お話:仁平透さん(pejiteオーナー)
聞き手:城田竜一(ZOLBONNE / Famtasista)
ただ懐かしくていいでしょという風にはせず
新しいものとして後世に残していきたいという感覚
城田: ここには様々な形の家具があるのですが、色味といいますか、雰囲気がどれも同じトーンになっているというのが不思議に思いました。
どうしたらこのようになるのですか?
仁平さん: 古いものなので、年代も出どころも違っていろんなところから集まってくるので、色を剥がすっていう作業をしているんですよ。
日本の古い家具はとても濃い塗料が塗ってあるので、薬品を使って色を剥がしたあとに、水洗いや、やすり掛けをして白木の雰囲気にしています。
ただ、新品の白木とは違ってなんとなく古さは残って、何とも言えない雰囲気になります。
今はナチュラル志向で、住宅でもお店でも白木を使うことが多いので、古いものなのに現代の住宅にも馴染むんですよね。
こういった家具は、無垢材を使って職人が一個一個丁寧につくっていて、今これを作ろうとするととんでもない値段になるような家具ばっかりなんですよ。
本当にいいものなので、ただ懐かしくていいでしょという風にはせず、新しいものとして後世に残していきたいという感覚でやっています。
蔵を使うっていうのもそうなんですけど、リノベーションしてあげないと蔵は蔵で終わっちゃいますからね。ここも、中も全く見えないような昔の米蔵だったんですよ。
東京では中々こんな物件みつからないじゃないですか。
あったとしても借りたらとんでもない金額になっちゃいますよね。
それがこの辺りでは結構安く借りれて、そういったところも田舎の面白みだと思っています。
レコードが好きで何千枚も持っていた
城田: 元々東京のレコードショップで働かれていたとお聞きしたのですが、そこからどのような経緯で今のお仕事をされるようになったのでしょうか?
仁平さん: 古いものは元から好きだったんですよね。
僕が子供の頃はすでに CD 世代だったので、高校生くらいの頃レコードが新鮮という感覚でした。
自分の部屋でアナログ盤が回っていて、それに針を落として音が出るっていうノスタルジック感にやられてしまったんですよ、かっこいいなって。
そういった好きが高じて、上京して渋谷のレコード屋で働いていたのですが、昔から古いバイクや車も好きだし、家に持ち込む家具も全部古いものだし、今この仕事をしているのは自然な流れですかね。
城田: なぜ東京から地元に戻ってこようと思われたんですか?
仁平さん: 実家の都合で東京から田舎に帰ってきたんですが、20年くらい前の渋谷界隈ってすごく楽しかったので、戻ってきたばかりのころは田舎がつまらないと思っていました。
もちろんこっちでレコード屋に勤めようと思っても、お店も無いですし。
帰ってきてからいくつか仕事をして、苦しくてもいいから好きな事がやりたいと思って、最終的に今の仕事にたどり着きました。
20年前は古家具を商売にしようなんて考えていなかった
城田: ものを修理されることがお好きだと聞きました。僕も好きで、よくやっているので興味深いです。
仁平さん: そうですね、もっと古い古美術のようなものになると骨董っていうジャンルがあったんですが、昭和の家具に価値を見出して販売するようになったのって、ここ20年経つか経たないくらいなんですよね。
東京から帰ってきたばかりの頃は、ショップにいって何十万も出して買ってくるというよりは、古い潰れた商店に行ってもらってきて、自分で直して楽しんでいました。
落ちているものを拾ってきて楽しんでいたというような感じですね。
城田: その頃って、よく落ちてたましたよね。僕もいくつか拾って修理していました。
仁平さん: そうですよね、ただでもらえるものだったので、20年前は古家具を商売にしようなんて考えていなかったです。
古家具を扱うお店なんて、東京で目黒通りあたりに1、2軒できてきたかなというくらいの時代だったんですよ。
東京あたりでなら売れるかもしれないけど、田舎じゃそんなことやっても売れないよなというようなというくらいの気持ちでした。
でも、時代も少しずつ流れて、インターネットも世の中に浸透してきた頃、ヤフオクが広まってきて、確か古家具とか古道具とかで検索したんだと思うんですよね。
そしたら僕が好きでもらってきて、自分の店で並べて楽しんでいるようなものが、ヤフオクですごい高額で取引されてるんですよ。
これを見た時に、これはどこにいても全国に物が売れる時代になったと思い28歳の時に古物商の免許を取得してこの業界に飛び込みました。
つづく
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