神様短歌 恵まれて | 幸せ地蔵

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心の琴線に残る短歌やポエムを綴ります

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神様短歌は、恵まれての五文字を頭にして綴ります。

 

恵まれて

グッドなことが

増してゆく

レッツゴーなる

天も祝いて

 

これは、自分に言い聞かしているものであります。

自分の私見ですので、このような考えもあると読んでいただければ幸いです。

自分が今、どんな状況に置かれていても次のことを考えたら、いかに恵まれているかを腹に落とし込むべきなのです。

経済的にも苦しんだり、健康の面でも優れないときがあります。

人間だから悩みはあるのは当然なのですし、お釈迦様も決して悩みはなくならないものと仰っております。

それでも、今、自分は息をしているのです。

今、いのちが生きているのです。

いかに自分が恵まれているかを考えなさいと神様は仰いました。

いいかい、おまえは日本人としてこの時に生きているが、今から80年前は第二次世界大戦があり、日本は戦争をして、たくさんの兵隊さんが、そして無辜の人たちが、犠牲になっていたのだ。

戦時下は、誰も自由がなく、いつ戦禍に巻き込まれていのちを失うかもとおびえていたのだ。

それに比べたら、戦後に生まれたおまえは、戦争を知らない子供たちであり、平和な時代に生きていることを感謝すべきでないのかい。

今の世界では、いたるところで戦争が行われている。

おまえが、戦争の起こっている国に生まれていないことに感謝すべきではないか。

おまえは、恵まれていることに、いのちがあることに感謝すべきなのだよ。

今の日本を特攻隊で散華した兵士たちに感謝すべきではないのか。

日本を守るために、たった一つしかないいのちを捧げたのだぞ。

まだ若く、これから幸せな未来があったはずなのに、戦争が激化して、国を守るために、

最後は「おかあさん」といって散っていったことを考えたら、おまえが抱えている悩みなんて

ちっぽけだと思わないか。

おまえには、いのちがあるのだ。

おまえは、今を生き切るしかないのだ。

いのちの恩寵に感謝すべきではないのか。

いのちがあるかぎり、限りない希望はあるのだ。

その希望に向け全力で生きて行くべきなのだ。

悩みがあるのは贅沢な悩みだと思うのだ。

悩みが浮かばないくらい、今を一所懸命生きてみろ。

戦争でいのちを奪われないこの時代に、日本に生まれたことを恵まれていると思わなければ罰があたるぞ。

とにかく生きていればこそ、前に歩いていけるのだぞ。

この限られた時間をくだらないことに費やすな。

もっともっと大事なものをたくさん、お金に換えがたいプライスレスのものをもっていると思うのだ。

たとえば、今、おまえは眼が見える、耳が聞える、手足がある。

世の中には五体が不満足な人がたくさんいるのだぞ。

それを考えたら、いかにおまえが恵まれているかを思い知るべきだぞ。

最後はおまえの人生だから、おまえが自ら歩んでいくしかないのだ、

そのなかで、「ない」よりも「ある」という面を見つけ出して、いかに恵まれているかを感謝すべきなのだ。

長くなりましたが、読んでいただきありがとうございます。