夫と話がしたいと

切に思います


この1週間だけでも

いろんな事がありました


毎日何でも話せる人が傍に居て

どんなに幸せだったのか…


たとえ病気でも

心の支えになってくれていたと

しみじみ思います


昨日の夜

少し体調が悪くなりました


寝る前はいつも


何かあったら起こしてよ〜と

夫から言われるのが常でした


それだけで安心して布団の中に入れたのを

思い出しました


夫が病気になってからはお互いに


何かあったら起こしてよ〜に変わりました


昨日は

その言葉を思い出して


何かあったらどうすればいいのよ…と

独りでぼやきました


不安を抱えて

何かあった時の覚悟をして

薬をがっつり飲んで

夫に手を合わせて

横になりました


幸い薬が効いたのか

万全ではないものの

無事に起き上がることができました


こんな毎日の繰り返しです


それに加えて

悩み事が増えました


まだ夫を亡くしたことから

立ち直ってもいないのに

気持ちが癒えてもいないのに

容赦なく問題が振りかかってきます


朝から

親からの電話で大泣きでした


やっと1人で生きている娘のことは

どこへやら…


やはり

もうすでに

自分達のことしか

考えられないほどに追い詰められて

弱音をぶつけてきます


何となく

そうなる予想はありました

夫が生きていても

「やっぱりそうなったな…」と言ったはずです


私の親子関係を

夫は以前から危惧していました


ある程度の所で線を引くようにと…


けれどもう

客観的に判断してくれる夫はいません

親子の間に歯止めを掛けてくれる人はいないのです


今の私はまだ

親の苦悩でさえ

1人で受け止めるだけの

気力も余力もない状態です


夫の闘病を

親には一切頼らず

やっと最期まで見届けて今があります


それは絶対に私の役目だという

使命感のようなものがありました

だから頑張れたのだと思います


でも親子は少し違う気がします

切ってもきれない関係だからこそのしがらみ…


そんなものを感じてしまいます


何と親不孝な娘でしょう…


けれど

夫のことで

老親に心配を掛けなかったことも

私の中ではある意味

親孝行のつもりでした


どこまでやれば

納得のいく介護になるのでしょう…

まだ始まったばかり…

これからますます大変になっていくのに…


おそらく

答えはなく

どんな形で終わりを迎えても

後悔のない最期はありえないのだと思います


夫の時が

そうだったように…


とりあえず

今から

不安がっている両親の元へ

様子を見に行ってきます


このままだと

自分の方が壊れてしまいそうで

少し心配です…


夫に相談したい…

話を聞いてもらいたい…


1人で抱え込むのは辛いです