――神様や仏様、宗教を僕は信じていない。
3年前に愛犬「リリ」が亡くなった時、言い表せない悲しさに包まれた。
2度と会えなくなる寂しさに、途方にくれた。
亡くなる瞬間に、立ち会えなかった事を、今でも後悔している。
人生唯一の後悔だ。
愛してやまなかったリリには、家族の大切さ、人に対する優しさや、誰かに想われる事のすばらしさ、数え切れない程の事を学んだ。
僕はリリが亡くなった時、どうしても、どうしても、そんな感謝を伝えたくて「手紙」書いた。
『リリへ』
と冒頭に書いたその手紙には、どれほど楽しかったか、どれほど感謝しているか、どれほど愛しているかを綴り、リリの眠る棺にそっと忍ばせた。
リリの火葬の瞬間、その手紙の内容は、リリに届き、リリを熱さから守り、天国へ連れて行ってくれた、とそう信じている。
映画「トゥルーへの手紙」は、ワンちゃん達と一緒に住んでいるブルースが、9.11の頃、自宅を離れていて、安否を心配し、手紙を書いた―。 のような内容の映画らしい。
戦争や宗教、政治、テロは動物には関係がない。たぶん、憎しみもないんだと思う。
人間界では、住んでいる地域によって、常識はそれぞれ違う。
アルカイダ達が正しいとは決して思わない、同時にアメリカが正しいとも思わない。
アルカイダは、独裁するアメリカを「聖戦」により何とかしようと考えるし、アメリカもそれを伏せることが正しいと考えている。
常識の異なる文化を受け入れるのは、精神的にも物理的にも難しい点は多々ある。
ある本では、「相手をありのまま受け入れること」によって、平和は存在すると書いてある。
僕の周りで、宗教を信じている友人がいる。
僕はそれを信じないし、正直あまり深い関心もないが、感謝してる。
家でなにかあったり、僕の事で悩みなど、何かある時、彼は家で〔お祈り〕をしてくれている。
ある時、
「あれ、あの話、やっぱだめだったわ」のような会話の時、
「俺の祈り方が足らんかったなぁ、1時間くらい祈ったんだけどなぁ」
と答えたのを聞いて、自分のことをそこまでしてくれる友人に感動した。
僕には僕の信じるものがあり、彼には彼の信じるものがある。
僕らは、互いにそれを、ケなしたり、否定したりは決してしない。
それどころか尊重している。
イラついたり、多少の言い合いはあっても、戦争はしないよ。
彼の話は、真剣に聞く。たとえ話しに、興味がなくても、そんな考えもある、という知識にする。
自分の知らないことを知るのを僕は大好きだから。
自分を大切にもっていたら、自信があれば、決して悪いことは微塵もない。
頭ごなしに否定するのは、あまりにも無礼で、相手を思いやっていないとさえ感じられるしね。
僕はこんな偉そうに書いてるけど、実は気が長いほうではない。
ここ最近は、怒りを覚えた時、自分を「国」に置き換えて考えることにしている。
{ここで怒りをあらわにして、相手を罵って、ヒートアップしたら、戦争だ。俺はアメリカにはならないぞ。}ってね。
ケンカをしても翌日まで引きずらない。
ケンカは一人ではできないから、相手を怒らせてしまったり、言い方が悪かったり、決してどちらかが、一方的に悪いことがほとんどないから。
相手の非ではなく、自分の非を探すことにしてる。
どうか、少しでも相手を思いやり、受け入れて、ほんの些細なイザコザから、大きな戦争や争いが少しでもなくなり、少しでも多くの笑顔が豊かな地球にありますように、PEACE。