『キューポラのある街』(1962年 浦山桐郎監督) 吉永小百合×浜田光夫×市川好郎 | レイモン大和屋の <シネ!ブラボー>

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『キューポラのある街』(1962年 原作早船ちよ 監督浦山桐郎 脚本今村昌平・浦山桐郎) 

出演・吉永小百合、浜田光夫、市川好郎、東野英治郎、杉山徳子、加藤武、鈴木光子、森坂秀樹、岡田可愛、下元勉、殿山泰司、菅井きん、吉行和子、小沢昭一、青木富夫、浜村純 ほか。

 

鋳物工場(キューポラ)が建ち並ぶ埼玉県川口市。中学三年の石黒ジュン(吉永小百合)は学校から帰ると母のトミ(杉山徳子・とく子)が急に産気づき、父の辰次郎(東野英治郎)を呼ぶため弟のタカユキ(市川好郎)を探す。隣の家でテレビの相撲中継を見ていたタカユキと弟のテツハル(岩城亨)はジュンに言われて渋々父を呼びに行った。鋳物工場で働く辰五郎は2年前作業中の事故で足を負傷し、会社の人員減らしの対象になって解雇されたばかりだった。隣に住む同じ鋳物工場に勤める克巳(浜田光夫)は仲間からの餞別金を辰五郎に渡し「組合で色々手を打っているから」と励ますが、職人気質が抜けない辰五郎は「ありがたいが、オレはどうも組合ってのが気に食わねえんだ。オレは根っからの職人だ。職人がおめえ、アカのお世話になっちゃあ世間の物笑いだ」といって取り合わない。「何言ってんだよ。組合がアカだなんてそれこそ物笑いだぜ。当たり前のことを要求するだけじゃねえか。第一これは法律で決められている事なんだぜ」「ともかくな、済んだことをとやかく言うのはみっともねえ、男は引き際が肝心だあな」 と言って出て行ってしまう。父の強情ぶりを知っているトミとジュンはただ見守るしかない。家で伝書鳩を飼っているタカユキは雛が生まれ、取引き相手の松永ノッポというチンピラから雛の手付金をもらった。ジュンは父の失業もありクラスメートの在日朝鮮人・ヨシエ(鈴木光子)が働いているパチンコ屋の仕事を世話して貰い高校の入学資金にあてようとする。修学旅行が近づいてジュンは費用が工面できなかったが、担任の野田(加藤武)の計らいでジュンも修学旅行に行くことになった。旅行当日の朝、クラスメートのノブコの父(下元勉)の紹介で大手の鋳物工場に再就職していた辰五郎は年下の工員に顎で指図されるのが我慢できねえと言って会社を辞めると言い出した。ともかく行っておいでとトミに言われ家を出たジュンは旅行に行くのをやめて街をさまよう。タカユキの子分だったヨシエの弟のサンキチ(森坂秀樹)は北朝鮮に帰ることになり、最後の思い出に学芸会で主役をやりたいとタカユキに頼み込む。学芸会の当日ルナール原作の『にんじん』が上演され、あこがれのカオリちゃん(岡田可愛)を相手に主人公のにんじんを演じるサンキチ。そこに悪童がサンキチに向かって「チョーセンにんじん!」と囃し立て講堂は爆笑に包まれて、うろたえたサンキチは台詞を忘れてしまう。ヨシエとサンキチは母を残したまま父と一緒に北朝鮮に帰ることになった。見送りに来たタカユキはサンキチに伝書鳩を西川口と大宮で放鳥してくれよなと頼み、ヨシエは使っていた自転車をジュンに使って欲しいと言って別れた・・・。ジュンは父の辰五郎に「しょせんダボハゼの子はダボハゼだ」と言われ落ち込み、母のトミが飲み屋で男たちと戯れる姿を見てショックを受ける。「私には解らない事が多すぎる。第一に貧乏なものが高校へ行けないということ。今の日本では、高校を出ていなければ下積みのまま一生うだつが上がらないのが現実なのだ」「貧乏だから喧嘩したり、酒を飲んだり、バクチを打ったりする。気短で、気が小さくて、その日暮らしの考え方しかもっていない。貧乏だから弱い人間になってしまうのか、私にはわからない」 と悩む。タカユキは辰五郎から「どうせお前なんか鑑別所行きだ」と冷たく突き放され、ハトの雛の手付金として受け取った金もトミから「どうせ盗んだ金だろ」と言われ信じて貰えない。鋳物工場で働く克巳はグレて高校に行かず働き始め組合運動に関わる中で勉強することの重要性を身に染みて感じる。そんな貧困が生み出す悪循環の中で必死に前向きに生きようとするジュンの姿とタカユキやサンキチたち子供の本音が浦山桐郎の瑞々しい演出で生き生きと描かれる。1960年代初めの在日朝鮮人の北朝鮮帰国運動も作品のサブテーマ。『非行少女』『私が棄てた女』と並ぶ浦山桐郎の代表作であり、吉永小百合の人気を決定づけた名作。☆☆☆☆☆(☆5が満点)