豪商たちの茶の湯と侘び数寄 神津朝夫著 茶の湯の歴史 | wabicyaのブログ

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極侘数寄を目指しています。

侘数寄は心強く大胆にあらねば、道具万ず不如意なる程に、世に有る人と交われば、心劣りせられて肩身つまりて、自ずから茶湯にうとむもの也といいて、ただ胸の覚悟第一ならん(長闇堂記)

豪商たちの茶の湯が、名物道具を飾り立て武家の宴会料理である本膳料理のような食事と大酒を出し、武家を含めた商売相手をもてなす世俗性の強いものであったのに対して、侘び数寄の茶会は実利的社交性とはほぼ無縁のものであっただろう。

 

それなのに、なぜ彼らは茶の湯を続けたのか。それは侘び数寄が世俗性とは異なる価値を茶の湯に見出していたからに他ならなかった。

 

 

私見捕捉)

これは、現代でも同じことが言えると思います。

結局のところ、今の茶の湯は侘び数寄とは遠いところにあると。

戦前のような「近代数寄者」はほとんど姿を消してしまいましたが、それでも東の大師会、西の光悦会を見るように道具商が名物珍品をかき集めて展示会のごとくです。

 

本当に侘び茶を実践している茶人は世に出ては来ません。同じ志をもった侘茶の茶の友と粛々と茶の湯を愉しんでおられます。

茶は道具ではないのです。大切なのは、もてなす気持ちです。

 

前にも書きましたが、宗心宗匠も茶会に道具を期待するような人なら「呼ばなくていいのです」とはっきりと著書「私の茶の湯考」の中で書いておられます。

 

侘び茶人は、常にそうした強い心をもって自らの信じるお茶をすればいいのです。寄付きで会記とともに道具や箱を展示する必要は本来ないと強く信じます。