福岡県西方沖地震から今日で一年になる。

地元のマスコミ各社は特番を組み、あの時の事を忘れないように
防災を呼び掛けていた。

オレはあの時の事はよく覚えている。
前日に義父が亡くなった事もあり、慌ただしく過ごしていた。
地震発生時の午前11時前は車の中で、信号停車中だった。
急にガタガタと車が揺れだし、最初はエンジントラブルと思ったが
次の瞬間、信号機や街灯がありえない方向に揺れていた…

実際は数秒、長くても数十秒の揺れだったのだろうが、何分にも
何十分にも感じたのを今でも覚えている。
震度6弱の地震なんて初めて体験した。あの揺れは言葉で言い
表せるものではない。あれは体験した人しか解らないだろう…

オレを含む九州・福岡の人間は、九州は地震が来ない!と勝手に
決め込み、誰もが過信していた。それが大きな間違いだった事を
思い知らされた地震だった。ほとんどの人(家庭)は地震に対する
備えなどしていなかっただろう。それくらい関心が無かった。

地震は日曜日の午前中(11時前)に起きた。
それが幸いしたのか、同規模の地震に比べて死者1名(負傷者は
千数百名)と人的被害が少なかった。しかし、家屋の倒壊や道路の
陥没など、それ以外は他の災害と被害の大きさは変わらない。


つい先日、一番被害が大きかった玄界島が復興に向け動き出した。
が、志賀島の周回道路など、未だ手を付けられていない所もある。

あの時は何が起こったのか訳が分からず、パニック状態だった。
しかし、時間が経つにつれ遠くテレビの中の出来事だと思っていた
地震が、目の前で起きているのを実感した。
更に月日が経つと、あの時の恐怖を忘れかけているオレ達が居る。
一年後の今日、改めて考え直す良い機会になった。

福岡市は今、オリンピックを誘致しようとしている。
が、その前にやらなくてはならない事があるのではないだろうか…

奇しくも今日3月20日はイラク開戦から3年目になるという。
また、地下鉄サリン事件が起きてから11年になる。
地震と戦争・テロは、少々色合いが違う。
が、恐ろしいものには変わり無い。

戦争・テロは人間の努力で無くす事が出来る。
が、地震は努力すれば無くなると言うものではない。

世界中で地震や災害が起こった時、助け合えるの人間達が居る。
一方で、努力すれば無くせる戦争・テロを、勝手な都合で無くそうと
しない人間達が居る。

どちらもこの世から無くなる事を願う。