何か橋を渡って以上なほど奇妙な形をした建築物を見るのは、なんとなく豊田スタジアムと重なるような気がしました。
調べてみるとアンバーというのは琥珀という意味で一番琥珀が多く取れるのがこの久慈市だそうです
また黒川紀章さんというとこういった三角錐が特徴らしいのですが確かに豊田スタジアムも機能は異なるけれども形は似ているなと思いました。
エントランスに入ってみると
上は展望台になっているそうですが清掃中のため入れませんでした。
本体のコンクリートの施設にはホールがあるのですけれども、なにか見ていると警備の人に警戒されてよく見れませんでした。(ノ_-。)
気を取り直して太平洋沿いに進める
ここから本当の試練が待っていました。
まず急に足が動かなくなって、前になかなか進みません。
疲労か坂を登りすぎたのかはわかりません。
ちょっと焦って、無理するのはよくないということで電車に乗ろうと考えたのですが
よくよく考えたら八戸と宮古をつなぐ約160kmほどは電車が止まっているため、完全に自力でなんとかするしかなかったのです。
やばいなと感じていたら泣きっ面に蜂とはこのことなのかと思うほどよいタイミングで
いきなりシューっと激しい音をたてて様子を見るとパンクしていました。
この旅で初めてだったのですがパンク修理を1人でやるというのも初めてだったのでちょっと怖かったです。
なんとか修理し終わってこいでいると
またしてもシューとなって空気が抜けていく
同じような箇所だけれども少し違う
疑問に思ってタイヤを見てみるとタイヤごと穴が開いていたのでそこだけチューブが挟まったりするとすぐに穴が開く感じになっていました。
パンク修理3回目でようやく気づいたのですがそのときには日が沈んでいて真っ暗
何も見えない状況だったのですが
この状況で次パンクすれば間違いなく、見えなくなって修理はできなく、この村に隔離されてしまうということを想像して本当に恐怖でいっぱいでした。
空気はできる限り抑え目にして本当に心配しながらこいでいました。
ただこれでそのまま済めばよかったのですが本当に無計画ということのおろかさを思い知りました。
自分が進んでいた国道45号線はいわば一本道で抜け道もなければスーパーもない。
そしてかなりのアップダウンの繰り返し
アップダウンを繰り返すたびに集落のような数件の民家がたたずんでいました。
気温-4度
今まで経験したことがないのが、自転車に備え付けているドリンクが飲もうとすれば本来あるはずの飲み物がでてこないことに疑問を感じ、振って見るとシャカシャカ音がしていたので中身を見てみると
凍っていました。
野宿すれば命がどうなるのか不安だったので必死にこぎ続けました。
最終的には標高は380mだったのですがそれプラスアップダウンと精神的な重圧で死をさまよっている感じでした。おまけに車はぜんぜん通らないし景色も山に囲まれているだけ。
登りならともかく平坦な道もついには漕ぐ力がなくなって押して進めました。
気力で意識がやばい状況で何とか宮古付近まで来たのですがぜんぜん光が見えない上、下りが続いていました。
暗いと下が見えなくて凍っていてかなりこけて擦り傷がやばいです
段差にも気づかず体ごと吹っ飛ばされてなんとか柔道で習った受身で軽減^^;
そして宮古になんとか着いたところで目にした光景は
住宅が震災で流されていてすごく静かな町でした。
この近くに漫画喫茶はあるはずもなく、どうしようか駅付近でうろついていたら
警察官に止められて
とまる場所を探しているといったら
一緒になって警察署で探していただきました。
ホテルは復興の作業員の人たちがいっぱいでたいがいは空きがないそうです。
それゆえどこも泊まる場所がないので特別に警察署でとめていただくことにしました。
それで本日はなんとか無事生き延びることができました
無計画でこうしたいというのは、知識がないし若いからこそそういう思い切ったことができるのだけれども
そういう人が真っ先に死ぬことになるのかなと反省しています。
自分の常識の範囲での生活
滋賀県というところがいかに幸せな場所かを思い知らされます。
周りが山だということあるけれども、生活区域はほとんどが平坦
これがどれほど運搬や交通、町並みに影響しているのかを本日学びました。
面積が一番広い県という認識でしかなかった岩手県
そこにはどれほどの山があり、集落があるかというのは考えもしなかったし、自然にどれだけ人の暮らしは左右されるのかを思い知らされました。
宮古からは盛岡へと続く電車があるのでそこでまずは移動して考え直したいと思います。