s46/3 人間利休の虚実 堀口捨己 | wabicyaのブログ

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極侘数寄を目指しています。

侘数寄は心強く大胆にあらねば、道具万ず不如意なる程に、世に有る人と交われば、心劣りせられて肩身つまりて、自ずから茶湯にうとむもの也といいて、ただ胸の覚悟第一ならん(長闇堂記)



堀口捨己氏曰く

「かなりの昔、お茶の雑誌のアンケートに“利休の茶の精神は好きだが、山門に自分の木像を上げる利休は好きにはなれない”と答えた事があります。」


「人間利休の複雑さ  利休の人格についても、長次郎の茶碗を生み、妙喜庵の茶室を作った利休と自己顕示欲の強い利休とはどうも重なりあいません。」


「利休の系譜  同朋衆の千阿弥から出たという人もいますが何とも言えません。山上宗二は利休千を名乗った五十数年後も利休を田中宗易と書いてます。子道安も紹安という名の頃田中紹安と書いてます。」


私見補足)概ねその通りだと思います。同朋衆の千阿弥から出たというのは利休由緒書の粉飾だと最近では言われてます(神津朝夫氏)。