利休は政治外交の中枢にいた | wabicyaのブログ

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極侘数寄を目指しています。

侘数寄は心強く大胆にあらねば、道具万ず不如意なる程に、世に有る人と交われば、心劣りせられて肩身つまりて、自ずから茶湯にうとむもの也といいて、ただ胸の覚悟第一ならん(長闇堂記)

s63/9茶道雑誌から

⭕️天正13年10月2日

利休と細川幽斎は連書で、島津の家老に和議を進める手紙を送っている。(この件は既に何度もこのブログで書いてますが、利休を知る上で重要なので改めて)


⭕️榊原康政を厚遇した利休


⭕️家康にも何かと配慮している


⭕️秀吉と利休と家康の微妙な関係が面白い



⭕️これまでのブログでも書いてますが、利休は、次に台頭してくる最高権力者への布石を打っている。


三好慶長ー松永秀久ー織田信長ー豊臣秀吉ー(徳川家康)。。。