NHKテレビ アナザーストーリー 金閣寺の炎上事件を取り上げてた。
臨済宗の僧侶で作家の玄侑宗久氏は
「我々は何で生きてるのかと言う事を考えると、生まれちゃったもんで、、生まれちゃったもんで生きてるんですよ。」
「(生きる意味が欲しいですよね。)でも、本来は意味なんか無いんですよ。」
「何の為に生きてるの?と言われてただ生きてるんだと答えられる人は珍しいですから」
「だから、いろんな生き甲斐がでっち上げられていくんですけど。」
⭕️私見補足
「生き甲斐はでっち上げられていく」まさにその通りだと思います。
放火犯や住職、あるいはこの事件を小説にした三島由紀夫や水上勉の扱いよりも、玄侑宗久氏のこの言葉に私は、我が意を得たりとニヤリとさせられました。
⭕️南方録が掛け物に、高僧らの遺徳を敬いと書いているが、殺生肉を喰らい女犯を犯す僧らの何処が高僧かとつくづく思う。
⭕️虫も人間も生まれたから生きてそして死ぬだけ。そして、前世もあの世も有りはしない。墓は、残された者の死者への想いと、死んでゆくもののへの言わば引導というだけ。
⭕️「何故生きる」と言う本があるがこの本にはその理由は全く書かれていない。理由が無いから書けないのは当然です。。
追加)
金閣寺放火犯の林養賢は、結局金閣寺内部で孤独感悩み、寺と言う組織の中で次第に孤立していった。
元々母親の厳しい教育と僧侶としての出世を望まれ人生に失望してしまった。
放火犯として留置場に収監された息子養賢に面会に行くものの、息子に面会を拒絶され、帰りの汽車の中から等身自殺した。
当の林養賢は7年の刑を言い渡されたが刑務所で病になり釈放されたが結局病院で死亡した。
一言で言えば厳しい母親の期待を一身に背負い死んだ様なものだと思う。母親の犠牲になったと言う事。
追加その2 人は何故僧侶の話を傾聴するのか
⭕️僧侶は、それが仕事だからに他ならない。民衆が納得する様な事を考えて流布し、信者を増やすのが仕事だから。
今や日本人の大半は葬式の時だけしか僧侶との接点は無い。みんな心の中では百も承知しています。
三島由紀夫の「金閣寺」、水上勉の「金閣寺炎上」など小説などにするまでも無い単純な話。