羽生結弦選手

 

 

羽生結弦が見せた『プロローグ』夢の終わりは、新たなる夢の始まり

唯一の新作プログラム『いつか終わる夢』

 羽生結弦のプロとして初めてのアイスショーであり、一人で全演目を滑り切るという前代未聞の挑戦でもある『プロローグ』は、大きな期待を上回る極めて質の高いものだった

 

 唯一の出演者であり、総合演出も手がけた羽生は、公演後の囲み取材で構成の意図を次のように話している

 

『(プロ転向を表明する)記者会見があって、ちょっと過去に戻って、平昌オリンピックがあって、それからまた改めて全部を、今までの自分の人生を振り返って、最終的に北京のエキシビになり、今現在に至っています』

 

 プロ転向を表明する記者会見、そして試合前の姿をとらえた映像が映し出された後に登場した羽生のスケートは、アイスショーとしては異例の明るい照明の中で6分間練習から始まる。そして最初の演目が、連覇を果たした2018年平昌五輪で滑ったフリー『SEIMEI』だったことからも分かるように、『プロローグ』はアマチュアスケーター・羽生の華麗なキャリアを振り返る意味合いを持つ。予定にあった6つのプログラムのうち5つはアマチュア時代の競技用プログラム、あるいはエキシビションナンバーだ

 

 しかし唯一の新作であり、羽生が自ら振り付けたという『いつか終わる夢』は、これから羽生が歩んでいくプロとしての道を示すプログラムだと感じられた。囲み取材で『いつか終わる夢』について問われた羽生は、『一言で話すのはちょっと難しくて』と言いながら、説明を始めた

 

『最初にこれを振り付けたいなと思ったのが、なんとなく自分が滑りながらこの曲を流していた時に、皆さんに好かれていたクールダウンの動きをやったら、ピタッとはまったんですね。その時に、皆さんそういえば「クールダウンを観たい」と言ってくださっていたなって。「あれだけで充分満たされる」という声をいただいていたな、と。「じゃあ、プログラムにしよう」ということをまず思いつきました』

 

『いつか終わる夢』は、羽生が『めちゃくちゃ好き』だという『ファイナルファンタジー10』で使われている楽曲だ

 

『僕自身の夢って、もともとはオリンピック2連覇でした。そしてその後に、4回転半という夢をまた改めて設定して、追い求めてきました。ある意味ではアマチュア、競技というレベルでは、僕は達成することはできなかったし、ISU公認の初めての4回転半成功者にはもうなれませんでした。そういう意味では、終わってしまった夢かもしれません。そういう意味で「いつか終わる夢」』

 

『皆さんに期待していただいているのに、できない。だけど、やりたいと願う。だけど、もう疲れてやりたくない。皆さんに応援していただければしていただくほど、自分の気持ちがおろそかになっていって、壊れていって、何も聞きたくないって、でも、やっぱり皆さんの期待に応えたい、みたいな、本当に自分の心の中のジレンマみたいなものを、表現したつもりです』

 

 演出振付家・MIKIKO氏が演出に加わったという『いつか終わる夢』の中では、プロジェクションマッピングにより『応援』『真っ暗』『ただ滑る』『希望』『怖い』『独り』などの言葉が、氷上に映し出される場面がある。『初めてここまで本格的なプロジェクションマッピングを含めて、演出としてやっていただいたので、また皆さんの中でフィギュアスケートのプログラムを観る目が変わったと思います』と羽生は自負する

 

『実際会場で観る、本当に近場の自分と同じ目線から観るスケートと、上から観るスケートと、またカメラを通して観るスケートって、まったく違った見え方がすると思うので、是非是非そういうところも楽しんでいただきたいなと思っているプログラムです』

 

 私見だが、最初の4回転アクセル成功者になる夢の終わりを描いた『いつかは終わる夢』こそが、羽生の次の夢につながるプログラムであるように思われる。ジャンプを跳ばず、シンプルなスケーティングのみで心象風景を描く羽生のセルフコレオによる作品には、表現者としての羽生の無限の可能性が感じられたからだ。ただ美しいというだけにとどまらず、内省的な世界を描き出す『いつか終わる夢』は、コンテンポラリーダンスのような深い印象を残す傑作

 

『プロローグ』を滑り切った羽生は体力を強化して公演に臨んでおり、アスリートとしても前進している。ただ羽生の演技が人々の心を打ってきたのは、アスリートとしての高い能力と同時に、優れた美的感覚と繊細に物事を受け止める知性を持ちあわせていたからではないか、と個人的には思う。『いつか終わる夢』は、競技プログラムでは発揮し切れなかった羽生の美点をみせてくれる演目だったと感じる

 

『フィギュアスケートの限界を超えたい』

『プロローグ』は、濃密な競技人生を振り返るという不可欠なステップであったと同時に、羽生がアマチュア時代から見せていた芸術との高い親和性を再認識させるものでもあった。優れたアスリートである羽生は、同時に自らがアートそのものとなり得る稀有なアーティストでもある。プロとなった羽生は、ルールの制限なしにその才能を遺憾なく発揮するステージを手にしたのだ

 

 前述の囲み取材で、羽生は揺れる胸中を吐露している

 

『プロだからこその目標みたいなものって、具体的に見えていないんですよ。なんかこういうことって、ある意味僕の人生史上初めてのことなんですよね。今までは、僕4歳の頃から常に“オリンピックで金メダルを獲る”という目標があった上で生活してきていたので、ちょっとだから今宙ぶらりんな感じではいます』

 

 プロとしての確固たる目標がない状態に対する戸惑いに言及した羽生は、しかし言葉を継いだ

 

『ただ、こうやってまずはこの「プロローグ」を成功させるために毎日毎日努力していった。また今日は今日で一つひとつのジャンプだったり演技だったり、そういったものに集中していったりとか。多分そういったことが積み重なっていくことで、新たな自分の基盤ができていったりもすると思うので。今出来ることを目一杯やって、またフィギュアスケートというものの限界を超えていけるようにしたいな、という気持ちでいます。それが、これからの僕の物語としてあったらいいなと思います』

 

 羽生にとってはまた重い期待になるかもしれないが、彼ならプロとして、フィギュアスケートの新たな可能性を創り出してくれるのではないかと思わずにはいられない。『プロローグ』は、その名の通りプロスケーター・羽生結弦が描く物語の序章となるアイスショーとして記憶されるだろう