私の父は大人数兄弟の中で

次男として生まれました。

父が言うには

父だけが親から愛されて

いなかったということです。

それが本当かどうかわかりませんが

父は橋の下で拾ってきたと言われ

差別的な扱いを受けてきたということです。

 

なので、私の父は法事などで

実家に行くたびに大荒れで

私の祖父といつも

喧嘩をしていたように思います。

 

さて、そんな父ですが

アルコールの海に溺れ

比較的若いうちに亡き人になりました。

 

毎日酩酊するまでビールの中瓶を空にし

最後は誰もいない空間に向かって

大声をあげていました。

 

「俺だけが悪いんか!!!!!」

「もう、ほんまにゆるしてくれや!!!」

 

私はそういう時

両手を押しつけて耳をふさぎ

そして心を殺し

布団をかぶってじっとしているしか

ありませんでした。

 

 

 

 

今思うと、父は長期間にわたる

マイルドな自殺を試みていたのだと思います。

そして最後は病院のベッドの上で

亡くなってしまいました。

最後の大きな喀血をしたときに

驚きおびえたような表情をしていたことを

今でもはっきりと覚えています。

「本当に俺はしんでしまうのか?」と。

 

なぜ急にこんな父の話をしたかというと

私には明らかに兄弟差別をしているようにしか

思えないブログがあるからです。

 

そのブロガーさんは真ん中の

お子さんさんと気が合わないらしく

そのことをブログ記事に書いてらっしゃいました。

なぜか私は真ん中の子供にだけに

冷たくしてしまうと。

それを全世界に公表していました。

 

正気ですか???

 

身バレしていないならいいですよ。

お子さんが絶対に目にしないならいいですよ。

でも、そのブロガーさん、お子様も

ブログ記事を読むとのことでした。

なので次男さんも

その記事を読む可能性があるわけです。

その記事を目にした時、次男さんが

どれだけ傷つくのか想像もできませんか?

(身バレしていないのなら、懺悔として書くのは問題ないと思います)

 

私自身も3人の子供を育てているのですが

夫婦で絶対にしないと決めていることが

 

「兄弟差別をしない」

ということです。

 

兄弟を育てていて、彼ら、彼女たちが

一番怒るときって

親から平等に扱われていないと

思ったときじゃないでしょうか?

少なくともうちはそうです。

それだけ平等ということは

人間にとって普遍なものなのでしょうね。

 

もちろん人間なので親子であっても

合う合わないはあります。

それは否定しません。もちろん私にもあります。

だからこそ、そこはあえて意識をして

平等に接するのです。

人間だからこそできることのはずです。

 

結果それでもうまくいかないときはありますが

すくなくとも努力はします。

合わないから仕方がないとはあきらめませんし

子どもに「合わない」ということは絶対に言いません。

 

私は親からの愛情を疑い続けた

父の姿をずっと見てきたからです。

 

毎日休みなく365日

自らアルコールで脳を満たし

絶望にあえぐ

私の父のような人間を

また生み出したいですか?

 

そのくらい兄弟差別は

あってはならないと思います。

 

比喩とかではなく

命にかかわる問題なのです。