今日このニュース記事を読んで久しぶりに過去の自分を思い出した

10年以上苦しみ、人生が終わりだと思っていたのに。

記事は吃音についてだけど、私の場合は場面緘黙症だった。

私は中学高校時代、人前で話すことがほぼほぼできなかった。
特に授業中の本読み、授業中の発言、日直などでクラスの前で何か話さなくてはいけないときなど。

一番の恐怖は授業中の本読みだった。
数ページにわたる比較的長文を読まされる時。
たとえば出席番号がその日の日付の場合など、先生から指名されるのはだいたい予測ができた。
だから指される可能性が高い日の前日には、家でおばあちゃんの前で本読みの練習をした。
漢字が読めないわけではないからおばあちゃんの前ではスラスラと読める。
でもいざ授業中に指されると言葉が出てこない。

指される可能性が高い日の当日は、その授業が近づくにつれてどんどん恐怖が大きくなっていく。
緊張し何も考えられない。
動悸が激しくなる。

いざ音読を指名されるとまず言葉が出てこない。
声が出ない。
やっとの思いで数文字を読めても、声はとても小さく、震え、泣き声になっている。
そして苦しくなり、うまく息が吸えないし、うまく息が吐けない。
顔は熱くなり真っ赤になっているような感じ。
手足は冗談ではなく、本当に文字通り「ガクガク」と震えだし、その震えに動揺するも自分では止められない。

あまりの私の異常な状態にクラス中がしんと静まり返る。
もう毎回のことなので、始めのころのようにざわつくことはなく、とにかく静まり返っている。
ハアハアと息も絶え絶えになる私。

国語の先生はため息とともに、苛立たしさを隠しもせず声に滲ませながら、私が詰まっているところを読み、後に続くよう求める。
私は漢字が読めないわけではない。
ただただ声が出ないのである。

そして緊張は極限に達し、心臓が喉元にあるような感じで苦しく呼吸がうまくできず、手足の震えがさらに大きくなって立っていられなくなりしゃがみこんでしまう。
過呼吸になったこともあった。
そうまでなって初めて、先生は苛立たし気に「もういい!」と言って、私は着席することを許された。

今でこそメンタルヘルスについて世の中の多くの人が知るようになったけれど、私が学生の時はそうではなかった。
そして精神科に行くということもまた、今よりずっとハードルが高かった。

私は高校卒業後してからもさらに何年も人前で話せないということに苦しむことになったが、精神科に行き、安定剤をもらうようになってからは、薬の力で無理矢理に不安や恐怖や緊張を鎮めて、少しは話せるようになった。
でも「普通」とは程遠かった。

今は人前で話すことは苦ではなくなった。
何をしたから直ったとかはない。
自己啓発本をたくさん読みふけり、精神科に通院(いろいろな精神疾患になったため)し、カウンセリングにも通った。
薬もマイナーだけでなくメジャーの強い薬をたくさん飲んでいた。
でも効果はほぼなかった。

薬はたしかに一時的には気持ちをふわふわとさせてくれて、緊張がほぐれたように錯覚したけれど、それはただただ薬によってぼーっとしただけだった。
しかも私は薬をかなりの数をODしないと効かなかった。
ODはいけないことだとわかっていたけれど、「普通」になりたかった。
というよりも、どうしてもたくさんの薬を飲まないと仕事ができず、仕事ができないと稼ぐことができず、生きていけなかったから。

10年以上通った精神科に通うのをやめ、精神薬も一切やめ、だいぶたって気が付いたらある程度は「普通」に生活できるようになっていた。

今は辛かった過去に苦しめられることはほぼない。
それでも学生時代の自分の出席番号は今でも覚えている。
夢の中で、自分が高校生で当時のクラスメイトが出てくるような鮮明な悪夢も見ることがある。
夢から覚めたときはホッとする。
もう私は大人で、二度と学校には行かなくてもいいのだとわかると涙が出てくる。

私の学生時代ははるか昔だけど、この記事を見ると本読みって今でも変わらずあって、苦しんでいる子がいるんだね。
これだけ体や心の病などについて理解が広まってきているのに、昔と変わらない先生がいるなんて本当に本当に絶望的だね。

私は学生時代に人前で話すことができなくなってから、ありとあらゆることに自信がなくなった。
そしてすべて自分のせいだと思っていた
自分がどんくさいせいで周りをイライラさせるのだと。
「普通」のことができない自分が悪いのだと。
「普通」ではない自分が恥ずかしかったから、両親には相談できなかった。
勉強も運動もでき、皆に優しく素晴らしい姉と弟に比べあまりにも自分はかけ離れていて、両親に申し訳なかったから、家ではとにかく明るく振る舞い、本読み以外に暴力や言葉のいじめを受けていてもそれを知られることを恐れ、学校には休まずに登校していた。

でも大人になるにつれて、少しずつできるようになるにつれて、自分を責めすぎることは少なくなった。
自分が悪い子だから「普通」になれないのではないとわかった。

何とかならないのかな。
私のころは今みたいな手軽なネット環境がなかったから余計に一人で抱え込むしかなかったけれど。
当時の私にとっては学校は世界のすべてだった。
今の人はネットで居場所を見つけるなどしてもう少し逃げ場があるのだろうか。
でも今みたいにネットでたくさんの情報がある中でも、こうして何も変わらない現実があるんだね。
逃げてもいい、学校に行かなくてもいいとネットでよく見るけれど、たぶんきっと、それはとても難しいのではないかと思ってしまうよ。

誰かが苦しい世界は本当に嫌だよ。
人間も、人間以外の生きものも、苦しんでほしくない。
本当に恐ろしい世界だよ。

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