『春の日は過ぎゆく』(ホ・ジノ監督 2001年)          ユ・ジテ × イ・ヨンエ | レイモン大和屋の <シネ!ブラボー>

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『春の日は過ぎゆく』2001年

 

監督・ホ・ジノ 脚本・ホ・ジノ リュ・ジャンハ イ・スギョン シン・ジュンホ 

 

出演 ユ・ジテ、イ・ヨンエ、ペク・ソンヒ、パク・イナン、

   シン・シネ、ペク・チョンハク、イ・ムンシク 他。  

 

アラムスタジオの録音技師・サンウ(ユ・ジテ)は依頼された仕事で待ち合わせの駅に行ってみたが、それらしき人物が見当たらず、ベンチで眠っていた女性に見当をつけ携帯電話をかけてみる。女性はよほど睡眠不足なのかようやく目を覚まし、初対面のサンウに「遅かったわね」と声をかけた。

 

依頼人の女性はラジオ番組のDJ兼プロデューサー・ウンス(イ・ヨンエ)。ウンスがDJを担当する『自然と人』という番組で使う自然の音を録音するため、ふたりはカンヌン(江陵)の竹林を訪ねる。吹き渡る風が竹林の笹を揺らし耳を通り過ぎる。ここで50年暮らしているという婦人にインタビューし食事をもてなされる。

 

取材の帰り、車でウンスのマンションまで送ったサンウは「ラーメン食べる?」とウンスに声を掛けられる。その夜サンウは泊まっていったが、ウンスとは別の部屋で寝た。数日してウンスから別の仕事の依頼がサンウに入る。仕事を重ね親しくなった二人は互いの身の上を話す関係になって自然に結ばれた。

 

ウンスから夜遅くサンウの携帯に「会いたいと」いう電話が入りサンウは友人のタクシー運転手(イ・ムンシク)に頼んで遠距離にあるウンスのマンションに向かう。父(パク・イナン)から彼女を紹介するように言われたサンウはそのことをウンスに話すが「わたしはキムチを漬けられないわ」と、はぐらかされた。

 

サンウが積極的になるほど気持ちが重くなり距離を置こうとするウンス。「1か月会わないことにしましょう」と切り出され「別れようってこと?」「いいわよね」。ウンスが馴染みの音楽評論家(ペク・チョンハク)と親しげに車に乗り込むのを隠れて見ているサンウ。互いに惹かれて愛し合った時は過ぎ去り、今残るのはウンスに執着しストーカーと化した自分自身のみじめさ。

 

サンウより年上で離婚歴があり、訳ありの家族を持つサンウと恋愛以上の関係を望まないウンスは悩み、仕事熱心で純朴なサンウは年上のウンスの虜になる。ウンスを演じたイ・ヨンエの半端ない魅力。恋愛の始まりと終わりを男女の恋愛観、結婚観の違い、サンウの認知症の祖母(ペク・ソンヒ)父、叔母(シン・シネ)ら家族の歴史を織り交ぜて、人生がめぐる<輪廻転生>を描いているようにも思える。

 

春の終わりに恋が芽生え、夏の終わりに恋が終わり、やがて秋が来て、また春がめぐって来る。桜の花が咲き半年ぶりに再会した二人。「元気にしてる?変わってないわね。おばあちゃんにこれを」。サンウに小さな鉢植えを渡すウンス。

「植物を育てるといいんだって。今日一緒にいようか」 

 

桜が満開の通りを歩いていく二人。

立ち止まったサンウが持っていた鉢植えをウンスに返す。

無言で受け取るウンス。失恋の痛手をタクシー運転手の友人に慰められた時、「彼女も年をとれば白髪と皺だらけのばあさんだ。そう思えば気休めになるさ。落ち込むなよ」

「そうだな。でも会いたい」 

認知症の祖母が言った「バスと女は去ったら追うもんじゃないよ」サンウの脳裏に痛手を受けて落ち込んでいた自分への友や祖母が語りかけたそんな言葉と光景が蘇ったのか。

 

韓国映画によく見かけるドロドロした恋愛劇でも日本の若者向けの鼻白む恋愛劇でもなく、候孝賢の台湾映画を観ているような自然な感情の流れと風景、台詞のリアリティ。何処か懐かしさを感じるのは、この作品が男女の特殊な恋愛事情ではなく、普遍的な人間感情の機微が描けているからだろうか。エンディングテーマ曲が見事にこの作品のテーマを表現している。

 

「~春の日は過ぎゆく さりげなく 花びらは 風に舞い散る 立ち去ってしまった 美しい人たち そっと目を閉じれば 手が届きそうな かすかに心が痛む 思いでのようなもの  春はまた めぐり来て 花は咲いては また散る 美しくも とても悲しい物語」(作曲・松任谷由実 作詞・歌 キム・ユナ) ☆☆☆☆☆(☆5が満点)