s51/4待庵は二畳敷だけで使ったか? | wabicyaのブログ

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極侘数寄を目指しています。

侘数寄は心強く大胆にあらねば、道具万ず不如意なる程に、世に有る人と交われば、心劣りせられて肩身つまりて、自ずから茶湯にうとむもの也といいて、ただ胸の覚悟第一ならん(長闇堂記)

待庵は二畳だけと思っている人。。。


⭕️貴人を招いたとき次の間との間の太鼓襖を取り払い、釣り棚を使い出炉の今日で言う本勝手で点前をしたという説に納得出来ますね♪

 

 

 

 

 

 

 

 





 

 

 

青木宗鳳 完全指図帳より

 

 

 

 

 

 

 

 

 

⭕️貴人点






その他

粟田氏曰く「青木宗鳳とは、津田宗及六世伝子(宗及ー江月ー小堀遠州ー黒田正円ー山田乗仙ー青木宗鳳)で、遠州流の元祖は津田宗及ではじめは宗及流と称したが、のち一般にこれを遠州流と呼称するに至ったものである」



参考 ディスカバージャパンより拝借の図





参考)

以下は、52年4月号掲載の加賀待庵の写真から


次の間の釣り棚を見た様子


上の写真と逆に釣り棚の方から次の間の隅炉を見たところ


繰り返します。利休は秀吉を待庵の二畳の空間だけでもてなしてはいない。


2024/2/24追加

貴人点の件は重要なので、前掲の「茶室考(著者粟田添星あわたてんせい)」一部を掲載いたします。













追加)思って見れば、二畳の隅炉で使うなら、二枚の引き違い障子(太鼓障子)は不要ですね。

上記の説明の様に後から隅炉にしてしまったと考えるのが正しいと思います


千家の妙喜庵点てなる点前も、後から作ったと言うのも頷けます。