2024/01/08 | wabicyaのブログ

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極侘数寄を目指しています。

侘数寄は心強く大胆にあらねば、道具万ず不如意なる程に、世に有る人と交われば、心劣りせられて肩身つまりて、自ずから茶湯にうとむもの也といいて、ただ胸の覚悟第一ならん(長闇堂記)

図書館で見つけました。



#尾張の茶 
昭和47年発行
中村昌生氏の文より、天文二年京都の山科言継が織田家平手政秀(信長の守役、後に信長を諫め切腹)の宅に立ち寄り茶の接待を受けた。(天文二年、紹鴎32歳利休は未だ11歳の頃)
織田家を中心とする尾張の茶がかなり早くから盛況に向かっていたことを物語っている。。と書いてらっしゃいます。
⭕️名古屋茶道史(筆者:吉田堯文)
  名古屋の久田流は、久田宗全の長男宗玄(厚比斎:両替町)の派。「その門人には、大塩伝十郎、尾崎藤兵衛、下村量三郎(市外大高の人)があり、その茶名高くまた代々久田流を学んだ佐藤八十郎(積翠庵雪山)などがある。
現在の尾州久田流(大高の下村氏)は、久田宗玄の門人の一人が新たに立てた流派であるのがわかる。

⭕️数寄者列伝
 中島正員、高田太郎庵、増田三郎左衛門、伊藤家(松坂屋)、関戸家、岡谷家

⭕️尾張の茶家



松尾流、有楽流(筆者:織田長繁)、吉田家、村瀬家(村瀬玄中翁と神谷家柏露軒宗鋹:筆者神谷鉉三)、志野流(筆者:蜂谷宗玄)

尾張の侘び茶 中村昌生氏によると、尾張の侘び茶について。「(尾張の)旦那衆たちは“手前どもは侘び茶で”とへりくだる。ただ独り楽しむ茶に過ぎません。そこには侘び茶の、まさに本質的な生活化を見出すのである。」
#表千家
#裏千家
#有楽流
#尾州久田流
#松尾流
#志野流
#吉田堯文




当時の茶道雑誌が200円の頃、2000円の書籍はかなりの高額です。