書こうかと考えてたら、似た様な事を2018年の記事でとっくに書いてたみたいで、だったら改めて書く事もねぇかっていう感じになってますw
こうなるといよいよ書く事ねぇぞ感がアレですけどもw、とにかくオメェは進化も退化もしちゃいねぇな・・・と、己に対して半笑いですよw

まぁ、なんというか・・・、俺的には人生のわりと序盤からケチが付いて『普通』ではなくなってしまったし、そっからずーーーっとロクでもない事だらけのクソ人生で、大して面白くもなければ喜びも幸せも殆ど得られる機会が無かったもんだから、ホントに誕生日なんてのは一番虚しい日と言いますか、苦々しいイベントでしかない訳ですよ。
2018年の記事にも書いてますけど、おめでとうとか言われてもどんな顔して良いのか解んないっていうね、そういう日です。

・・・とか書くと変にシリアスに受け取っちゃってリアクション返せないよね~w
まぁまぁ、そうなるのも込みであえて公言するのが俺の意地の悪さなんですが、別にどよ~んと落ち込んでるとかじゃ全然ないし、俺的には「このクソ人生をどう乗りこなすか」みたいなトコでしかないんで、今はそう気にしちゃいません。
なんだろうな・・・、俺は幸せになれない奴というだけの事なんだろうから、だったら幸せなんぞ欲しなければ良いって事なんですよ。
「もうちょいだけでも幸せになりたかったな~」みたいなのは毎日の様に思ってるけど、どう足掻いても得られない人間ってのは一定数居ると思うんで、俺もその枠なんだなと割り切るしかないですよね。
そこに引っ掛かってると前に進めないし、もはやそんなベタな足踏みしてるほど若くもない訳でねw

前々から思ってはいたんだけど、四十過ぎぐらいからより真剣に思う様になったのは、『幸せになれる奴はちゃんと幸せになっとけな』っていう事ですね。
これは自分がなれないからこそ心から思う事なんだろうな、多分。
あと、『幸せになれる奴のクセに幸せを掴もうとしてない奴』を何人も目の当たりにして来たってのもあるんだと思う。
「そいつじゃねぇだろ」とか、「そっちじゃねぇだろ」とか、若い頃からそんなのを散々見て来たけど、その時にそう言ってやっても通じないのがお約束だったりするし、むしろ否定するなとか邪魔するなって文句言われちゃったりするからねw、余計な口出しになるならあえて何も言わないとかが殆どでしたよ。
でも、常に「今じゃなくても良いから、いずれ幸せになっとけよな」みたいな事は思ってたな~、そこまで好きでもない相手であってもね。
そういうもどかしい思いってのは今でもずーっとあって、勿体無いな~と思う事が多いですよ、せっかく『チケット』を持ってるのに、それを使わない奴とか、持ってる事すら自覚してない奴とか見ちゃうとね。
嫉妬はしないけど、要らねぇなら俺にくれよってマジで思う。

最近は疲れ切っちゃってて、色々とこなすのが物理的にキツかったりして・・・歳のせいばっかじゃなくねw
特に冬場は寒さと乾燥で身体のコンディションが最悪なんで、最低限の家事こなすのもしんどい始末です。
アート系の諸々もモチベがちっとも上がらなくてやれてないし、公表する気も無い小説用の設定資料作りだけを黙々とこなしてるというね・・・、現実逃避なのかどうかももはや解らない領域w
まぁ、そのせいで設定資料は変態的な無駄リアリティが着実に積み重なってるんで、もう設定資料自体が作品になっちゃってる感じですけどw
ちなみにどう変態的かってーと、町のシンボル的な山があって、その山が縄文中期に地殻変動による隆起で形成されました的な事から作り込んでるレベルw
その山は縄文人が定住し始めた事で山岳信仰の対象になりましてね、更に弥生人が農耕社会を確立すると、水害なんかの絡みがあって宗教的価値が強まった訳ですよ。
そんで、奈良時代に入ると土地神としてうわばみ伝説なんかが噂される様になって、鎌倉時代には修験者が住み着く様になったりとかして・・・云々。

どうだ! 変態的だろ!w

こういうね、色んな設定を歴史から作り込んでたりして、それぞれの辻褄合わせとかもしつつ、ありもしない町のありもしない歴史やら何やらをチマチマと構成してるんですね。
物質としては存在しないけど、俺的には箱庭作りの楽しさがあるというか、小説本編どうの以前に町には随所に物語がある的なね、そういう細かすぎる作り込みをしながらプロットを書いてたりして、我ながら「病んでる奴のやる事だな」と呆れてますw

アレなんだよね、オカルト好きが高じて変に世界史やら日本史もちょっと深掘りした時期があったもんだから、時代考証とかも無駄に拘っちゃうんだよね。
学生の頃にこのレベルで調べたり突き詰めてたりしたら、フツーに教師より面白く歴史の説明とかしてただろうな。
まぁ、あの頃はそれどころじゃないぐらい悶々としてたけどw

という事で、相変わらずなんだか解らん記事になりましたとさw
では、またいずれ。



猫の日なので、なんとなく。



『待つ猫』





『ボス戦』




我ながら何言いたいのか解らん前回の記事を書き直そうと思いつつ、なかなかタイミングが掴めないまま数ヶ月パターンです。
色々キツいけど、コロナにもならず生きてますよっと。
まぁ、だから良かったなんて事でもないのが俺の人生なんですが。
ウチのお猫様は相変わらず元気です。
もうそれだけで良いんです。
手首マジ咬みすんのだけ勘弁して欲しいけど・・・。



えらいもんで一年近く放置してましたが、更新してないだけでちょいちょい時間潰しにゲーム程度はしに来てたりするあんびです。
とりあえず、ちょっと病み上がりでして、こないだ一週間ほど風邪ひいて寝込んでました。
もう回復してるんでアレだけど、体調は基本的にずっと悪いんで、風邪治ったから絶好調とかじゃないです、はい。

今回の風邪は今まで無かった変な引き方というか、特に大きくどっか痛いとかになる訳じゃなく、なんかおかしいって状態がジワジワ進行して「こりゃダメだ」ってなりまして、非常に解り辛い始まりでした。
もうね、こういうご時世だけに「これがコロナか!?」みたいな事も思ったし、俺なんか気管支も肺もボロボロだから、コロナだったら死ぬ準備しとかないと的な事も考えまして、いちいち面倒臭いアレでしたよ。
まぁ、それでもタバコ吸ってたけどね、どうせ死ぬなら吸っても良いじゃん的な開き直りもありつつw

そんな訳で、まだどうしても病み上がり感が残ってる状態なんでヘロヘロだけど、ぼちぼち何か書かないとなーとか思ってたんで、気まぐれに書いてます。

さて、今日は選挙の投票日って事で、Twitterでは例の如く「投票へ行こう!」だの「投票は権利です!」だのと声高にアピってる人達が有名無名問わず溢れ返ってますが、いつも俺はこの選挙時期って気持ち悪くて苦手なんですよ。
何が気持ち悪いって、ちっとも本質を突いた事を発言してる人が見当たらない事と、前記した『投票呼び掛け厨』みたいなのばっかりになる事がです。
いや、呼び掛けに全否定ではないんだけどもね、そこじゃねぇじゃん感が余りにもアレなんだな、俺的には。
ってか、あえて言葉を選ばずに言うなら、「お前ら結局、踊らされてるだけじゃね?」っていう感じなんだよね。
それ、一番ダメなやつだよ?っていう。
そういうバカが一番ダメなバカだからね?っていう。

まぁ確かに、この手の話は面倒臭いんですよ。
権利がどうのとか、自由とはなんぞやみたいな話になるから、それはそれは面倒臭い上にちょっとデリケートな話だしね。
でも、俺はもっと根本に目を向けた上でなければ権利もへったくれも無いじゃんって思うし、それが全く見えてない人達が怖いんですよ、盲目的で。

そもそも、みんな日常的にどれだけ物事を真剣に捉えてますか?みたいな事で、殆どの人達って全然じゃないですか。
もっと言えば、そこまで考える頭すら無かったり、考える事を自ら放棄してるでしょ?
それでなんで自分が正しいみたいなスタンスを堂々と取れちゃうのか解んないっすわ、俺。
俺は十代から無駄なほど色々と考え込む奴になっちゃったけど、それでも常に迷いはあるからね。
これが結論だ!って自分なりの答えを見つけ出しても、それを結論としてホントに良いのかって迷いはどうしても拭えない訳ですよ、答え合わせ出来る事じゃないから。
つまり、そうやって迷い続ける事が着地点として正解なんだと思うんですね、人というのは。
「絶対これだ!」って迷わないとしたら、それはもはや偏ってるって事なんだと思う訳。

という事からすると、俺は世の中の大半の人達に対してとても否定的だという事になっちゃうんですね、多分。
「お前らなんか、ちっとも何も見えてねぇじゃん。」っていう事になるから。
その生き方とかを否定はしないけど、意見を主張するに当たって全然正しくないよ?って。

選挙時期になる度、いつも俺はそういうトコが気持ち悪くて、どうにも眉を顰めてしまう訳ですよ。
「なんでそこばっかり?」って毎回思ってます。
投票に行く事の大事さを執拗なまでに訴えてる人達が居るけど、そんなのとっくにみんな知ってるよ、今時。
それでも投票に行かないんですよ、解っていながらも。
「それじゃダメだよ!!!」って熱弁を振るう人達がワラワラと居ます。
そうね、その気持ちは大いに解るけども、そこじゃないんだって、問題は。
まず、それでも投票に行かない事の理由を考えないとダメじゃないの?
となると、『若者達が投票に行かない理由ベスト10』みたいなアンケート結果を安直に出して解った気になってるパターンが多いんですが、それも違うでしょと。
完全に問題をすり替えてるだけなんですよ、ああいうのって。
あえて核心に触れさせない為にアホネタを引っ張って来てる的な悪意すら感じますわ。

みんなさ、ホントにちゃんと考えましょうよって俺は思う訳。
どうせ向き合うんだったら、ちゃんと向き合って、ちゃんと考えなきゃダメじゃんね。
本質をまず認識して下さいよ、皆さん・・・と。
投票に行こうとか権利行使がどうのじゃないんだよ、まずはその根っこだよ。
根っこの部分でおかしいと感じられないなら、その時点でもう語る権利すら無いも同然じゃないの?
肝心なのは投票率ですか?
それって、投票する側の国民が一番に気にすぺき事ですか?
違うんじゃないの? 国民がそれ一番に気にしてんのっておかしいと思わないの?
っていう。

はい、選挙権は確かに全国民に与えられた権利です。
かつては差別的に権利を与えられていない人々も大勢居たし、その事を踏まえれば現在の『全国民に与えられた権利』を行使するのは有意義とも言えるでしょう。
うん、そう言われたらそうだと思いがちですよね、確かに。
だけど、これは言葉のトリックです。
いいですか? そういった権利というのは、現代社会において『当然の権利』であって、決してレアな事でも一時的な優遇でもないんですよ。
つまり、我々は基本がそうなっている社会に生きているので、それをわざわざ特別視する必要も無ければ、特別視させる様な誘導こそがおかしな事なんです。
それに踊らされてちゃダメなんです、解りますか?

選挙というシステムは、投票率によって代表者の選別が行われるものです。
だから、この人を支持したいと思う人が居るのであれば、投票には行くべきです。
逆を言えば、支持したい人が居ないとか、誰でも良いとか、誰が良いのかも解らないという人達に関しては、無理に投票する必然性など無いという事でもあるんです。
『権利を行使しない』という事も、自由社会における『権利』ですからね。
この自由の権利をまず根本に置かない考え方は基本的にイカレてます。

「権利を行使しないならば、誰が代表者になっても文句を言う権利は無い!」
「投票も行かない奴らには政治家を叩く権利すら無いだろ!」

みたいな事を平然と言い出す頭の悪い輩が日本には五万と居ますが、そいつらこそが何も解ってないバカなので、いちいち気にしなくて大丈夫です。
民主主義というのは、選挙に行こうが行くまいが、全国民に民主的な権利を与えるという主旨の政治です。
つまり、『選挙に行かない奴はダメ』なんて価値観自体がナンセンスの極みなんですね。
だから、それを平然と無視する輩こそが真のバカなんです。
そんな奴らに権利を語る資格は無いし、そんなアホ共が投じた一票にも同じ価値がある事にこそ問題があると言えるはずです。

もっと平たく言いましょうね。
例えば、一億円の現ナマを持っているとして「それは使った方が良いよ」と他者から言われるのは、ある意味当然でしょう。
でも、その一億円を使わず、全て焼き棄ててしまう事が出来るのが『自由』というものなんです。
誰にとってどれだけの価値があるかは関係無く、自らの意思によって好きにする事が出来る、それこそが本質的な自由の概念です。

我々は基本ルールの存在する社会に身を置いている生き物ですが、大抵の人々が日常的に重きを置いているのは、『社会的ルール』ではなく『自分的ルール』のはずです。
目の前の憎たらしい人を傷つけたり殺したりしないのは、「社会的にダメだから」ではなく「自分がそうしたくないから」じゃないでしょうか。
それはつまり、社会云々以前に自分として自分の言動を抑制しているという事です。
「出来ない訳じゃないけど、あえてしない」というのは、自由の中に身を置く上で極めて重要な事なんです。

さて、選挙の話に戻りますが、選挙に行くのは正しい事でしょうか?
行く事が正義かの様に言う人達や、権利を行使しないのはバカだと言う人達も大勢居ます。
彼らの主張は正しいんでしょうか?

あくまで個人的な価値観ですが、俺は投票権に限らず、民主主義の世の中で与えられた権利というのは全て『必然的なもの』と捉えてます。
何故なら、それこそが民主主義というものだから。
「そうなるまでの経緯は大変だったんだ!」とか言われても、そんなの知ったこっちゃない。
我々は戦国の世に生まれた訳ではないし、そういう史実を無視してる訳でも無かった事にしてる訳でもなく、ただ現代社会に生まれたからには現代社会に軸を置いて考えますというだけ。
そこを割り切らずに混同する事の方がおかしいんです、そもそも。
なので、自由や民主主義を基準として捉えるのが当たり前です。

それを踏まえて言えば、選挙権が全国民に与えられているのも当然だし、それを行使するかどうか好きにして良いのも当然です。
選挙結果によって政治家が悪政で国家を悪くするのであれば、国民としてクソミソ言うし、辞めろだの死ねだのと毒も吐きますよ、自由の権利として。
そうした事は、別に選挙に行ったから許されるとか、選挙に行かなかったから許されないとかって他人にとやかく言われる筋合いのものではありません。
国民の権利が常に平等ならば、現状に口出しをする自由も平等であるはずです。

今回は選挙時期だからあえて投票権がどうのという話をいちいちしてますが、俺の言い分は日常においてあらゆる場面で言える事です。
例えば、最近ならコロナのワクチン接種に関する事だって同じですよね。
打ちたくても打てない人も居れば、打ちたくないから行かない人も居る。
どちらが正しいとか、誰が善人だの悪人だのって話じゃないんですよ。
権利権利といちいち言う輩が五万と居るわりに、勝手に他者を悪人に仕立てようとする様な流れに明確なNOを示す連中は少ないのが現実です。
全く以ってファックユーですね、ええ。
まぁとにかく、世の中の大半の人達は本質など全く見えちゃいないって事なんでしょう。

さて、例によってあんまり纏まりが無い文章になりましたがw、もうぼちぼち眠いんで勘弁して下さい。
寝込んでた流れでまだ毎日アホほど眠ってたりするもんで、脳の活性化もまだ短時間なんです。
だったらこんな面倒なテーマ取り上げるなよ的なアレがね・・・うん。

とりあえず、この手のテーマになると、まともに話が通じる相手が欲しい今日この頃。
俺、昔っから友達とかと話す時も相手に合わせるのが基本で悶々としちゃってたタイプなので。
まぁ、俺が面倒臭い奴だからなんだけど。
という訳で、またいずれ。