久し振りに【記憶に残る馬】をやらせて頂きます。
 
去年の10月くらいから書かなくなっちゃいましたdeep-gizumoさんのブログ-o0020002011380613825.gif
 
改めて、馬達の当時を書いた本や記事を読み返す事で、ちょっとでも馬や関係者達の気持ちが判るような気がしてきます。
 
興味のある方は、さかのぼって読んでみてくださいdeep-gizumoさんのブログ-o0020002011802447638.gif
 
それでは…はじめますdeep-gizumoさんのブログ-o0020002011320682969.gif
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
正直に言いますと、自分が競馬の予想をやり始めたのは…中学生でしたdeep-gizumoさんのブログ-o0020001811794305574.gif
その年の有馬記念で『アンバーシャダイ』が勝つと豪語していたら親父がまんまと信じ、単勝を買ったらしくdeep-gizumoさんのブログ-o0020002011467711842.gif皆さんもご存知の通り的中でした(配当金は知りません)親父にスッゴク誉められ、サッカーシューズを買ってもらったのがきっかけかなdeep-gizumoさんのブログ-o0020002011289855888.gif
それからクセになり(親父の丸め込みに成功deep-gizumoさんのブログ-o0020002011240589006.gif)スポーツ新聞を見ながらの予想人生が始まりましたdeep-gizumoさんのブログ-o0020002011303599796.gif
自分のちっちゃな名誉の為に言っておきますが、未成年の頃は決して自分が買いにいったりはしていません。バイトの給料で、ついでに頼んだ事は度々ありましたが(笑)…自分のお金を出して、馬券を買うようになってから約28年…予想歴だけを言えば30年以上ですねdeep-gizumoさんのブログ-o0020002011515155541.gif
 
 
…そんな自分が競馬予想を始めて3・4年の頃だった。
 
その馬は6番人気で皐月賞トライアル【弥生賞】を勝った。特別…強い馬ではなかったが、その時は後方強襲でクビ差勝ちをした。
 
イメージが強かったのは覚えていたが、この年は《マテイリアル》や《ゴールドシチー》朝日杯を制し、のちに映画【優駿】に出演したオラシオンこと《メリーナイス》がいた。
 
同じ『サクラ』の冠名が付く《サクラロータリー》の方が期待されていたが故障により出走断念…。この年のクラシックは混沌としていた。
 
 
そんな年のクラシック一発目を素晴らしい瞬発力で勝った馬…それがdeep-gizumoさんのブログ-o0020002011535447573.gif
《サクラスターオー》である。
 
 
父・サクラショウリ
 
母・サクラスマイル
 
母父(インターメゾ)
 
 
血統から言ってダービー馬の父に母の身体にはステイヤーの血が流れていて【エリザベス女王杯】3着馬…。皐月賞を勝った時点でダービーの最有力候補に浮上したdeep-gizumoさんのブログ-o0020002011772070480.gif
 
しかし…ダービーを2週間後に控えたある朝…全治4ヶ月の重症を負いダービーどころか菊花賞すら危ぶまれたdeep-gizumoさんのブログ-o0020002011313562848.gif
 
 
関係者は諦めず温泉の源泉を厩舎に運んだり、リハビリ施設に行ったりしていた。
 
苦労の甲斐があり、9月には美浦に戻れたのである。
 
脚の状態は一進一退だったが、菊花賞の2日前…獣医師から出走許可が出たのだったdeep-gizumoさんのブログ-o0020002011303599796.gif
 
 
 
トライアルも前哨戦も出来ない、ぶっつけ本番…単勝オッズは9番人気…やはり故障明けで人気は落ちていた。
 
 
 
だが…それを嘲笑うかのように、サクラスターオーはゴール板を1着で駆け抜けたdeep-gizumoさんのブログ-o0020002011240589006.gif
 
2着のゴールドシチーから1/2馬身差でした。
 
 
誰もが『奇跡』を観ていた中、調教師はスターオーの脚の事だけを心配していたそうです。
 
菊花賞が終わったら、ゆっくりと休ませたいと思っていた。
 
 
しかし…その予定も変更deep-gizumoさんのブログ-o0020002011280195208.gifファン投票で1位になり、有馬記念の出走を決めた。
 
………サクラスターオーが再びゴール板を駆け抜ける事はなかった…deep-gizumoさんのブログ-o0020002011527078430.gif
 
 
 
有馬記念出走を決め、仕上げた調教師も…騎乗したジョッキーも同じ事を後に言っていたそうです。
 
 
それは……
 
 
 
 
 
 
 
 
 
『あの日のスターオーは…生涯最高の状態だった』、と…。