我が家ではママンの日常の世話は私
介護に必要な金銭援助は長男である兄
そして病院に行くとか旅行などのイベントごとは
弟が率先して車を出してくれたりと
それぞれに役割分担が自然発生的に出来上がってて
巷で良く耳にするような兄弟姉妹間で介護を誰がするかで
揉めたりとかのトラブルとは全くの無縁でしてね!
昨日も兄が毎月のママンへの援助金を持って来てくれたんですが
ついでにママンの大好物であるイチゴを持って来てくれた~♪
早速、歯が無いママンに食べやすいように小さくカットして
おやつに頂いたんですが「ママン美味しいポーズして!」と言ったら
御覧の通り超熟女のブリっこポーズを御披露ですわ(゚^∀^゚)ノノ゚
こんな風に子供達から常にチヤホヤされてるママンですが
考えてみれば極貧の生活の中でも必死こいて我が子を
守ろうと孤軍奮闘してくれた過去があるからなのよね~!
正直言って介護生活では、どんなに仲良しの親子であっても
「だから言ったでしょ!ヽ(*`Д´*)ノ何度言ったら解るのよーー!」と
癇癪のひとつやふたつや、みっつやよっつ…(以下略w)を
かます事もありますよ(^_^;)増してや、それが毒親と呼ばれる
親だったら介護生活は地獄である事は無理も無い事です!
でもね幸いウチのママンは貧乏ながらも愛情だけは
たんまりと与えてくれましたからね~!.。゚+.( ̄∀ ̄*)。+.゚
例えば春先になると思い出す、こんな出来事があります。
それは私が小学生になった頃だったかな?
普段は早朝4時から築地の魚市場
午後からは近所の貝類加工場
そして夜は親戚の寿司屋さんで飯炊きと
それこそ馬車馬の如く働いてたママンですけど
唯一土曜日の午後だけは貝類加工場が休みで
学校から帰るとママンが家に居る訳ですよ!
それだけでも子供だった私には嬉しかったんですが
まだ幼児だった弟を存命だった祖母に預けて
「野良行ってセリ摘みすんべ!」←(地元の方言ですw)と
ママンと2人きりで町外れの田圃に連れてってくれてね♪
もう普段は起きるといない寝てから戻るの繰り返しで
ろくに顔も拝めないママンと一緒に楽しい野遊び、キャ~♪゚。ヽ(Д`゚*)ノ゚
そりゃ楽しかったっすよ.。゚+.( ̄∀ ̄*)。+.゚思い切りセリやらフキやらを
摘んで夕飯の食卓に並べてね!あのセリの護摩汚し美味しかったな~!
大きくなってからも子供時代の楽しい思い出っつうと真っ先に
思い出す出来事だったんですが、それから時は流れ大人になった私が
フッとその事を思い出してママンに言ったんですよ!
「子供の時2人でセリ摘みに行ったよね!?覚えてる?」と
聞いたらママンが遠くを見つめながら、こう言ったんですわ!
「あの頃は貧乏だったからね…。あんなその辺に生えてる草まで
食べさせて悪かった…」と、つぶやいたんですわ (; ・`ω・´) え?
幼い私に取っては楽しい野遊びだったけどママンにしたら
子供達を飢えさせない為の苦肉の策だったんでしょうな~!
マジで夜になっても食べる物が無くて空腹を抱えたまま
布団に潜り込んだものの、どうにも耐え切れずに泣いてたら
近所のお蕎麦屋さんに連れてってくれて既に閉店してたんで
御飯に大根の味噌汁を掛けたのを食べさせて貰った事もあったし
良く考えたらママンも兄や姉だって同じように空きっ腹だったのよね!?
それを我慢して私だけには御飯を食べさせてくれたのか~?とか
お蕎麦屋さんも我が家の状態は良く解ってくれてたんで夜更けに
いきなり「何か食べさせて…」てな無茶ブリにも応じてくれたりとかね。
そんな風に周囲の方々やママン&兄弟の優しさに包まれて
無事に生き抜いて来られた事を思うとね~!(`・ω・´)b
ママンが多少呆けようが、たまに盛大なウン●祭りを開催しようが
それに対して癇癪を起こすのは器が小さい証拠ですな(-"-;)
過去の積み重ねが今であるならママンは、あの当時の
ご褒美を貰って安穏とした生活を送ってる訳なんですよね!
それを考えると【今出来る最善を尽くす】って事が良き未来を
引き寄せるのではあるまいか!?と思いつつ美味しそうに
イチゴを頬張るママンの笑顔を眺める冬の午後….。゚+.( ̄∀ ̄*)。+.゚
やっぱ何だかんだ言っても満ち足りた生活ですな(笑)