第一章:音の異変
ユウが町に開いた小さなピアノ教室には、ある日を境に奇妙な現象が現れ始めた。
1人の生徒が、「変な音が聞こえる」と言い出したのだ。
「ユウ先生、ピアノの中に、誰かがいる気がする。しかも、弾いてないのに……音が鳴ったよ」
最初は気のせいだと思った。だが、同じことを言う生徒が3人、4人と増えていく。
ユウは不安を感じ、自ら深夜の教室でピアノを調律し直す。だが問題はなかった。
その夜、誰もいないはずのピアノが——突然、鳴った。
──ポロロン…
それは、ナギサの旋律ではなかった。
もっと低く、深く、まるで地の底から絞り出されるような音だった。
ユウは思わず椅子から立ち上がる。
その瞬間、ピアノの蓋がゆっくりと“勝手に”開いた。
中には、小さな折り紙のような紙片が一枚。
そこにはこう書かれていた。
「封じられたのは、ナギサだけではない。
音には、“逆流する影”がある。」
第二章:もう一人の演奏者
ユウは神社の老人を再訪するが、神社は荒れ果て、老人の姿はなかった。
代わりに、神社の裏に建てられていた小屋から、一冊の記録簿が見つかる。
その最終ページにだけ、こう記されていた。
「ナギサが封じたのは、自分の旋律ではない。
本当は、“誰かが作った災いの音”を抑えるために、自らを犠牲にした。
その音の主は、ナギサの双子の姉、サラだった。」
――サラ?
記憶の中に、そんな名前はなかった。
ナギサは独りだったはず。
けれど、確かに記録には“サラ”の名が記されていた。
しかも、次のページにはこう続いていた。
「サラの旋律は、“逆音(ぎゃくおん)”と呼ばれる。
聴く者の心を乱し、過去を引きずり出し、世界を“調律前の混沌”へ戻そうとする」
ユウはそのとき思い出した。
あの夜、ピアノの中から聴こえた音。
あれは、ナギサではない。**もう一人の“音の亡霊”**だったのだ。
第三章:逆音(ぎゃくおん)の目覚め
数日後、町に再び激しい雨が降り出した。
けれど、以前と違い、雨には“痛み”があった。
耳を塞ぎたくなるような風の音、遠くで叫ぶような雷、空が割れるような鼓動。
ユウは確信した。
——逆音が目覚めたのだ。
しかも、それはかつてナギサが“自らの命を捧げて”封じた音。
ユウの旋律が封印を解いたとき、ナギサは解放された。
だが同時に、封じられていたサラの音もまた、解き放たれてしまったのだ。
「僕は……まだ、何も終わらせてなかったんだ」
第四章:沈黙の旋律(カデンツァ)
ある晩、ユウは夢の中で、暗い音楽室にいた。
その奥に座っていたのは、ナギサにそっくりな少女だった。
だが、その目は冷たく、声には何の感情もなかった。
「わたしがサラ。あなたは私を忘れていた。でも音は、忘れない。
さあ、“調律”を終わらせましょう」
サラが手をかざすと、ユウの周囲に黒い鍵盤が浮かび上がった。
それはすべて“音階の逆回し”。調和のない旋律。破壊の音。
ユウは必死にナギサの旋律を思い出し、対抗しようとする。
だが、ナギサの旋律は“解放”の音。
サラの“逆音”には対抗できない。
そのとき、ふと記憶が閃く。
——音とは、誰かに“聴いてもらって”はじめて力を持つ。
ナギサが幼いユウに旋律を託したように。
自分は「演奏者」ではない。
“記憶の継承者”だったのだ。
「なら、今度は僕が“新しい旋律”を作る」
最終章:音が世界を創る
ユウは、ナギサの旋律、サラの旋律、自分が歩んだ時間をすべて融合させ、新しい音を紡いだ。
それは“沈黙の旋律”。
言葉にならない祈り。
破壊も癒やしも含んだ、未完の和音。
鍵盤が震えた瞬間、世界がゆっくりと“再調律”された。
サラの姿が霞み、笑った。
泣いていたのかもしれない。
そのまま、旋律の中に溶けて消えていった。
雨が止み、風が柔らかく吹いた。
音は、もう恐れるべきものではなかった。
エピローグ:未来への和音
数年後、ユウの作ったピアノは“記憶を記録できる楽器”として特許を取得した。
鍵盤を弾くと、その人の想いが“音の葉”として保存される。
ある日、一人の少女がそのピアノを弾きながら、こう言った。
「この音、懐かしい。
でも、私、知らないはずなのに……泣きそうになる」
ユウは微笑んで答えた。
「それはきっと、君の“まだ知らない記憶”なんだよ。
音はいつも、先に心を知ってるから」
空には虹がかかっていた。
そして遠く、あの町の雨が、静かに降り始めていた。
——でも、もう誰も、それを恐れなかった。