茶懐石の一汁三菜を始めたのは利休ではない | wabicyaのブログ

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極侘数寄を目指しています。

侘数寄は心強く大胆にあらねば、道具万ず不如意なる程に、世に有る人と交われば、心劣りせられて肩身つまりて、自ずから茶湯にうとむもの也といいて、ただ胸の覚悟第一ならん(長闇堂記)

茶会記 松屋会記 天文6年(1537)9月12日  利休16歳

松屋久政が宗珠の弟子だった十四屋宗伍の朝会の独客

既に一汁三菜を行っている。

 

山上宗二記でも茶の湯の料理が豪華になったのは武野紹鷗からであると明記されている(茶の湯の歴史神津朝夫著)