s57/5 数江教一の辻玄哉評 | wabicyaのブログ

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極侘数寄を目指しています。

侘数寄は心強く大胆にあらねば、道具万ず不如意なる程に、世に有る人と交われば、心劣りせられて肩身つまりて、自ずから茶湯にうとむもの也といいて、ただ胸の覚悟第一ならん(長闇堂記)

山上宗二記によると辻玄哉は道具の目利きも出来ず茶湯も下手と書かれている。

しかしながら、玄哉は、紹鴎の一番弟子で有るのは何故か?











⭕️私見補足

教一氏は後世の勇足と書いてるが、私は宗ニの性格上、形重視する傾向が強く、玄哉の「心の深き」者を認める様な人間ではなかったのでは無いか?と思います。


尚、何度も書きますが、神津朝夫氏によれば、利休の師は玄哉であって、紹鴎では無いとの事です。