「ライフ・イズ・ビューティフル」ロベルト・ベニーニ監督 1998年 | レイモン大和屋の <シネ!ブラボー>

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映画感想、読書感想を備忘録として書いてます。
三浦しをん氏のエッセイを愛読しています。
記憶に残る映画と1本でも多く出会えることを願っています。

1939年、ユダヤ系のイタリア人グイドは小学校の教師ドーラに恋をする。彼の純粋さに惹かれた彼女は結婚を承諾。やがて、可愛い息子も生まれ、3人は幸せな日々を送っていた。そんなある時、彼らに突然強制収容所への収監命令が下る。(Yahoo!映画より) 作品タイトルはロシアの革命家レフ・トロツキーがスターリンからの暗殺者に脅えながらも残した「人生は生きるに値するほど美しい」という言葉にちなんでいる。ベニーニは「どんな状況下でも人生は生きるに値するほど美しい」という信念に感銘を受け、物語を着想した。「強制収容所での虐殺」という重いテーマを扱っているが、コメディ俳優のベニーニ(イタリアのチャップリンと呼ばれている)は悲壮さを感じさせない喜劇仕立てにして、息子に対する父親の無償の愛情を描いた。ベニーニ自身はユダヤ系ではないが、彼の父はベルゲン・ベルゼン強制収容所で2年間過ごしている。(Wikipedia) 賛否が激しい作品のようである。取り敢えず、Yahoo!映画のレビューで検証してみた。(自分自身は十数年ぶりに2度目の鑑賞)。作品に否定的な意見(感想)の例。「お涙頂戴の美談を逆算で拵えようって魂胆をぷんぷん感じてしまうね。」 「歴史的事実を軽く見ている」 「演出が過剰すぎるのかしら。ハッキリ言ってしまえば大袈裟。観客を泣かせようとしているのが見え見えでわざとらしい。アウシュビッツの悲劇をこんな形で描いて欲しくなかったです。20世紀最大の悲劇なのですから。」 「歴史的なユダヤ人大虐殺の事実をおもしろおかしく表現しているのが気に入らない。そんな軽いものじゃないんだよ!!何だと思ってんの。イライラ。それをギャップに最後主人公が殺されるところでお涙頂戴設定が見え見え。殺されたユダヤ人はあんただけじゃない。家族を奪われたユダヤ人はもっともっとたくさんいる。その事実をそっちのけでコミカルな主人公、一変悲劇の主人公を描いているだけとか一体何様のつもり? 楽しいゲーム?戦車もらえる?人の命を何だと思っているのでしょう。」  「ホロコーストなめるな!」  「現実にあった戦争から目をそむけてファンタジーにしようとする映画は嫌いなんです。収容所の描写も含め、もうぬるくてぬるくてお涙頂戴でいらいらしました。」  「完全にお涙頂戴」。 これに対して肯定派の意見(感想)。「この映画を観て、こう思う人も居るだろう。『現実はこの映画みたいにそんなに甘くも、美しくもない』って。確かにユダヤ人とナチスを扱いながら、この優しさと甘さは異常だ。でもこれでいい。これは空想力と笑いを絶対的に信じた映画だから」   「「この作品が嫌いだという人とは一緒に映画を観たくないし、友達になることもないだろうな、というリトマス試験紙のような作品。ここで描かれる、親が子を守るために命懸けで貫き通すファンタジーと言い換えてもいい嘘に込められたユーモアやペーソス、全編を通じた戦争やホロコーストに対する憎悪と平和への希求といったメッセージを解さず、やれ収容所の描写が甘いだの主人公の言行動があり得ないだの難癖付けている人は、そもそも映画という娯楽に何を求めているのだろう? あくまで歴史事実としてのホロコーストを知りたいのであればノンフィクションを読むなり「ショア」でも観ておればよいのである。そもそも、この作品のメインターゲットであるファミリー層にあたる30代以上の世代で、実際の収容所がこんなものでは済まされなかったことぐらい知っていなければ恥でしかない。例えば主人公が生き別れとなった妻に自らの生存を伝えるため、ナチの官舎に忍び込み二人の思い出の曲のレコードを収容所に響かせるシーンなどは本作屈指の名シーンだが、実際にそんなコトをやらかせば即銃殺だろうことぐらいサルでもわかる。そんなことは先刻承知のうえで、この出来過ぎとも言えるファンタジーに託された「それでも人生は美しい」という祈りにも似た痛切な想いを感じ取ることが出来ないのであれば、映画を観る素養の欠片も無いサル以下であることを表明しているのも同然であり、今後一切映画に対して口を挟まない方が賢明というものだろう」  「酷評している人の考え方が浅はかで驚いた。ある意味、そんな人が居るんだと勉強になったが、実際に周りにいたらドン引きする。こやつは一体この物語の何を見ていたのだろうか、と。そこじゃないのだよそこじゃ、表面の部分じゃないのだよ。って言ってもその人は一生分からないだろうけども」  否定派肯定派の意見(感想)を読むと色々なことが見えてくる。私は肯定派の意見(感想)に近い。否定派の人たちは現実と映画という別次元のものを混同して考えているように思える。人の感じ方はそれぞれなので、どんな感じ方が正しいなどということはあり得ないが、少なくともこの作品はお涙頂戴を狙って作られた映画ではないだろうし、感動の押し付け映画でもないだろう。作者のベニー二自身が言っているように、この作品は「愛の物語」であり「愛と想像力は不滅だという 希望を失わないことが大切だ」というメッセージが込められた作品だと感じた。特別な感動もなく涙を流すこともなかったが、不快感を覚えるような映画ではなかった。映画表現を現実と混同し同一次元で考えたり、現実の倫理感、道徳感を映画評価に持ち込んだり、重い題材やテーマはこんな風に描かないとダメとか、生真面目に狭苦しく考えすぎると映画表現は多様性を失い、息苦しくなるだけではないだろうか。(☆☆☆★)(☆5が最高 ☆☆☆★以上は一見、再見の価値あり)