昨日

簡単な1人分の夕食を作っている時

右頬にフッと息を吹き掛けられたような

感覚が一瞬ありました


いる?


迷わず

そう思いました


狭い台所を

2人でぶつからないように

夫はお気に入りのアルコールとつまみを

私は2人の食事を作るのに

アチャコチャしていたのを思い出しました


好きなものでも摘まみに来たの?

それとも横で何か作ってる?


不思議と

それは自然なことのように思えて

冷静に料理を続けました


元々は

夫と私の食の好みは真逆でした


夫は海の幸が大好き

私は山の幸の方が好き


お刺身などは

自分を除いて

家族の分だけ買ってきたりしていました


30年近くかけて

それぞれのスタイルに合った食べ方を

2人で擦り合わせてきました


両方が同時に食事が楽しめるように工夫して

美味しいものは分け合いながら

好きなものをちょっとずつ楽しめるといいね…


たまには取り寄せたりしてね…

便利な時代になったもんだ…


そんなことを言って

これからの老後に期待する環境と年齢に

ちょうど差し掛かった頃の発病でした


食べること飲むこと

そして自分で作ることも

そんなに苦ではなかった夫は

生きていたら

もっともっと

食と共に人生を楽しめたと思います


家族のため

そして自分の余生のためにも

一生懸命働いてきたはずですから…


昨日の夜のように

居ないのだけど

居るような気がする…


そんな瞬間が時々あります


寂しくて寂しくて

写真を見て号泣する私を

どこか遠くから見ているような気もします


私の願望が

そういう思い込みを生んでいるのかもしれません


それでもいいと思います


気配でも

匂いでも

音でも

何か違う生き物に変わってでも

私にだけわかるサインを送って

傍に来て欲しい…


けれど

こんな形で

極たまにしか存在を感じられなくなった今

やはり無性に逢いたくなります


目が覚めてすぐに

自分の夫は膵臓癌なのだと

何度も自分に言い聞かせて

覚悟を決めて起き上がる朝


目が開いた瞬間

夫はこの世には居ないのだと

絶望を感じながらも

何とか起き出さなければならない朝


どちらも

比較にならない程の生き地獄


けれど

どんな形でもいいから

まだ一緒に生きていたかった…


それが叶わなかったことが

今も悔しくてなりません


明日は義父の命日です


2人で美味しいお酒を片手に

機嫌よく語り合っているかも…


おしゃべり好きな義父と夫の姿が

目に浮かびます