「スリー・ビルボード」マーティン・マクドナー監督 2017年 | レイモン大和屋の <シネ!ブラボー>

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映画感想、読書感想を備忘録として書いてます。
三浦しをん氏のエッセイを愛読しています。
記憶に残る映画と1本でも多く出会えることを願っています。

 アメリカのミズーリ州の田舎町を貫く道路に並ぶ、3枚の広告看板。そこには、地元警察への批判メッセージが書かれていた。7カ月前に何者かに娘を殺されたミルドレッドが何の進展もない捜査状況に腹を立て、警察署長にケンカを売ったのだ。

署長を敬愛する部下や町の人々から抗議を受けるも、一歩も引かないミルドレッド。町中が彼女を敵視するなか、次々と不穏な事件が起こり始め、事態は予想外の方向へと向かい始める・・・(公式サイトから)。 

 

2018年度キネマ旬報外国映画ベストワン作品。一度観ただけの感想だが、作品の構図は極めてシンプル。娘を殺害された母親の進展しない捜査への苛立ちが捜査の最高責任者である町の警察署長に向けられ、署長を慕う出来の悪い部下の警察官が娘の母親への憎悪をつのらせる。母親(善)VS警察側(悪)の対立構造。しかし、この映画は少し複雑な要素も含んでいる。一つは娘の殺害原因に殺害された当日に母親がとった行動が大きく関わっていること。もう一つ、母親が非難の矛先を向ける警察署長は捜査に全力を尽くしている上に余命わずかの身であり、娘の母親もそのことを承知していること。そして、署長を慕う差別主義の警官自身がある理由から自分が差別されていることを強烈に意識していること。さらに、事件が起きたこの町に住む人々自身がアメリカという国の中で蔑まれた存在であり、町そのものが閉鎖的社会を形成していることなど・・・。やがて、お互い憎み合っていた娘の母親と差別主義の警官が、ある出来事をきっかけに次第に心を開き事件の真相解明に向かい協力しあっていく。アメリカ映画の定番とも言えそうなシンプルな構図のストーリーの中にアメリカ社会が抱える深い病巣が浮かびあがる。

 

1960年代終盤、<アメリカン・ニューシネマ>と呼ばれた作品群の中にイギリス出身のジョン・シュレシンジャーが監督した「真夜中のカーボーイ」という秀作があった。本作を撮ったマーティン・マクドナーもイギリスの気鋭。他国の監督がアメリカという国を一歩引いた視点から観察すると、見慣れた出来事、風景が別の相貌で姿を現す。真相に決着をつけるため、車でアイダホに向かう娘の母親と署長が残した手紙に触れ改心した警察官。

アメリカン・ニューシネマの時代なら壮絶なラストになっていたはずだが・・・。☆☆☆☆(☆5が満点)