羽生結弦さん3・11宮城で舞う『大切な日に演技、やっとできる』寄り添い続けた12年
フィギュアスケート男子の五輪金メダリストで昨年プロに転向した羽生結弦さん(28)が、東日本大震災から12年となる3月11日に出身地、宮城県のセキスイハイムスーパーアリーナ(利府町)でアイスショーを開催することが決まった。主催者の日本テレビが9日に発表した。3月10~12日の3公演でタイトルは『notte stellata』。練習中に被災して避難所生活を経験した羽生さんは、報道各社に公開された動画で開催への思いを寄せた
大切な日に大切な場所で、羽生結弦が思いを込めて舞う。東日本大震災の発生から12年を迎える今年、故郷の氷上から希望を発信する
『プロになったからこそ、大切な日に演技できるっていうことが、やっとできるなっていうような気持ち』
競技者時代は、シーズン中の3月に機会を設けることは難しかった。『3月11日じゃないと届けられない気持ち』がある。スケートで伝えることが、かなう。『すごく大切に大切に、演技していきたい』と決意を口にした
2011年3月11日。アイスリンク仙台で東日本大震災に遭遇し、家族と共に避難所生活を経験した。『スケートをしていいのか』と悩みもした。たくさんの『頑張れ』に触れながら、『僕にできることはスケート』という思いに至った
被災地への寄り添う思いは、昔も今も変わらない。五輪のエキシビションの選曲もそうだった。14年ソチ大会の『ホワイト・レジェンド』は、震災での自身の経験を重ねたものだった。18年平昌大会は、今回のアイスショーのタイトルと同じ『ノッテ・ステラータ』を演じた。世界に届けた滑りには、強くて、しなやかな美しさがあった
長年にわたり、復興支援を続けている。ソチ、平昌五輪の金メダル報奨金はともに全額、宮城県と仙台市に寄付した。自叙伝の印税はアイスリンク仙台に。19年にはLINEのスタンプを期間限定で販売した。『忘れない3・11』『共に、前へ』。被災地への思いが込められた。売り上げは全額、災害復興支援特別基金に届けられた。自ら公にすることはないが、他にも多額の寄付を継続している
ショーのタイトル『notte stellata』は、イタリア語で『満天の星』を意味する。12年前の3月11日。避難所で、停電の暗闇に広がっていた美しい星空に希望を見た。昨年7月のプロ転向後、地元・宮城でアイスショーを滑るのは初。震災の日の満天の星のように、羽生結弦のスケートが光となる
『今まで3月11日って、コメントを出すことくらいしかできなくて。自分の演技を届けたいなって思っていても、なかなか演技する機会だったりとか、みなさんの前で何かを届けられる機会って、やっぱり作るのが難しかったです。だた、こうやってプロになって、こうやってプロになったからこそ、大切な日に演技ができるっていうことが、やっとできるなっていうような気持ちもありますし。3月11日じゃないと届けられない気持ちだったりとか、3月11日だからこそ、思っていただける気持ちとか、受け取り方だったりとか、いろんな事があると思うので。そういう意味ですごく大切に大切に、演技していきたいなって思います』
『僕はそれこそ“媒体”なので。自分の気持ちの中で、もちろん自分としては、こういう気持ちを(感じ)取ってもらいたいかなとか、こういうストーリーがあるんだよっていうのは、もちろんあるんですけど。どちらかというと、皆さんにとっての、皆さんの中の、それぞれの3・11を思い出したり、そのときの夜空をちょっと思い出してみたり、人と人とのつながりを感じられたり、そういう機会になったらいいなって思っています』
『(2011年3月11日の夜に満天の星を見たときの思いについて)仙台で生きている人間としては、そこまで星が輝いている夜空を見たことがなくって。一気に真っ暗になって、本当に電気が何もつかなくなって、本当に暗い街の中に光る、その星たちの光がこんなにも明るいんだっていうことを、すごく思いました』(報道各社に公開された動画より)
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