1、

読んだのはいつだったか?

20年は経ったように思っていたが、出版日からすると、凡そ10年程前のよう

 

2、

「私は厭世主義者でも虚無主義者でもない」

という出だしが印象的だった

掴みは OKって感じ

西部先生もその辺は似ていらっしゃる

彼は、確か「能動的ニヒリズム」という言い方をされていた

 

3、

三島由紀夫、伊丹十三、ソクラテス

彼等の生き方にはある共通点がある、としている

一言でいうと「極み」の理論

自身の人生において、ある一定の極みを味わってしまった者は、そこからは(老いを原因の一つとして)、自分のイメージする極みが、もう得られなくなる

いや、それもあるのだろうが、もうすっかり満足してしまった、といことであろうか…

であるならば「自死」という選択もあるべきかたちの一つでは、という問いかけ

 

4、

キーワード

「自然死」は悲惨

「死にたがり」というものへの強い共感を著者は持っている

 

5、

結論

6〜7割方同意

極めて現代的な問題提起

この超高齢化社会、ほぼ皆が直面し、真剣に取り組まざるを得ない

現時点では、自分の場合、77歳とう年齢で、と考えている

それくらいの時間をかけて思考実験をする必要がある、と思っているから

西部先生は、心身の衰え、苦痛、あとは他人(ひと)の為に生きることが出来ず、周りに迷惑をかけるばかりの人生を拒否

著者は、極みの理論

僕は、先生に近いかな

一番は、昔観た映画「楢山節考」の影響が大きい

そして、決断するために、年齢を定め、訓練しておく必要がある、と考えた

 

6、

題名について

本来は「新葉隠」素晴らしい!

気になる本では?

以上

 

 

#須原一秀 

#自死という生き方 

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#山本常朝

 

 

〈一言コメント〉

「死にただり」

かつての武士の生き方を指しているようだ

僕は、死にたがりともでは行かないが、死に際については考えておきたい

(令和2年5月6日)