前回…紹介した《トウメイ》と同じで父母共に良血には程遠く、生産牧場も小さな個人牧場…だから売れるわけがなく、競馬専門誌の社長が義理で所有したくらいだった

その馬の名は……
《タケシバオー》
父・チャイナロック
母・タカツナミ
これまた
トウメイ同様、馬主・厩舎の期待も少なく、夏の新潟デビューも流れで決まった程度


新潟の2戦では勝てず、函館で初勝利
札幌で一度使い、勝てそうなレースを選び福島へ移ってから連勝をし、師走の【朝日杯3歳S】を含め、6連勝を飾った


その中でもダートを使った時、2着馬に8馬身差で快勝した

春になり、クラシックでも人気になったが【皐月賞】【ダービー】ともに2着と優勝には手が届かなかった

秋は【菊花賞】に向かわず、オーナーの意向によりアメリカへ遠征【ワシントンDCインターナショナルレース】に出走。しかし…レース中に怪我をしてしまい完敗に終わった

若駒の時に強かった馬は『早熟馬』と思われがちだが、この《タケシバオー》は5歳(現4歳)が最強だったと言われている

年始めの特別レースは2着だったが、次走の【東京新聞杯】を快勝してから再び連勝街道に入った

目指すは【天皇賞・春】である

天皇賞前に選らんだレースは、今では考えられない…1600mのオープン

そのうえ、60kgを背負っての出走

ここでもタケシバオーは、そんなハンデを嘲笑うかのように2着馬を9馬身差で圧勝

2週後本番【天皇賞・春】では当然の1番人気

前年、三強と呼ばれていた《アサカオー》《マーチス》も参戦していたが、『今や敵ではない
』と言わんばかりの勝ち方だった。

天皇賞の快勝後…3戦を戦い勝利を手にして、再びアメリカへ…

だが…到着後、体調を崩した事もあり、前年同様…最下位で終わった

タケシバオーのGⅠ勝ちは朝日杯3歳S(当時、GⅠではない)と天皇賞のみだが、日本初の1億円馬となる。
それよりも、この馬の能力…距離・馬場関係無く、オールマイティーなパフォーマンスを繰り広げてくれた

アメリカへ行かず、菊花賞と有馬記念へ出走していたならば
…と思うのは自分だけではないと思います。
