「楽しい」という体験こそ人生の土台である
多分、私にはそれがなかったのだろう。
体験した限りの中でそれを感じていたのだけれど
それは人生の土台に耐えうるようなものではなかったのだ。
どうしてそんな風に思うのか、
それは、それを感じたからだ。
どうして私はそうなんだろうといつもいつも考えてきた。
それは意味のないことだから、やめて楽しめと言われてもどうしたらいいのかわからない。
勧めらることはやってみた。
原因を追求するのは自分を責めることだからやめろと言われてもやめられなかった。
そして、やりたくないことをやっとやめて
でも、なにをしたらいいのか、模索はまだ続いている。
原因を手付かずにして対処療法にエネルギーを費やしているようなものだと思っても
余計なことを考えるなと言われ、
それでもいい方向に向かっているような気がしていたところ
私の自律神経がなににエネルギーを費やしていたのかがようやく判明した。
対処法もあった。
これからは、楽しみを存分に感じながら生きていく。