熊野古道小辺路の旅

 

2月4日

道の駅 瀞峡街道熊野川⇒熊野本宮前  奈良交通バス:熊野本宮前⇒蕨尾バス停 

 

熊野古道小辺路:蕨尾(十津川)8:00→11:50果無峠→14:30八木尾→16:00熊野本宮

 

自家用車:熊野本宮大社⇒上富田⇒御坊⇒和歌山⇒自宅

 

まだ明けやらぬ、熊野本宮前駐車場に到着

2時間足らず待ったバスに、40分程揺られて蕨尾バス停(十津川温泉)へ

 

「熊野参詣道小辺路(果無峠)登山口」と大書された立派な期の標識からいきなり斜面を南へ向かって這い上がる細い急な登山道が始まる

 

急な石畳交じりの登山道を登ると僅かに開けたところに民家が、初めて訪れたところにも拘らず懐かしさを感ずる

井戸と縁側に座るおばあちゃんの姿が映っていた雑誌の1ページ、果無村の民家がそこにあった

  

 

集落の外れには、第三十番と記された小振りな石造りの観音様が祭られていた、天水田

、茶屋跡、観音堂、さらに登ると、釈迦ヶ岳、その彼方に雪を纏った弥山・八経

 

 

そしていよいよ果無峠へ

どなたかの紀行文に『熊野本宮大社に詣でるを目的として熊野古道を訪ねたのはその通りなのだが、今一つは地名に惹かれるものがあった、「果無峠」は・て・な・し・・なんという響きだろう、機動力を持たないそのむかし、熊野詣が盛んになり始めたころ、熊野神社を詣でる敬虔な信者たちにとって、高さこそそう高くはないがなんと山深いところであったことだろう、この峠が果てをも知れず遠かったのであろうことは想像に難くない、彼らの歩いた道のりに比べると、私の行程はその万分の一にも満たないのであろうが、そんな思いを馳せながら果無峠を歩いてみた』、というような一文があったように思う。

 

ここにきて、あーなるほど、なにか思いがわかるような気がする。

峠を越えると、二十丁石、本宮が望める展望所、

三十丁石、そして八木尾の集落からバス停、道の駅本宮から山間を抜けて熊野本宮大社へ

 

明治の大水害迄本宮がお祭りされていた大斎原へ