あの未曾有の大災害となった東日本大震災から8年・・・。
思い返せば、それまで当たり前だと思っていた生活が、どれほど
平穏で満ち足りた暮らしだったかを思い知らされたと言うか
私に取っても我が人生を見つめ直すキッカケとなった出来事でした。
あの日、私は勤めていた都内デパート、ママンは地元の老人クラブで
被災したんですけど電話もメールも繋がらなくてママンの安否が解らず
夕方になって、ようやく弟が震災後すぐに老人クラブへ迎えに行ってくれたそうで
「ばーさま確保!(`・ω・´)ゞ」と連絡が来た時は心底ホッとしましたよ!・゚・(ノД`)・゚・
しかし連絡は取れたものの帰宅する電車が動いてなくて日付が変る頃まで
運行再開するのを売り場で待ったのを良く覚えてます(`・ω・´)b
そしてビックリしたのが震災直後に何か食べ物を用意しておこうと
コンビニに行ったら商品の陳列棚は御覧の通りでした!
菓子パンなど、すぐに食べられる物は綺麗サッパリ!何にも無い!
社員食堂は帰宅難民となった、お客様に開放して軽食を提供してたんで
我々は使用出来ませんでしたからね!こりゃ夕食は抜きか~!?と
覚悟をしてたら男性社員が首尾よく調達して来てくれたのが↓これです。
さつま揚げとチョコレートと言う珍妙な組み合わせでしたが
夕食抜きを、まぬがれて有難く頂きました!.。゚+.( ̄人 ̄*)。+.゚
でもって私の使用する交通機関が、やっと運行を開始したのが既に
午前0時過ぎでしてね!翌日も早番で9時には売り場に入らないといけないし
このまま売り場で夜を明かそうか?とも考えたんですが寝具も無い売り場で眠るのは
無理そうだと帰宅する事に!ママンは弟宅で引き続き預かってくれたので、その夜は
余震の続く中たった1人でj震えながら眠りましたよ!怖いよぉ~!((((`Д´;))))ガクブル!
そして翌日、中番遅番のスタッフが揃ったところで、ようやくお役御免となり
私の長い1日が終わりました!その時にねシミジミ思ったんですわ~!(`・ω・´)b
こういう天災が起きた時にママンの側にいてあげたいと…。少なくてもママンが
居る場所に、すぐに駆け付けられるような環境に我が身を置きたい!
それがキッカケとなって35年間勤めたデパートをキッパリと退職したんですが
後3年で定年退職だったし定年後も嘱託として仕事を継続して欲しいと
言われてたもんで「本当に辞めちゃうの!?Σ(゚Д゚;)ノ」と周囲の方々を
驚かせちゃいましたけどねwしかも退職後は1年間はプー太郎ですよ(笑)
そりゃ良い歳をして何をとち狂ったのかと思われますわな~!(^_^;)
でも幸い自由業を始めて9ヵ月後には軌道に乗りましてデパガ時代には
夢でしか無かった「巷の人達が遊んでる時に遊べる」を実現できたのが
嬉しかったですね~!.。゚+.( ̄∀ ̄*)。+.゚それに、いつもママンの側に居て
段々と弱ってくる手足の代わりにもなれたしね!その反面イケイケだった
生活が一気に婆臭くなったと言うか果てしなく地味になったww
それでも、あの日突然、愛する家族や友達を失った方々の苦悩を思えば
例え自己満足に過ぎなくても1番大切なママンの側に居る事を最優先した
我が選択に悔いはありません!(`・ω・´)b 天災に限らずママンの年齢を
考えると明日が必ず来るとは言えませんからね~!いつなんどきママンが
天に召されても一点の悔いも憂いも無い自分でいたいと思います。
そして、あの日、思いも掛けない家族や友人との悲しい別れをなさった
全ての方々に心よりお悔やみと、お見舞いを申し上げます。