馬券は全滅…擦りもせずにごめんなさい

ちょっと下降気味であります

改めて、気持ちを切り替えて頑張ります

…長くなりそうなので、2回に分けます。
2時46分…屋上に上がり皆で黙祷をしました。
雲の切れ間から太陽が陽を差して、何だか気持ちが複雑でした。
あの時…自分は遅い昼御飯をトラックの中で済ませ、一休みしている所でした。
場所は大黒埠頭…。
地震が起きた時は何がおこったのか分からない状態でした。
左右に物凄い揺れ…未だ経験の無い事にあたふたするだけでした。
直ぐに思ったのは…『これは地震だ
やばい
ここは埠頭だ…この場所から離れなければ
』




エンジンをかけてトラックを走らせながら、無線で会社に連絡…。大黒・本牧埠頭にいる全社員・協力会社には直ぐに離れるように無線を流せと指示…自分は大黒埠頭の倉庫にいる社員をトラックに乗せて会社に戻りました。
埠頭を出た後も何度となく、大きな余震…走りながらでも揺れ、その度にハザードを出し左に寄せた。
感心をしたのは、回りのドライバーのほとんどが躊躇なく揺れるごとにハザードを出して左に寄せていた事である。
まっ
大黒埠頭に出入りしている車なんて、ほとんどがトラックかトレーラーなど大型車ですからプロ中のプロですが…。

自分達が戻った時は所長の早い判断により、直ぐに社員や協力会社の方々は自宅に帰らされていた。
自分は一応、主任という立場なのでドライバーや倉庫関係者が戻って来るまで待機する事になった。
電話も携帯も通じず、トラックの無線だけが頼りだった。
家族には
のやり取りが、出来たり出来なかったりではあったが、無事の確認は取れていた。

テレビをつけると東北各地の太平洋沿岸に大津波が襲ったとの一報。
所長や部長は各営業所に連絡するも、やはり通じず地団駄を踏む状態が続いた。
我が営業所社員・各関係者は夜の8時過ぎには全員戻り、胸を撫で下ろしていたのを覚えています。
翌日は土曜日でしたが、自分は会社に行きました。
前日の道路状況を考慮して自転車で行きました。
所長や部長は既に来ていて…『仙台の倉庫が大変な事になったと…。』
そこで所長は言葉をなくしました。
続く…。