同居が始まりお供に、私の戦いも始まった。
同居を始めるときに、母と兄と三人で同居の話を何度かした。
母が亡くなったら、早々に家から出ていけと言われるだろうと心配していた。
もちろん出て行く気はあったが、悲しみの最中追い出されるのも納得がいかない。
なのでこちらのタイミングでと話をしたら、逆にいつまで居る気なのかと
聞かれた。
まだ何も始まっていないのに・・・😱
実家は長男が貰うものと彼の頭の中にはインプットされている。
介護はお前がしろ、家は俺が貰う・・・
腹が立ってきた。
元々介護はあの性格では無理だし、母が可哀想だから
私が介護をしようと考えていた。
でも当たり前的な態度 そして母の態度にも。
「あの子はこの家を自分のものにする気よ」
なんで他人事? この言い方にも腹が立った。
私の頭の中にも実家は兄が継ぐでしょうと
ぼんやりそんな考えがあったのは事実
だから全く親の財産なんて気にしていなかった。
どうせそんなに現金もないと思っていたし、あるのは家ぐらいだからな・・・
だけどああ言われると
あんなに刺激されると、寝た子も起きてしまう。
少し賢い(笑)兄に対抗するため、
相続などについて学び始めた。
自分や自分の家族を守るため、言いくるめられてただ泣いて終わリたくないと。
兄妹の二人だと、揉めることも多いいとよく聞く。
我が家も同じだった。
相続を学ぶうちにどうせならとFPの勉強を始めた。
同居をしてしばらくすると仕事もやめなくてはならなくなり、
家にいる時間も長くなったのでちょうど良かった。
結果 FP2級にまで合格し🎊、現在その上のCFPを目指し勉強中
おかげで相続も泣き寝入りせず、どちらかというと努力は認められた形で
相続も終わった。
ただ、あれから一度も連絡を取っていない。
弁護士さんに入っていただき、必要連絡は全て弁護士さんに取ってもらった。
今思うのは何も考えなかった両親に問題があった。
兄弟仲を悪くさせてしまったのも、ただ親の我儘のせいだと。
自分の親も親の介護経験がない、もちろん兄もなく私もない。
どれだけ大変かは実際に経験した人にしかわからなと思う。
肉体的はもちろん自分の欲求を殺して、二十四時間 何日も何ヶ月も 何年も・・・
自分は子供たちに対し、お互いに頼れる兄弟であって欲しいと思う。
負担はかけず、できるだけ争いも起きないよう老後の生活を考え、
そして遺言だけはしっかり書き🖊️📃、
常々言葉でも伝えるようにしていこうと考えさせられた。