自分の専門分野であろうと、下手は下手。プロフェッショナルの文筆家でも、どうしようもないない文章を書く者もいる。個人的には、ここ20〜30年の間で、下らないものを書くモノ書きが、残念ながら結構増えてしまったように感じる。
自分の専門分野であれば、なかなか良い文章を書く者がいる。一般的には、プロフェッショナルには、これを期待する。そういう作家は、ある一定数はいるものだ。
自分の専門分野でもないのに、素晴らしい文章を認める者もいる。こちらは、非常に数少ない。かなりの芸、才が必要だからであろう。たいした読書家ではない僕は、西部邁、(一時期の)栗本慎一郎くらいしか思い浮かばない。
自分の専門分野であれば、せっかくまぁまぁ、立派な文章を認められるにも拘らず、余計にも、専門外に口を挟み、大失敗する者もいる。タチの悪いことに、当の本人は、その失敗に気が付いていないように見えることが多い。僕は西部邁が大好きなので、ちょっといいにくいのだが、先生のお弟子さんにも少なからず見受けられる。
参考までに、実例を挙げておくと、評論家の小浜逸郎さん(西部先生の弟子ではない、念のため)。
記憶違いでなければ、たしか、小浜さんは所謂「教育評論家」であったと思うが、僕は、彼の得意とする分野の著書を読んだことがない。
昔読んだもので『13人の誤解された思想家』という本がある。
彼は、思想・哲学方面の専門家ではない。もちろんそのことで、良し悪しをいわれる筋合いはなかろう。
しかしながら、わかる人にはわかるのだ。一言いわせていただくと、「小浜さん、やめておきなさい」(失礼)
僕にいわせれば、例えば、プラトン、ハイデガーについて、そんなこと言ったって無駄でしょう、でお仕舞い。
何か、勝手に一人で盛り上がって、せっかくのオリジナルの論点を逸らしていませんか、と突っ込みたくなる箇所が盛りだくさん。
専門外に、口を出すと、こうなってしまうことのよいお手本だ。
話が逸れるのを承知で言うと、彼は、さすがに、一応文章で金を稼いでいるだけあって、素人向けに分かり易く文章を仕上げるのが上手だったように思う。
過去形なのは、最近になって、彼の名前をインターネットで検索し、ウェブサイトを探してみたのがキッカケで、改めて彼が書いたものを目にしたからだ。
ブログなるもので、文章を今も発表している。
悪口ばかりになりそうなので、いいたいことを端的に述べる。
悪文の見本だ。
「達意眼目」という言葉を知らないのだろう。
他所でも、書いたことだが、僕の持論は、こうだ。
政治、医療、教育の3つの分野に携わる者は、最低でも3〜5年は、それ以外の分野の民間企業に勤務することを義務化すべき。
そうすれば、例えば、小浜さんだって、文章を書くにあたって、もう少し創意工夫するはずだ。
あのブログの文章では、何をいいたいのか、サッパリ。(中には、わかりやすい文章もある)
素人には、わからない?
それを〜、いっちゃぁ〜お仕舞いだ〜。
試しに、彼がそのブログで発表した、倫理について書かれたものを読んでもらいたい。
おそらく、ここで僕がいっていることの意味が、多くの人には通じるはずだ。
誤解はないと思うが、僕は、専門外のことを書くな、とはいうつもりはない。
ある意味、逆のことをいいたいという思いも抱いているのである。
よくいわれるとおり、世に専門馬鹿も多いからだ。
良き常識を備えた上であれば、本当は、専門外の事柄にも大いに発言してもらいたい、と僕は考えている。
最後に、述べておきたいことがある。
いやしくも、文章を生業とするのであれば、実は自分が何をいいたいのか、十分にしっかりと考えてからにして欲しい。
当たり前?
だとしたら、世の文筆家よ、あまりに能力が低すぎるので、人様に向かって文章を書くことを商売にするのをやめていただきたい。
以上。
#西部邁
#栗本慎一郎
#小浜逸雄
#プラトン
#ハイデガー
〈一言コメント〉
おそらく興味を惹きにくく、面白いと思っていただきにくいであろう、と想像される
こういうときこそ腕の見せ所なのに…
課題が残った。
動機が、小浜逸雄をやっつけよう、という邪なところがダメなんだろう