介護の話の前に病院の話🛏️

 

母の病気がまだ脊椎狭窄症だと信じていた頃、

手術をしないで脊椎狭窄症を治すという本を出していた先生のところに

せっせと電車で通っていた。

 

なんだか足の動きが悪いな・・・と。

半年くらい通っても全く改善せず、

それどころかまともに歩けなくなっていった。

 

その先生も匙をなげ、これは手術をしなければダメと。

その言葉を信じ、隣町の比較的大きな専門の病院へ。

だけど、これは手術するレベルではないと

帰されてしまった。

 

なんだかんだで一年近くすぎ、これでは埒があかないと

比較的大きな病院🏥へ行き、行くべきは整形外科なんだろうが、

申し訳ないが可能性のある診療科全部で調べてくださいとお願いした。

 

内科・整形外科・脳神経外科 脳外科

一つづつ消していったら、脳神経外科だけが残った。

ALSである可能性もあるが、まずないと思うと言われ

年齢も年齢だからな・・・とか。

 

医者はそれで良いかもだけど、

本人と家族はそんなこと言ってられません。

 

なんとかお願いして、大学病院に紹介状を書いていただき

ALSの検査を受けました。

筋肉に針を刺して行う「針筋電図検査」がかなり痛いらしく

もう嫌だとかなり怒っていた、

 

結果ALSが判明 

妄信的に一人の先生を信じるのも良いが、

やっぱりセカンドオピニオンは必要だと思う。

 

人は信じたいものを信じる

きっと怖くて簡単な病気で治るはずだからと

最初の先生を信じ行動していたのだろう。

 

この病気は若い人がかかるとしんこうが早いらしい。

母はもう80を過ぎていたので、進行はゆっくりだった。

 

足が動かなくなったが、食欲もかなり最後まであり

ご飯もよく食べてくれた。

どこの筋肉が動かなくなるかはその人によって違うようで、

母は最後肺の動きが悪くななり、酸素を吐き出せなくなり

肺の空気が入る容量が少なくなっていった。

 

苦しいのだろうと思っていたが意識が朦朧とするから

苦しくはないと言われ、ほっとした。

酸素の数値が低いときは夢心地のようで、「今パーティを開いてもらってるの」

と楽しそうに話していたのが思い出される。

 

最後は難病の方も入れる施設にお世話になり、

親子ともども安心した生活が送れました。

 

ショートステイでお世話になった施設では、トイレから立ち上がれない母を

笑ってみていたヘルパーさんなどがいて、母は大変悔しがっていました。

 

でも今思い出す母はパーティで楽しそうにしている母です。

施設の皆様 本当にお世話になりました。

有難うございました。